松田陣平と一般人

私の彼氏は警視庁に務める警察官で付き合って暫く経つが未だに隣に立ったり手を繋いだりすると緊張して心臓が早鐘を打つ。
と言うのも向こうの仕事が忙しすぎて月に1回会えたらいい方で月に2回会えたらそれはもう奇跡だからだ。

やっぱり公務員って言っても警察官だから土日とかって関係ないんだろうなぁ。

今日も松田さんとデートの約束をしているけどきっと来ないんだろうし、なんて毒づきながら待ち合わせ場所である米花図書館で数冊本を手に取り窓際のテーブル席に座って物語の海に入る。
松田さんと出掛ける時は此処の米花図書館を待ち合わせ場所にしている。その方が時間も潰れていいし、万が一ドタキャンされても此処で思う存分本を読み耽ることが出来るからだ。

手に取っている本が一区切りついて、時計を見ると待ち合わせ時間より1時間程時計の針が進んでおり、今日も松田さんは来ないことを悟った。

来ないなら来ないで連絡してほしいものだが、警察官だから犯人を捕まえるのに忙しいのだろう。そこら辺はもう諦めついている。
向かい合って座れる小さめのテーブル席の端に何冊か本を積み上げているからさっさと読んで家に帰ろう。手元に持っている本をに目線を下げて文字の羅列を追う。
秒針が進む音しか聞こえない程の静かな空間が心地よくて好きだ。本の虫よろしく没頭しながら読むと、向かい合っている席が小さな音を立てそこに誰かが座る気配がした。
テーブルの上に置いておいた端末が小刻みに振動してメールを知らせる。
本から顔を上げるとサングラスをかけた同じ歳の男の人が窓の外を眺めている。

端末に届いたメッセージは謝罪の言葉だった。

“悪い”
“遅いよバカ”
“悪い。これでも急いだんだ”
“お仕事大丈夫なの?”

目の前に座る松田さんは首を縦に振って肯定をする。
じゃあ、今日は一緒にいられるんだ。
そう思うだけで口元が緩むからそれを手に持っていた本で隠すも、松田さんにはバレていて彼は声を押し殺しながらくつくつと笑った。

“どっか行きたい所あるか?”
“いっぱいあるけど…水族館とかモールを見て回るのも楽し”
「お前相変わらず打つの遅いな」
「っ!」

松田さんが呆れたように頬杖ついて私を見ながらそう言ったので、慌てて彼の口を手に持っていた本で塞いだ。

「痛っ」
「周り静かなんだから声響くでしょ」
「小声なんだから大丈夫だろうよ」

それよりも俺の心配をしろよ。と松田さんが本を手で退かしながら顔を覗かせる。確かに悪いことをしてしまった自覚があるからそこは素直に謝ると松田さんは口の端を緩く上げて笑う。

「行くぞ」

松田さんは私の手を掴みテーブルの端に置いている私が借りていた本を返却ボックスに入れて図書館から出た。

「ま、松田さん?!」
「水族館だろ?名前が行きたい所は」
「なんで…」
「お前この前会った時雑誌見ていいなぁって言ってたじゃねぇか」

前に会ったのはもう1ヶ月前の話なのに松田さん覚えていてくれたんだ…!
緩む口元をそのままにして私は松田さんに誘導されるがまま近くに止めていた車に乗り込んで水族館に向かった。
正直助手席に座るだけでも心臓が落ち着かないが、松田さんと出掛けられるっていうだけで気分が高揚して口元が緩みっ放しになってしまう。

「っ、そう言えば松田さんって本とか読むんですか?」
「俺が本を読むような人間に見えんなら間違ってるぜ」
「イメージあるんですけどねぇ」
「本を読むならアイツだろうな」

アイツ。と松田さんから出た登場人物は誰のことなのかと首を傾げた。
運転してる松田さんにはその動作は目に入らないから、運転席に座る松田さんの横顔に問いかけた。

「アイツって誰のことか聞いてもいいですか?」
「警察学校時代の同期だよ。頭も良くて運動も出来て銃の腕もよかったから今頃はエリート街道まっしぐらだろうぜ」
「凄い方だったんですね」

私からしたら松田さんだって頭が良い。私の知らない事を沢山知っているし、頭の回転も早い。でもそんな彼がアイツさんの事を手放しに褒めるなんてどれだけ凄い人なのだろうか。

