妖狐の轟くんと巫女さん

養和元年、後に治承・寿永の乱と呼ばれるようになった内乱の最中、西日本を襲った大飢饉があり日本中が飢えていた。それに心痛めた神主様の助言により梓弓を持ち私は全国を旅するようになった。それが養和2年の事である。道行く人々が昨年の飢饉に怯え巫女である私に縋り神事を拝む。神主様の助言は正しく、人は皆安らぎと希望が欲しいのだ。私達は彼らに一縷の光を与えることが出来る。私はこの旅で人々の笑顔が見れるのがとても嬉しく感じていた。

だが、そんなある日私は1人の妖に目をつけられ付きまとわれるようになった。

「いい加減付いてくるのは止めたらどうだ」
「…嫌だ」
「我儘を言うな。大体何故私に付いてくるんだ」

妖の中でもコイツは狐。つまり妖狐だ。化けては人を騙す悪戯な妖。この妖と巫女である私が一緒にいる所を誰かに見られてしまうと、それだけで私に損害が被る。

「君野狐だろ?」

そう尋ねると狐はゆっくりと首を横に振った。
野狐じゃないとしたら気狐だろか?

「空狐だ」
「君3000年も生きていたのか」

彼が言うには徳を積めばもっと強い力を得ることが出来る。だから私と共に旅がしたいのだと。
白い狐の耳に左右で色が分かれた紅白の髪、それに狐の尻尾が8本生えている。彼の言う事を信じてもいいのかは分からないが、力強く私を見つめるがその瞳には私は写っておらず、何かを憎むようなそんな目だった。
結局根負けしたのは私で、渋々彼と行動を共にするようになった。

何があったのかはいつか聞けばいい。

それから私達は全国を旅した。
行く先々で狐を…焦凍の姿を町人が見かけては妖だ、野狐だと石を投げ私がよく庇うようになった。当たりどころが悪く頭から出血する日もあれば、口の中が切れる事もあり、中々痛みが伴う旅になったがそれでも私は彼と旅を共にした。

「痛いよな」
「けど、焦凍に怪我がないならそれでいいよ」

最初の頃私がいくら怪我をしようが庇うな。自業自得だろ。と素っ気ない態度をとっていたが、長い間一緒に旅をする内、私が彼を庇う度に焦凍は悲しそうな顔をして私に傷の手当をしてくれるようになった。患部に布を巻いてくれたり川の幸や山の幸を両手一杯に持ってきてよく私を元気づけてくれた。

暑い夏は川に入り身を涼み、秋には旅の道中の紅葉を楽しみ、冬は2人寄り添い寒さを凌ぎ、春には野に咲く花を眺めた。

とても穏やかな時間だった。だがそんな時間はすぐに終わりを迎えたのだ。

「梓弓の巫女…名前、話がある」
「なんだい?」
「先の内乱でアイツが裏から糸を引いてることがわかった」
「あいつ、とは?」

焦凍にそう尋ねると苦虫を噛み潰したような顔をし、低い声で、親父だと答えた。その瞳はまだ出会って間もない頃の瞳を彷彿させる。

「妖が人間の戦に手を貸しているのか」
「俺はそれを止めたい」
「それなら私も行こう」

焦凍について行くと意を示すと彼は一瞬だけ目を見開いて驚き、静かに首を横に振った。

「何故?」
「親父は天狐だ。つまり神に等しい存在なんだ。だから争いになったらお前が、名前が死んでしまうかもしれねぇ」
「その時はその時だ。それに君が守ってくれるだろう?」

私は焦凍の力を信じてる。だから大丈夫だと握り拳を見せると彼は溜息を吐き渋々了承してくれた。

「ありがとう。それに私は焦凍を守りたいんだ」
「…俺は何時も傷がつかないようにと守られてばかりいるな」
「いや、私が本当に守りたいのはそれだけじゃないんだよ」

首を傾げる焦凍の顔は中々珍しいものだったが、ゆっくりしている時間はないと此処からたつ準備を始める。急がなくてもいいのかもしれないが善は急げというから早めに行動しよう。

「名前助かる」
「1つ訪ねてもいいかい?」
「なんだ?」
「どうして焦凍は父親を止めたいんだい?」

そう尋ねると焦凍は少しだけ遠い目をしながら昔話をしてくれた。父の元で小さい頃から強くなる為だけの教育を受けていた事、母がそれを庇い父に怪我を負わされそれが原因で亡くなったこと。

「だから俺はアイツをこの手で殺す。この内乱があって正直助かったよ」
「…それはいけないよ。人を殺めるとその業が自分に返ってくる。それは今世じゃなく来世かもしれない。自分を苦しめてはいけないよ」

行った事は巡り巡って自分に返ってくるのだ。善悪に限らず全てだ。焦凍にはそんな思いをして欲しくない。だが彼は私の言う事に頑なに頭を振り続けた。

焦凍の父はこの町の神社を根城にしているらしく、案外すぐに会うことが出来た。いや、焦凍がいたからすぐに会えたという方が正しい。私達は根城に招かれたのだ。

「よく来たな。我が息子よ」
「クソ親父が」

焦凍は妖狐にしてはとても珍しい氷を使う妖だった。だが、狐火を得意とする父には威力が叶わず、顔の左目の周りに火傷を負ってしまった。徳を積んできたと言う焦凍の言葉を信じて、手に持っている梓弓に矢を当てそれを射る。この行為は神事の際に魔除として使われる。この巨大な魔を祓うことは出来なくても力を弱めることは出来る。徳を積んでいれば払われる事はない。

