スイート・バニラ・ガール


2

「……なんだ、その甘ったるい匂いは」

 仕事が終わり、疲れた体で報告のためにわざわざ顔を出した裕未に対して、嫌味な上司は開口一番そう吐き捨てた。色素を忘れた白銀の髪に炎の様にギラギラ光る赤い目を持った男――テオの顔をまっすぐ睨み付けて、裕未は口を尖らせてみせる。

「仕事中、ソフトクリーム屋にぶつかってバニラの原液かぶった」

 裕未の答えが可笑しかったのか、テオが声を出して笑う。裕未も自分が間抜けな自覚はあったから、口を尖らせたまま静かに眉をひそめた。

「バカか」

 わるかったな。と彼女がぼやけば、テオはまた笑い声をあげる。裕未は口をへの字に曲げたまま彼の元に歩み寄り、放置された椅子にどっかと腰をおろした。

「とにかく、ヤク中野郎はとっつかまえたぜ。あのクスリ使って生きてるの、あいつだけなんだろ?」

「ああ」

 バニラの匂いを振りまく裕未がよほど面白いのか、ニヤニヤと笑ったままテオが言う。なにもそんなに笑うことはないだろうと思ったが、からかえる要素があればとことんからかうのがテオという男だ。

「……甘ったるい匂いがするな」

 案の定、テオはニヤニヤしながら本日二度目のセリフを吐いた。

「もう聞いたよ」

 裕未が呆れたように吐き捨てると、テオはニヤニヤ笑ったまま彼女を手招く。

「なんだよ?」

 裕未が腰掛けた椅子を引きずり彼の元へよると、自然に首を突き出すような形になった。テオが呆れたようにため息をつき、言う。

「行儀が悪いぞ」

「うるせぇ」

 裕未が反論すると、テオはまたため息を吐く。その後、自身も身を乗り出す様にして彼女に顔を寄せた。裕未は思わず驚いて身を退いたがその時にはもう手遅れで、裕未の唇から少しずれた、頬のあたりを生暖かく湿ったものが撫でる。

「はっ?」

 裏返った声が出るのは仕方ないだろう。裕未が慌てて頬を擦ると、テオの口から

「失礼な」

 という声がもれた。失礼なのはどっちだ。いきなり人の顔を舐めやがって。裕未は怒鳴りたい気持ちをなんとか堪えて、飄々としている上司を睨み付けるだけにとどめる。しかし男は裕未の視線などまったく気にしていないらしく、何事もなかったかのような顔で

「……甘くはないな」

 と、つぶやいた。彼の意図が読めず、裕未は眉をひそめて声を荒げる。

「はぁっ!?」

「あまりにも甘ったるい匂いをさせるものだから、本当に甘いのかと思った」

 椅子を引きずり後退した裕未に、テオはなんでもないことのように言う。

「思いの外似合ってるぞ、その匂い」

 なにをバカな事をと、今度こそ裕未は声を荒げた。

「ばっ、バカかてめぇ!」

 怒鳴り散らした裕未に対して、テオはからかうような笑いを浮かべてみせる。彼の表情を見て頭に血が上った裕未は、椅子から勢い良く立ち上がって乱暴な足取りで扉へ向かう。

「今度、バニラのかおりがする香水でも買ってやろうか?」

 背後から聞こえてきた声には答えず、勢い良く扉を閉める。すると、部屋の中なから弾かれたような大きな笑い声が聞こえてきて、裕未は赤い顔をますます赤くしてしまった。
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