デルタの番犬


腹芸

 直樹が黒い画面に表示されたプログラムを改変すると別のモニターに連動して表示されていた監視カメラの映像が変化する。リアルタイムから録画に切り替わった映像はプログラムを調べないかぎり区別がつかないだろう。赤外線ビームセンサーのシステムに入り込み、動きを停止させると装着していたイヤホンマイクを使って現場に待機している姉へ連絡を入れた。

「姉さん、監視カメラと対人センサーは停止させたよ。復旧だけでも最低十分は掛かる」

『了解。サンキュー、直樹』

 ノイズの混じった姉の声が耳元で聞こえる。

「仕事だから。……気をつけてね」

『ありがとう!』

 短い言葉と共に通信が切れた。連動モニターとプログラムを確認してまだ敵に気づかれていない事実を確認する。一息ついて椅子に深く腰かけると、膝を抱え込むようにして体を丸めた。右手は忙しなくボールペンを回転させている。
 テオは現在意識不明の重体だ。医療班が全力で治療にあたっているが撃たれた場所が悪く出血が多い。祐未のように体力があるわけでもないから乱暴な治療はできないだろう。最悪の場合このまま目が覚めないこともありうる。そうなれば当然テオの後釜に誰を据えるかという話になってくるだろう。勢力争いが起こることは必至だ。
 テオは事実上ICLOの最高責任者であるから、『ポスト・マクニール』は自分の研究室に優位に物事を運べるのはもちろん、やりようによってはすべての研究室の研究を報告させることさえ可能だろう。ただ現在のICLOメンバーはほとんどがテオの構造改革後参加したメンバーなので、彼ほどこの組織の構造や歴史、全容に詳しくはない。それ以前に所属していたメンバーはほとんどがテオによって駆逐されてしまった。一握りの人間がまだ『人体実験の材料』としてICLOに残っている。他の人間の末路を直樹はあまり思い出したくなかった。
 直樹にとって重要なのは、テオの後継者になった人間がNSM――ネットワークセキュリティ対策室の今回やらかした失態をどう処理するのか、だ。警備システムを的確に破壊する所業はICLOの内部情報を手に入れなければ不可能である。ダミー回路を取り付けた手口にしても、警報装置の設計やダミーをどこに設置すればいいかは職員をスパイに仕立て上げるかクラッキングするかして情報を入手しなければ実行できない。テオに引き抜かれた現NSM主任の直樹はICLOのサーバーにクラッキングを仕かけた経歴があり、十五歳という年齢は若い研究者の多いICLOでも殊更目立つ若さだ。高校生に主任を任せている苦々しさとクラッキングを許した悔しさで今でも直樹を目の仇にしている者は多い。有無を言わさず今回の戦犯にされる可能性は高かった。テオがいれば――悔しいことに、ICLO職員で一番直樹の腕を買っているのはテオなので――そんなことはないのだが、テオがいなくなれば話は別になってくる。


 薬化のアダム・グベンコは唯一テオより古株の研究員だが日和見の食えない爺さんだ。テオが彼を駆逐しなかったのはアダムが非常に優秀で変わりがいなかったというのもそうだが、野心もなく実害がないからというのが大きい理由であるらしい。勢力はそれなりの規模をほこるが、頭が日和見である為他所の事情にまで介入する可能性は皆無だった。つまり直樹が吊し上げにあったとしても一切関与しないだろう。

 医学の西野リリアンも同上だ。強いて言えば薬化よりもマクニール派だが、勢力争いに参加するとは考えにくい。

 人化でテオに次ぐ実績の持ち主はハル・アイベールという女だ。遺伝子操作の分野ではテオよりも実績がある。ただし政治的センスは皆無。テオも研究に関しては率先して彼女に経験を積ませようとしているようだが、政治的なものに関しては一切関与させていない。ハルも他人に興味がないタイプなので職場の人間関係や勢力争いにはとことん疎かった。御輿としての素材は充分だが、力不足の感が否めない。仮に彼女がテオの後釜になったとしても周囲の声に押されて行動することは必至だ。彼女自身に働きかけても意味はない。
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