それは、日常を覆す応答


 場所は変わり、現在ユウは魔法解析学を受けていた。
 あの突然の告白からどうやってこの教室にやって来たのかはもう覚えていない。なんなら、黒板にチョークで文字を書きながら、口頭で説明をする教師の声が耳に入ってこない。
 それもそうだろう。なにせユウはあのジェイド・リーチに告白されたのだから。

 一体何があったのだろうか。と告白された本人も理解出来ていないのだから、その現場を見ていたマブと親分だって理解出来るわけがない。
 この教室の中には、あの唐突にもほどがある愛の告白現場に居合わせた人間もいるかも知れないが、ユウと同じように現状を理解出来ず、フリーズしているだろう。いつもは多少話し声が聞こえたり、いびきが聞こえる授業は珍しく、黒板に削れるチョークの音と眠気を促す呪文だと有名な教師の声しか響いていないのだから。

 結局ユウは、その日も魔法解析学を好きになることなく授業が終わってしまった。
 それどころか、教師の話が一ミクロンも頭の中に入って来なかった。

 もう、なんなのだ。新手の嫌がらせなのかも知れないと悩むユウは重たい腰を気合だけで上げたと同時に溜息も出たが、致し方がないだろう。

「はぁ……」
「お前さ〜、何したらあの人に告白されるわけ?」
「本当になんでなんだろうね。全く記憶に無くってさ……」
「リーチ先輩って監督生のこと好きだったんだな! 少し意外な気もするが」

 少しなもんか。とてつもなく意外だ。ユウがデュースを見上げれば、デュースは小首を傾げた。
 これだから純粋野郎は。と文句の一つや二つ言いたくなるが、デュースが悪いわけではないのだから。ユウは口を噤み大人しく目の前に広がっているノートや教科書やペンを片付け始めた。

「子分、あのフロイドと付き合うのか?」
「告白してくれた方は、ジェイド先輩ね」
「あの双子そっくりすぎて紛らわしいんだゾ!」
「確かにそっくりだよな〜」
「僕も暫くは見分けがつかなかった」

 エースはフロイドと部活が一緒だからもう間違うことはないだろう。デュースもイソギンチャクの件で散々間違え、その度にフロイドにキレられ覚えたのだと眉間に皺を寄せながら申し訳なさそうにしていた。それで双子が見分けられるようになったのは偉いね。なんて思わずユウがデュースを褒めてしまったのには訳がある。
 グリムだ。
 グリムはあのイソギンチャク事件があったというのに、未だにフロイドとジェイドの名前を間違える。
 頻度こそ少ないが、あれだけ扱き使われ……モストロラウンジで仕事をした仲なのに、見分けることが出来ないなんて。グリムの学習能力の無さに項垂れればいいのか、流石は双子! と称賛すればいいのか、ユウにはわからなかった。

 手早く荷物を片付け小脇に抱えて、次の授業が行われる教室に移動する為に歩き出すと、出入り口がいつもよりもざわついていることに気が付いた。
 何かあったのか。と背の低いユウが背伸びをするよりも先に、人垣よりも頭一つ抜きん出ているジェイドの姿を見つけた。

 ――なるほど。だからこの騒ぎか。

 そりゃ渦中の人物が現れれば、騒ぎにもなるか。なんて他人事のように俯瞰して見ていたユウは腕を後ろに引かれバランスを崩した。

「絶対にお前に会いに来たじゃん」
「え? あ、そういう」
「バカなの?! で? 返事は決まってんの?」
「あー、まぁ、普通に断るよね。私いずれは元の世界に帰るし。未練とか残したくないし」
「そう、か……いや、そうだよな! 僕にもその気持ちはわかるぞ」

 他の人に聞かれないように三人で内緒話をしているようにコソコソと話していると、長身の男が三人と一匹に近付く。すると人垣はモーゼの紅海のように二つに分かれ、自然とユウたちがいるところまで一本道が出来上がった。
 そんなことに気が付かない三人は、どう言って断れば、相手を傷付けずに済むか。なんて話し込んでいる。
 因みにデュースはミドルスクールの時はマジカルホイールで峠を攻めるのに夢中になっていたと、本人が語っていたのだから、彼女は多分いないだろう。
 グリムはいわずもながこの手の話は論外である。
 エースはきっとモテたに違いない。なんせ「どう言ったって相手は傷つくんだから考える必要もなくない?」と真っ先に意見したのもエースだった。これは何回か告白を受けたことのある奴のセリフだ。
 かく云うユウは中学時代、好きな人は人並みにいたが、その恋の花が咲くことはなかった。告白だってされたことがない為、ジェイドの告白にこれほど動揺したのだ。

