パブロフの兎


ファストフード店にて

 祐未の携帯電話にテオから連絡がきたのは午後七時を少しすぎた頃だった。

「ンだよ?」

 その時祐未はJR駅前から少しはなれたファーストフード店で夕食をとっていたところだった。赤い紙の容器に少しだけ入っていたフライドポテトをすべて口にほうりこんで電話の向うにいるであろうテオに声をかける。

『食べながらしゃべるな』

 電話越しにテオの小言が聞こえてきた。どうやらもとの調子に戻ったらしくあきれたような口調だ。

「飯食ってるときに連絡するてめぇが悪ィんだろ」

 窓側のカウンター席には直樹の後ろ姿がある。さっきまでは友人と電話していたようだが、今は静かに夕食を食べていた。こんな時間まで外をうろついていていいのかと心配になったが近寄るなと言われた以上祐未に声をかけることはできない。仕方がないからこうして少し近くで様子を見ていた。

『そこに直樹がいるだろう』

 テオが直樹を名前で呼ぶのは珍しい。だいたいはガキとかクソガキとか祐未の神経を逆なでするような呼び名を使うのに。

「……おぉ、それがどうしたよ?」

 少し戸惑ったが、テオが直樹に拷問できないことは確信しているので正直に返答する。電話越しにクスクスと笑い声が聞こえてきた。

『今回の騒動の犯人に会わせてくれるそうだ。ついていけ』

「……は?」

 祐未が裏返った声をだすと直樹が突然席から立ち上がった。

『さっき連絡をつけたら、喜んで協力してくれるとさ。俺が思ったとおり、やはりそのガキは一枚かんでたようだ』

「え? なに? 犯人って、サンプル盗んだやつ? 直樹の知り合い?」

『いいからお前は黙って直樹に案内してもらえ。話はそれからだ』

 直樹が祐未に近づいてくる。その顔に怒りはなく、でも無表情だった。
 思わず身を固くしてしまう。ずっと会っていなかったとはいえ、いや、ずっと会っていなかったからこそ、弟に嫌われるのは嫌だ。

「おい、まてよ、テオ、どういうことだよ!」

『またあとで』

 テオに詳しく事情を聞こうとするが、その前に向こうが通話を終了してしまう。
 まばらにいる人のあいだを縫って直樹が祐未の目の前に立った。

「あ……」

 無表情を貫く弟になんと言って良いかわからず、口を開いただけで硬直してしまう。もっと頭の回転が速ければいろいろなことを言えたかも知れないのに。
 言葉を探す祐未に、直樹は無表情のまま言った。

「ウサギ野郎と、取引してきた」

 ウサギ野郎というのはテオのことだろうか。あの銀髪赤目を指してそう言っているのならなかなか良いネーミングセンスだ。自分もあとでそう呼んでからかってやろう。ぼんやり、今の状況とはまったく関係ないことを考える。

「いくよ」

 いつまでも動かない彼女に業を煮やしたのか、しばらくして直樹が乱暴に祐未の腕を掴んだ。

「あっ、おい、直樹……」

 つられて立ち上がり直樹のあとについていく戸惑う祐未を直樹はなにも言わず店の外に連れ出した。

「なあ、テーブルまだ片づけてねぇんだ」

 そういったら直樹は

「ばか」

 と一言だけいってまた歩き始めた。どうやら立ち止まってくれる気はないようだ。

「どこいくんだ?」

 これではどっちが年上なのかわからない。少し恥ずかしかったが、腕を振りはらおうとは思えなかった。

「ウサギ野郎からさっき聞いただろ」

 直樹に連れられて歩く道はどこかで見た覚えがあった。駅からまっすぐ続く大通りを通って、半ばシャッター街と化した商店街に入る。

「だって犯人ってなんだよ。なんで直樹が知ってんの?」

 これから自分がどこに連れていかれるかわからなくて思わず声をあげる。
 直樹はちらりと祐未に視線をやると、すぐ前を向いた。

「色素の薄いハ虫類とか魚って、普通より高額で取引されるんだ。知ってる?」

「え? あ、うん……」

 祐未には話の流れがわからなかったが、たずねられたことには答える。
 直樹は歩きながら淡々と話し続けた。

「一部の例外をのぞいて、色素の欠乏は劣等遺伝で引き起こされる。だからそういう個体はすごく貴重なんだ。でも、それを人工的に作れたら大もうけだよね?」

 見覚えのある建物の前で直樹が足を止めた。少し広い敷地内に、平均的な建て売り住宅と大きな倉庫がある。斜め向かいにはCDショップ。
 陸のペットショップ兼自宅だ。

「陸っ、陸いる?」

 あ然としている祐未の横で、直樹が乱暴に家のドアを叩いた。返事はない。

「ははっ、あの野郎、こういう勘だけは鋭いんだ」

 なにがおかしいのか、直樹がケタケタと意地悪く笑う。そしてゆるりと視線を動かした。

「でもあいつ一人だと、いつもツメが甘い」

 視線の先にはほぼ半分をブルーシートに覆われた倉庫がある。窓にはうっすらと明かりが灯っていた。

「いこうか」

 意地の悪い笑みを浮かべたまま直樹が淡々と祐未をうながした。その笑顔がテオににていると思う。他人を見下すような笑顔だ。

「最初は魚とかハ虫類とかそういうのを売ってたんだ。観賞用として定着してるからさばきやすいし、愛好家なんかもいて、高い金で売れるから」

 直樹が倉庫に真っ直ぐ近づいていき、扉に手をかけるが、カギがかかっていて開きそうにはなかった。
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