パブロフの兎


冷酷な寂しがり屋その2

 携帯電話からはコール音が鳴り響いている。イライラして舌打ちするとよけいに惨めな気持ちになった。
 これでは、図星をつかれて動揺しているようではないか。バカらしい。
 祐未の指摘があっていたとでもいうのだろうか。あのバカな女の当てずっぽうが、自分の内面を言い当てたと?
 そんなことがあってたまるか。あんなバカに内面を見透かされるなんてとんだ失態だ。あのバカ女に苦手意識を抱いている時点で屈辱なのに、バカに考えを見透かされていたなんて舌を噛んで死んでもいいくらいのレベルだ。
 ああイライラする。
 愛を信じられなくてなにが悪い。信じられないものを信じるのには、自分の目で確かめるのが一番手っ取り早い。幽霊だって妖怪だって、空飛ぶ円盤だって魔法使いだって、自分の目で見てたしかめれば信じられる。
 愛だって同じだ。だから、そうしたまでなのだ。
 信じたくても信じられないものを信じるためには自分の目で確かめなければならない。
 寂しい?
 当たり前だろう。母親にも父親にも愛してもらえなかったんだから。
 母にとってテオは動いて喋るサンドバックと同じだった。父にとってテオは、自分をいたぶった憎い女の化身だった。
 愛が信じられない?
 当たり前だろう。愛なんて見たことがないんだから。
 ただ、自分でそれを認めるのが悔しいから黙っていただけだ。周りに同情されたり馬鹿にされたりするのが嫌だから隠していただけだ。
 完璧だったはずなのに。
 演技も偽装も完璧だったはずなのに、なぜあのバカ女だけには解ったのだろう。バカはバカなりに、野生の勘とやらがそなわっていたということだろうか。
 ああ屈辱だ。これ以上ない恥辱だ。いますぐ自分の頭を窓にたたきつけたいくらい悔しくて恥ずかしい。
 平然と、人の一番触れられたくない場所に食らいつきやがって。あのバカ女は遠慮というものを知らないらしい。

「ふふっ……ははっ……ははははははっ」

 だから昔からあの女は苦手だったのだ。
 深く理論的に考えず、直感的に正しいと思ったことを信じる。自分の思考回路がどうなっているかなんて考えずに、ただ自分の直感を信じて進む獣のような女だ。
 だからこそ彼女の野生の勘はなかなかに侮れない。
 電話口からはまだコール音が響いていた。いい加減電話を耳に押し当てているのもつかれてきたが、それでもテオは相手が出るのを待ち続ける。

「……俺だって同じだ……」

 つぶやいた言葉はここにいる人間に向けたものではない。だからここでは意味のない独り言になってしまう。

「ふっ……ははっ……」

 屈辱のメーターが振り切れてだんだん可笑しくなってきた。笑いが止まらない。
 祐未はバカだ。だから話していると疲れることがある。
 もうさんざん屈辱を味わってきたのだからこのさい認めてしまおう。目を逸らしていたって疲れるだけだ。
 一番目を逸らしたい場所はさっきむりやり見せつけられた。だからもういい。
 祐未はバカだけれど、長く一緒にいるから、自分の言いつける仕事をきっちりこなしているのはちゃんと知っている。バカすぎてイラつくこともあるけれど、それをおぎなって余りあるほどには

「俺だって、信じてる」

 のだ。
 祐未が世界中の誰よりも一番テオを信頼して頼っているように、テオも世界中の誰よりも一番祐未を信頼して頼っている。
 すべてが祐未の言ったとおりになるのはとても屈辱的だと一瞬思ったが、いまさらかと自嘲する。
 もうとっくの昔に屈辱のメーターは振り切れた。前々から祐未がテオのことをあんなふうに思っていたなら屈辱どころの騒ぎではない。
 だから今からテオがすべて祐未の言ったとおりに行動しようが、祐未の指摘したとおりのことを実行できなかろうが、いまさらなのだ。恥の上塗りは一定の許容量を超えればなんでもなくなってしまう。もうどうでもよかった。何かを取り繕うのも煩わしい。

「……もしもし?」

 それはとても投げやりな気持ちで、きっととても敗北感に満ちていて、吐き気がするくらい不快なはずなのに、なぜかその時テオはとても清々しい気分だった。
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