 うんうん。と悩むユウとデュースに対し、エースと話に入っていけないグリムが冷めた目で唸る二人を見ていると、スラリと伸びる長い影に一人と一匹は目を大きくさせ、グリムに至っては隠れようと、エースの影の中に飛びこんだ。

「何をお話されているのですか? よろしければ僕も混ぜてください」
「っ!!」
「うわッ!」

 気配もなく近付いたジェイドの声にユウとデュースの肩が跳ね上がる。心臓が遅れて大きく鼓動し始め、ユウは心臓の騒めきを抑えようと胸の上に手を当てるも、普段よりも早く大きくなる心臓の音が振動として掌に伝わるだけだった。

「おやおや、そんなに驚かれるとは」
「いつからそこに?!」
「今さっきです。なんのお話をされていたんですか?」

 まさか、貴方をフる為の相談をしていました。なんて、公衆の面前で言えるほどユウの肝は座ってはいない。
 そんなユウの心情を慮らないマブ二人は、言ってしまえ。と、フッてしまえ。と口には出さなくとも顔に書いている。

 いやいや。出来るかそんなこと。日本人舐めんな。と内心首を左右に振るユウに助け舟を出すようにエースが調子よく口を開いた。

「先輩なんで監督生に告白したんスか?」
「好きだからですよ」
「監督生と先輩って、そんなに接点ありましたっけ?」
「ふふ、一目惚れです」

 頬を赤く染めるジェイドはユウを見つめている。
 端麗な顔つきをしているジェイドが一目惚れをするほど、ユウの顔つきは特別綺麗に整っているわけではない。
 可愛いと呼ばれる分類であることに間違いはないのだが。学力同等、平均的なのだ。

 ユウは自分の容姿は、一目惚れされるほど整っていないと自負している。だから、ジェイドの言葉を信じることは出来なかった。何か裏があるのではないだろうか。と勘ぐってしまう。
 それは間違いなくイソギンチャクの一件があったからだ。

 彼らは利益の為に契約条件が達成されそうになると、妨害までしてくる始末だ。
 そんな人たちの言葉を信じることが出来るだろうか……出来ない。出来ないのだけれど、国民性なのか、ユウがそういう人種なのか、怪しいと思っていても、相手の言っていることを先ずは信じてみようと思ってしまうのだ。

 とはいえ、正面切って「はい。あなた様の言うことを全て信じます」と言えるほど、ユウは素直な性格をしていない。

「どうでしょう。僕のお嫁さんになりませんか?」
「なりませんねぇ」
「どうして?」
「どうしてもです」

 その言葉を信じてないけれど、それはそれで罪悪感が産まれる。
 己でも難儀な性格をしていると思う。出来るなら、こんな性格ではなく、もう少し白黒はっきりした性格になりたいものだが、もし、本当にジェイドは一目惚れをしてくれたのだとしたら、それを信じてあげられないのは可哀想だと思ってしまう。

「そうですか。ではまた放課後に向かえに来ますね」
「……人の話を聞いてました?」
「えぇ。ですが、僕が諦める理由になっていませんので」

 ニッコリ。と口の端を上げ目を細めるジェイドを見た三人は「こいつマジかよ」と軽く引いた。
 これは海と陸の文化の違いなのかも知れないが、多分、そうではないのだろうな。なんて、監督生が一瞬現実から目を背けていると、ユウの前に立っている長身のターコイズブルーの男が膝を曲げて、視線をユウとほぼ同じ高さに下げた。

「ところで僕、今日クルーウェル先生に褒められたんです」
「はぁ……凄いですね」
「はい。僕、今日、凄く頑張りました」

 一体何が目的なのだろうか。とユウが首を傾げると、ジェイドはユウに向かって頭を差し出した。

 ――嗚呼。なるほど。

 頭を撫でて欲しかったのかと察したユウは撫でやすい位置まで下げられたターコイズブルーの髪を整えるように頭の輪郭に沿って撫でた。
 瞬間、左右からも、周りからもどよめきが上がったのは言うまでもないだろう。

 周りの反応を一々気にしていないユウは、また自分が満足するまでつるりとした滑りのいい髪に、指を遊ばせながら数回撫でつけた。
 最後のひと撫でをし終えたユウの掌がジェイドの頭から離れると、男は満足そうな笑みを浮かべ「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べてから、ユウたちに背を向け教室から出て行った。

 教室に入って来た時と同様、ジェイドが進む先はモーゼの紅海を模した人の壁があり、その壁はあり得ないものを見る目つきでジェイドを見ていた。

「なに? 監督生は本格的に猛獣使いにでもなるつもりなワケ?」
「いいや? なんで?」

 エースの質問に答えたユウの一言に「嘘だろお前!」と心の中でツッコミを入れなかったのは、猛獣使いの意味を分かっていないグリムとデュースだけだった。