バナナフィッシュにうってつけの日


3

 裕未という女は、テオが知り得るなかで最も美しいバナナフィッシュだ。

 シーツの上で丸くなる裕未を見て、テオはひとり考える。

バナナフィッシュが欲望の制御がきかない生き物の呼び名なら、この世にはバナナフィッシュしかいない。その中で一番美しくバナナフィッシュが、裕未だ。彼女は生というバナナを飽くことなく食らい続け、そのためだけに生きている。

 生き延びるために生きている、野性の獣。

 本能に従い己のみを信仰するそれは、心に自由を飼う欲望の化身であり、己しか信じないからこそ美しく雄々しく、魅力的だ。

 自由は、自由を意識した時点で自由ではなくなる。定義があっては自由にはなり得ない。
 純粋も野生も自由と同等で、定義を求めた時点ですべては本来の意義を失ってしまう。

 それらを持つのは、いつもそれの存在さえも知らないような生き物だ。

――人の姿をしていながらそれらを持つのは、容易なことではない。

 希少価値の高いものは、いつの時代もひどく美しいものだ。

 ライオンは、雌が狩りをするという。その姿は美しく優雅で、雄々しく恐ろしいはずなのに人々を魅力する。

 テオの目の前にいるのはまさに、その雌ライオンのような存在だ。

 生き延びるために生きている。
 彼女の本能はすべてが生を欲して、生きたいと言う欲望が体を支配している。

 それは、この世で最も美しい、欲望と本能の、己自身の奴隷の姿。


 己に危害を加えるものには容赦なく死をあたえるであろう、自由と純粋と野性と、死の、象徴だ――


「……ふっ……」

 自分の考えが自分で笑えてくる。よくもまあ、そんな大仰な言葉でひとりの人間を飾れるものだ。

 それはもしかすると、自分には一生手に入らないものを彼女が持っているからなのかもしれない。

 すくなくともテオは、彼女のようにがむしゃらに生きたいとは願わない。死は時として、彼にとって酷く甘美な誘惑だ。

「あんたは、だから死んだのか? シーモア……」

 口に出して答えのでない質問をしてみたら急に馬鹿らしくなって、テオは滅多に吸わないタバコを引き出しの奥から取出し、美味くもなんともないそれに火を点けた。
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