「貴様、渡り巫女か!」
「焦凍っ!」

焦凍は自身の父の心の臓を一突きし、その命を終わらせてしまった。
彼の手には赤黒い液体が附着している。本当に殺してしまったのだとかける言葉を探していると、彼は後ろに立っている私の方に振り返った。

「名前すまねぇ…すまねぇ」
「私に謝っても命は還ってこないさ」

彼の背中に手を回して私の心の臓に合わせて背中を優しく叩くと、彼は肩を震わせ静かに涙を流す。これは後悔の念だろうか。それとも虚しさから来るものなのだろうか。私には分からなかった。

此処にいては人に見つかってしまう。そう思い焦凍の手を引き森の中に入った。

「なぁ、俺はこの先どうなるんだ?」
「それは私には分からないさ。でもそうだね…君はきっと生まれ変わってもまたこの顔に火傷を負うだろう。それが君の業だ」
「そうか…お前はこの先どうするんだ?」

きっと私は死ぬまで歩き続けて巫女の役目を全うする。この梓弓を肩にかけて笑顔で役目を果たすのだ。

「今までと何も変わらないよ」
「そうか」

きっと彼とは、焦凍とはもう会えない。彼は徳を積むことで通力の力を増加させ、それで父を討つ計画だったのだろう。それが果たされた今私と旅をする理由もなければ義理もない。

想っていたのは私だけだったのかも知れないな。

虚しくはないが、乾いた笑いが自然と出てくる。そんな私から焦凍は少し体を離して、血塗られていない方の手で私の頬に触れる。上を向くように促されているようで焦凍を見上げると、悲しそうな笑を見せた。

「俺は穢れたからもう一緒に旅ができねぇ」
「…うん」
「けど、離れたくねぇ。最期の時まで傍にいてぇ」
「私はこれからも梓弓の弦を弾いては魔除けをする。だからもし音が聞こえたら私が近くにいる証拠だ。但し、徳を積まないと祓われるからね」

そう言うと焦凍は、ははっと笑った。もう悲しさも虚しさもその目からは感じなかった。

「それに徳を積めばいい事があるさ。それとコレは私からの謝罪を込めた助言だ。…復讐はやめなさい。なんの意味を成さないのはもう分かっただろう?」
「あぁ」
「自分をしっかり持ちなさい。君は君だけのものなんだからね」

それから、愛していたよ。

何でもないかのように伝えた私の真心はちゃんと伝わったのだろう。焦凍は顔を赤くし8本の尻尾をゆらゆらと揺らしている。

「それは反則だ」
「想いを伝えるに反則も何もないだろう」
「俺も愛してた」

重なった唇の温かみを私は生涯忘れないだろう。ゆっくりと惜しむように離れた唇に名残惜しさと愛おしさを感じたまま私達はそれぞれの道を歩んだ。

いつか、生まれ変わってもう1度生を受けた時。その時に焦凍の事を憶えていたら私はこの梓弓の弦を鳴らすよ。







微かに耳に入るこの音を俺は知っている。いや、思い出したの方が正しい。記憶の奥底にあったあの日々を一瞬にして思い出した。

「轟くん?」
「音がする」
「音なんてしないが…耳鳴りじゃないのか?」

緑谷と飯田の声よりもあの独特の弦を弾く音の方が大きく耳に入ってくる。まるでその音以外を受け付けてねぇみてぇだ。段々と心臓が早鐘を打つのが自分でもわかる。緑谷に謝って俺は宛もなく走り出した。

どこだ?!どこからこの音が聞こえるんだ?!

頭の中に響くように聞こえるこの音は、間違いなくあの梓弓の音だ。梓弓の巫女と別れてから暫くは聞けなかったが、徳を積み影からこっそりと聞いていたあの音だ。

「何処にいるんだ…名前!」

近づいては遠ざかって行く音に必死に食らいつくように走り続け、気が付けばとある神社の階段の前に立っていた。そこに目を向けると弓を持った制服を着た女子が階段を上がって行く。そして、一瞬立ち止まって弦を指で弾く。その音はあの人の音とそっくりで俺は後先考えずに声をかけた。

「名前!」

すると彼女は弾かれたように俺に振り返って、大きな目をさらに大きくさせた。彼女の顔も記憶の中の巫女と同じで俺は階段を駆け上がり、彼女に近づいた。

「梓弓の巫女…なのか?」
「さっきは名前で呼んでくれたくせに」

会いたかったよ、焦凍。

大きな瞳から大粒の涙を流しながら綺麗に笑う彼女は確かに名前で、抑えきれない感情をそのままに俺は名前を抱き締めた。

「やっと逢えた」
「長かったのかな…1000年位?」
「俺としては1年でも長い」

焦凍らしいや。なんて笑いながら抱き締め返してくれる名前は確かにあの時の名前だった。
それがどうしようもなく嬉しい。

「好きだ。そして今度は俺がお前を守る」
「私も好きだ。そして今度も私が君を守るよ」

今度こそ俺が名前を守るんだ。守る価値もない俺を自身の身体を張ってでも守ってくれた名前のように。この世で1番大切な奴を今度は1人にさせない為にも俺は俺のなりたいヒーローになる。