黒い帽子に黒いコート、ゴーグル型のサングラスをかけて弱視用の杖を持った男が国際空港のロビーを歩いている。横には毛先に少し癖のある黒髪をミディアムボブにし、黒縁の丸めがねをかけた日本人の少女がいた。大胆不敵という四文字熟語の書かれたTシャツとジーパンといったラフな格好をしており、半袖からのぞく腕はとても細い。 「どうした祐未? 不機嫌そうだな」 男のほうがどこか楽しそうな口調で少女に話しかける。 話しかけられた少女は不機嫌そうな顔で口を開く。 「……直樹がICLOくるって本当か?」 「ああ。ICLOのコンピューターにクラッキングをかけられるガキを放っておけというほうがムリな話だろう?」 直樹は、祐未に兎野郎――テオと取引したと話していた。多分直樹が日本をはなれるというのも取引のうちなのだろう。どちらが言い出したことかは知らないが、祐未は昔自分がされたようなことを直樹がされるかもしれないと思うと恐ろしかった。 そうなったら死ぬ気で弟を守るしかない。 もう生きるために人間をやめてしまった身だ。 いまさらなにを恐れることがあるだろう。 直樹が死んだら、祐未が生きている意味なんてない。 「お前も、弟と一緒にいられたほうがいいだろう?」 テオは祐未の気も知らないで、予想以上に使えそうな直樹を駒にできて上機嫌だ。 祐未はなにも答えない。 直樹になにかあったら、こいつだって敵に回す覚悟をしなければならないのだ。 黙りこくる祐未になにを思ったのか、テオがクスクスと笑う。 「お前が思っているようなことは、直樹にしない」 祐未が驚いてテオを見る。 サングラスに隠れて赤い目はよく見えなかったけれど、口元に浮かぶ笑みはどうやら嘲笑ではないようだ。 「約束しよう」 楽しそうにテオは笑っている。 きっとそれは新しい駒を手に入れた喜びのせいなのだろう。それでも、彼の顔から嘲笑が消えている姿を、それでも笑顔でいる姿を、祐未は初めて見た。 ――少し、変わったんだろうか。 でも、どこがどう変わったのかはわからない。難しいことは祐未にはわからない。 「……梶山陸は、どうなったんだよ」 それにテオが変わったことを認めるのはなぜか少し悔しかった。苛立ち紛れで直樹と一緒に犯罪に手を染めていた男の名前を出す。 テオの口元に嘲笑が戻ってきた。 「そろそろ ただ冷酷なだけの嘲笑は、人を見下すことに悦びを見出していないだけまだマシだ。 「ICLOで開発されたウイルスは、なにもA-10だけじゃない」 テオはそういって笑った。 直樹はICLOにハッキングをかけて犯人を特定させないほどの才能があるけれど、陸にはそれがない。使えないから始末するのだろう。 「……口封じか?」 祐未がたずねると、テオは 「事故だ」 と一言だけ答えた。 「……やっぱりお前は、なんにも変わってない。命を奪うってことを、なんとも思ってないんだ……」 周りを通り過ぎる人々は、誰も二人の会話を聞いていない。 テオが口を開く。 「それはお前も同じだろう? ウイルスで凶暴化しているときだって、理性が完全にふっとんでいるわけじゃない。誰だって、自分が生きるために他の何かを殺すんだ」 そういって彼はまた声を上げて笑った。 テオはただ笑うだけだ。 祐未がこんなに口答えをしていれば、いつもなら殴られている。 ただ、ここが空港のロビーだから殴られないのか、それともテオがそういう気分でないのか、あるいはまったく違う理由なのか、祐未にはわかりそうもなかった。 しおりを挟む目次 戻る [しおり一覧] |