パブロフの兎


歪んだ彼女と歪んだ彼

 直樹の通う学校はゆるやかな坂の上に立っている。数年前までは女子校だったらしく、共学になるとき制服も替わったらしい。今でも生徒は女性の比率が少し高いようだ。県立と市立二つの女子校を前身とし、昭和二十九年にそのふたつが合併して現在の形になったという。通っている学校のことをたずねたとき、直樹が教えてくれた。
 通学路は数種類あってどこも学生が歩いている。
 直樹もたいやきを販売している駅で下り、小さな池のある道を通って学校へ向かっていた。学生にまぎれて直樹の後をつける祐未も直樹から少しはなれて同じ道を歩いていく。この時点ですでに少し道を変えながら学校付近を何周もしていた。
 時間が経つにつれ、道を歩く学生が少なくなっていく。
 学校の授業が終わる三時過ぎまでこのあたりで待っていよう。近所にはスーパーも衣料品店もドラックストアもコンビニもあるから暇つぶしには苦労しない。
 今日の朝職員連中にはすでに話をつけた。直樹に万一のことがあっても学校から連絡が入る。そうしたらすぐに駆けつければいい。
 祐未が制服を着て学校からはなれるように歩いていっても誰も気にする様子はなかった。むしろ彼女と同じ方向に歩く生徒も数人見受けられる。家に忘れ物をしたのか別の理由なのか祐未にはわからないし興味もない。
 コンビニにでもいって雑誌でも立ち読みしてるか。
 のろのろと坂を下り民家が立ち並ぶ脇道を通って近くにあるコンビニに向かう。スーパーの看板がやけに目を引いた。関東地方に百店舗以上を展開するスーパーマーケットチェーンだ。駐車場を広く確保しており、すぐ横にセルフサービスのガソリンスタンド。道路の向かい側にはベージュ色の外壁が目を引く衣料品店が立っている。
 コンビニに飽きたらスーパーにでも行ってみよう。それでも暇をもてあましたら散歩していればいい。常に見張っていなければならないわけではないからとても楽な仕事だ。だからといって気も手も抜くつもりはないのだが。

「……ぁ?」

 脇道をのろのろと歩く祐未が立ち止まった。道路の反対側に、スモークフィルムを貼りつけた黒い車が停車したのだ。すぐにフィルムのはられた後部座席の窓がゆるゆると開き、そこから見覚えのある顔が出てくる。
 黒い帽子に黒いコート、肌が病的なまでに白い銀髪の男。
 テオ・マクニールだ。
 彼は窓から顔をのぞかせ、黒に金の縁取りをほどこしたオペラグラスでこちらを見ている。
 テオは日常生活に弱視用の杖を使用するくらい目が悪い。日常生活にルーペとオペラグラスは必需品だ。

「あいかわらず必死すぎて気持ち悪いな。お前は」

 彼はオペラグラスごしに祐未を見ながら嘲笑を浮かべてつぶやく。
 祐未は思わず眉をひそめて不機嫌そうな声を出してしまった。

「ンだってんだよ、クソ野郎が」

 だがテオはそんな祐未の悪態も大して気にならないらしい。窓から顔をのぞかせ、嘲笑を浮かべたまま

「乗れ」

 と短く指示してきた。
 逆らうとあとでいろいろとうるさいだろう。尊大なものいいにイラつきながらも、憤りはため息と一緒に吐き出して車に近づく。後ろから回りこんで後部座席の前に立つと自動的にドアが開いた。
 テオがオペラグラスを折りたたみ私物入れにしまいこむ。口元に嘲笑を浮かべたまま祐未を見た。ゴーグル型のサングラスごしで目はよく見えないがきっとこちらを見下すような目つきをしていることだろう。

「この前は、途中で話が終わってしまったからな」

 嫌々ながら後部座席に乗りこみなるべくテオから距離を置いて腰を下ろす。見計らったように男がいやみったらしく口を開いた。

「直樹の様子はどうだ。なにか不審な動きは?」

「……事件のこと、知りたがってるみたいだけど……いまンところ、変なムチャとかはしてねぇぜ」

 スモークフィルムのせいで外の景色がよく見えない。ぼそぼそと小さな声で報告するとテオが鼻で笑った。

「発病した様子はあいかわらずないんだな?」

「……ねぇことは、ねぇけどよ……」
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