気になりはしたが口振りからして今はそんなに交流がないみたいだから、これ以上聞いても仕方ないし折角の松田さんとのデートなのに違う人の話をするのも嫌なので私は大人しく松田さんの運転する車から見える景色を眺めた。

「水族館だぁ…!」
「名前中に入るぞ」
「え?券は?」
「やるよ」

そう言って渡されたそれは当日券で松田さんが私が水族館の入口に目を奪われている隙に買ったものだった。
自分の分を払おうと鞄に手をかけるとその鞄ごと奪われてしまった。そして彼はぽかんとしてる私を置いて行こうとゲートに向かって歩き出した。

「置いてくぜ」
「待ってよ!」

なんとか松田さんから鞄を取り返して水槽という小さな海に生活してる魚を1つ1つゆっくりと歩きながら見て行く。途中何度か松田さんが端末を取り出して誰かにメッセージを打っていたが打つ指が早すぎてどんな文章なのか予測する事すらできない。

「松田さん?もしかして浮気です?」
「だとしてもこんな堂々とは打たねぇよ」
「ふふ、そうですね」
「警察学校の同期が彼女の写真見せろって執拗ぇんだ」

警察学校の同期ってことはその人も今は警察官で犯人を追う立場なのだろうか。
そう言えば私松田さんがどんな犯人を捕まえてきたとか聞いたことがない。

「松田さんってどんな犯人を捕まえてきたんですか?」
「は?」
「え?警察官、ですよね?」

あれ?警察官って聞いた時凄い驚いたからこの記憶は確かな筈なんだけどな。

「ははっ!そりゃねぇぜ名前!俺は爆発物処理班だから犯人は捕まえねぇよ」

因みにお前の写真を送れって言ってるの男も俺と同じ爆発物処理班な。
と追加情報もくれだがそれどころじゃない。

私、そんなの知らないで、そんな危険な仕事をしてるって知らないで心の中で毒づいていた。
自分の狭い器量に恥ずかしさと罪悪感が募りそれが涙となって現れた。

「ごめんなさい…、私松田さんのこと、何も知らなかったっ知らないくせに心の中で毒づいていたんです…ごめんなさいっ!」

辺りは暗がりで唯一の光源は水槽から漏れる灯りだけだ。俯いてしまえば松田さんにこんな情けない顔を見せなくて済む。
でも松田さんはそんな事を許すような人ではなく、酷く優しい声で私の名前を呼んで腕を自分の方へと引き寄せる。

「名前」

松田さんと触れ合っている部分が熱を上げる。心臓が一気に騒ぎ出して密着している松田さんにまで伝わってしまうのではないかと心配してしまう。
松田さんの片腕が私の背中に回り、残ったもう片方の腕は抱きしめながら私の頭を撫でる。
トン、トン…と定期的に撫でる松田さんの手は大きくて暖かい。私の大好きな手だ。

「気にする事はねぇよ、俺が言ってなかっただけだ」
「でも…」
「泣くなって…今日は楽しいデート、だろ?」

顔を上げるといつの間にか松田さんはサングラスを外していて、整った容姿が水槽から漏れる灯りに照らされている。
普段サングラスをしている分、この素顔を見るのは久し振りで思わず見とれてしまう。

「松田さんは優しいですね」

きっと爆発物処理班だって事は私に伝えているに違いない。でも私は彼が警視庁の警察官ってだけで驚いてその後の話はすっぽり抜けていたんだろう。なのに松田さんはその事を責めたりしない。

「好きな女が泣いていても何もしない奴は男じゃねぇだろ」

なんで、こんな格好いい事が言えるのだろうか。

松田さんの顔が近づいて、それに合わせて目を閉じる。緊張で震える唇にふわりと松田さんの唇が重なり鼻腔を煙草の香りが擽る。

「顔真っ赤だぜ」
「だって…」

松田さんはするりと私の手を取り指を絡めて繋ぐ。初めて繋ぐとても恋人らしい繋ぎ方に驚き心臓が大きく跳ねた。

「来年も来たいです」
「そうだな」

私の恋人はデートの約束は遅刻もするしドタキャンもする。月に会えるのは1回位で2回会えたら奇跡だ。でも彼は命を懸けて私達を守ってくれる。私はそんな彼にいつまでも心ときめかせることが出来る。きっとこれは幸せなのだろう。

その日家に帰って鞄の中身を整理していると、鞄の内ポケットから私が前に雑誌で見て欲しいとボヤいていたピアスが丁寧に梱包された状態で出てきた。

犯人は1人しかいない。

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