かつ兄とお嫁さん

ひどく気持ち悪い。
吐き気が止まらないし心做しか頭まで痛い。これは風邪をひいたのかと思い熱を測ると微熱程度しかなく、それでこの具合の悪さはないだろう、と結論づけて今日も今日とて家事に励む。

1年程前私はかつ兄と慕っていた爆心地こと爆豪勝己さんと結婚をした。勝己さんは結婚したんだから家にいろ、と言い放ち私は稼ぎの心配をして反対したがヒーローとは存外稼いでいるようで勝己さんは馬鹿にしたように笑い貯金の1部額が記載されている通帳を私に見せたので大人しく会社を辞めたのだが。

正直家にいても家事が終わればすることがない。2人とも物欲なさすぎて物がないから片付けるものも限られてる。

でも、でもこんな体調不良を望んでいるわけじゃないんだよ、私は…!

どうしようもない吐き気に耐えられなくなってトイレに駆け込んだ。何度も嗚咽をして少しだけ吐いても全然スッキリしない。これは本当に風邪なのか?なんて思い始めた時視界の端にあったスマホが生理管理アプリから通知を受け取った。

“1ヶ月生理がきてないよ!妊娠してるかも…病院に行ってみて!”

妊娠って…そんな馬鹿な、だって勝己さんは乱雑に見えてもそういう所はしっかりしてる人だから、まさかゴムなしでシたなんて考えられない…。

…いや、でも勝己さんならやりそうだ。

これはどっちなんだ?と思いつつも病院に向い、一応産婦人科を受診する事にした。尿検査の結果は陽性で現在3ヶ月。
私は勝己さんとの間に子供を授かった。

「おめでとうございます。いくつか書類を渡しますので区役所に行って母子手帳を発行してください。次回の受診日は4週間後の…」

女性医師の言葉で覚えているのはここまでだ。これ以上は受け止めきれなくてすっぽり抜けている。

どうしようか。どうしようか。
私は無個性だからもしかしたら生まれてくる子供も無個性かもしれない…。
そうなったら私は自分を責めずにはいられない。何より勝己さんに失望されたくない。

家に帰って2人で寝る為に買った大きめなベッドに寝そべって大きな溜息を吐いた。ペラペラのラベル紙には私のお腹の中にいるこれから赤ちゃんになろうとしている命がある。

私は…どうすればいい?

目を閉じて深く息を吸い込んで吐き出す。不安も焦りも何もかもが溜息と一緒に吐き出されればいいのに。



カチャカチャと食器が軽く擦れる音が聞こえて目を開けると窓の外から差し込む日差しが街灯の灯りに変わっていた。
いつの間にか寝ていたようで妙に頭がぼやけている。

「起きたんか」
「かつ兄…?」
「勝己、だろーが」
「ん、勝己さんおかえりなさい…ごはんは」
「んなもんとっくに出来とるわ」

ヒーロー活動した後に家のことまでさせるとか私ってどんだけ駄目な嫁なんだろうか。申し訳なさで涙が出てくる。

「名前なんかあったんか?」

心配してるんだかしてないんだかよくわからない表情のまま勝己さんは私の顔を覗き込んで、甘い匂いを放つ大きく固いその手で私の頬を包んだ。
ベッドのスプリングが軋む音が微かに聞こえると同時に勝己さんの体重によって僅かに視界が揺れた。

「いい匂いがする…」
「たりめェだろーが」
「夕飯間に合わなかった…」
「具合悪いんだろ?今何週目だ?」
「8…ってなんで知って…!?」

なんで妊娠してるって知ってるのかと聞きたくても驚きすぎて言葉が出て来ない。喉の奥が引っ付いて口の中が乾いていく。

そんな私を見て勝己さんがにやりと、意地の悪い笑みをした。その顔はヒーローと言うよりはヒーローを追い詰めた敵の表情に近い。

「切島がコレを送ってきやがったんだよ」

そう言って勝己さんが私にiPhoneの画面を見せてくれた。それは私が今日行った産婦人科の入っている病院から出てきた所を撮った画像で、切島さんからのメッセージには私を気遣う内容が書いてあったが、風邪か何かなのかか?大丈夫か?と聞いているので切島さんが私が産婦人科を受診した事は知らないようだった。

「なんで、コレだけで…」
「んなもん簡単だわ。ここ最近お前はずっと具合が悪い上に感情の起伏が激しい。これだけの情報なら月のモンかと思うが、ここ最近ヤる時俺は意図的にゴムを着けてねぇからな。そりゃ出てくる答えは1つだろ」
「…確信、犯」
「ハッ、なんとでも言えや」

やっぱりこの人は意図的にゴムを着けなかったんだ…!
そんなのはあんまりだ。

「なんで…言ってくれなかったの?」
「言ったら名前の事だ反対するだろーが。私は無個性だからーってな」

くだらねェ。と吐き出した勝己さんは本当にそう思っているようで自分の掌を無表情で見ている。
勝己さんはいいとしても、もし産まれてくる子供が無個性だったらと考えただけでも私は重たい何かに押しつぶされそうになる。足の小指に関節が1個多くあるだけなのに何故こうも違うのか。圧倒的敗北。齢4歳でそれを自分の子供にも味あわせる事になるかもしれない。

「私は、もういいの。こうやって大好きな人と一緒になれたから。でも産まれてくる子がそうなるとは限らないんだよ?」
「んなもんわかんねェだろうが」

勝己さんは射抜くような力強い視線で私を突き刺す。なんでそんなに自信が持てるの?どこからそんな自信が湧いてくるの?

「なんでそんなことが言えるの?」
「この先の事なんて誰にもわかんねェだろうが。それを今から嘆くんか?悲しむんか?あ?!第一俺の遺伝子舐めんな。俺に似て強ぇ個性のガキが産まれるに決まってらァ!!!」

呆気に取られるとはまさにこの事かも知れない。目の前で勝己さんは至極当然と言わんばかりになんの根拠のないことを大きな口を開けて言う。
なんだその理論は、なんて言う気にもなれない。
でも勝己さんがそう言うならそうなのかもしれない、なんて根拠のない自信が何処からか溢れてくる。あんなに重くのしかかっていた何かが姿をなくして溶けて消えていく。

流石勝己さんだ。

「次の健診には俺も行くからな」
「でも、ヒーロー活動に響くんじゃ…」

ヒーローは地域への貢献度も然る事乍ら民間人からの支持も大事だ。勝己さんが日頃から言っている英雄オールマイトを超えるんだったら休んで暇なんてないだろう。

「オールマイトを超えるんでしょう?だったら…」
「俺はオールマイトみたいに人気が欲しいわけじゃねぇ。オールマイトみたいにどんな敵も倒せるヒーローになりてェんだ」

子供が抱くような夢を今でも抱いている勝己さんは、夢見る少年のような表情で不敵に笑う。
私の好きな表情の1つだ。

「かつ兄」
「だからその名前で呼ぶなって言っ」
「かつ兄って私が呼んでた頃から勝己さんは私の中で1番のヒーローだよ」
「…たりめェだわ」

そう言うと勝己さんは照れくさそうに笑って顔ごと視線をそらした。
いつでも彼は私の不安を消し飛ばしてくれる。
だからきっと産まれてくる子供がどんな子でも大丈夫。

まだ大きくもなっていないお腹に手を当てて呟いた。

「早く会いたいな」
「早ぇわバカ」

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