あたしのダフネ・コンプレックス


2

「……なぜ、抵抗しなかった?」

 裕未の頭からシャワーのお湯をかぶせ、テオが言った。裕未は撥水性のタイルにぺたりと座り込んで、飼い犬の体を洗うような態度のテオを見上げる。

「あの部屋で騒げば誰か来たはずだ。お前は貴重なモルモットなんだから、この施設内の人間以外と接触するのは、あまり望ましくない。抵抗できる人間とできない人間くらい、うまく見極めろ」

 施設内の人間に似たような事をされたら、抵抗はできないのだろう。被害は出るが、それを最小限にとどめろという……ありがたくもなんともない忠告。たとえるなら、誘拐されるのは仕方がないけれどせめて殺されるなと言っているような。

「……どうせ、かわらないでしょ……」

 だから裕未は、テオを見上げたままポツリと呟く。彼は真っ赤に燃える目で祐未を見た。そしてなんの感情も読み取れない声で、また有難くもなんともない忠告をしてくる。

「ストレスの原因はできるだけ排除するべきだと言ってるんだ。人間として最低限の脳みそがあるなら、わかるだろ?」

 言いながら彼は祐未にむけてバスタオルを放った。視界が布に遮られてなにも見えなくなる。

「……人なんか……きらい……」

真っ白な視界の中で祐未が呟くと、テオの動きが一瞬止まったようだった。どんな表情をしているかは、わからない。

「人なんかきらい……いつもいじめるばっかりで、痛いことするばっかりで、気持ち悪るくて……人間なんか大嫌い……」

 祐未の知っている人間は、なにかを痛めつけずにはいられなかったり自分以外のものを生き物だと思っていなかったりする連中ばかりだ。周りの人間がみんな優しくて暖かかったのは過去のことになりつつある。

「だからあたしは……人間なんかになりたくない」

 そんなものが人間だというなら、祐未は獣で充分だ。
 撥水性タイルにぺたんと座り込んだまま彼女が言うと、テオは祐未の頭に被せたバスタオルで彼女の体を拭き始める。

「……なら、全ての暴力に屈して生きていくつもりか?」

 祐未の髪を乱暴に拭きながらテオが言う。
 暫く沈黙したあと、祐未は答えた。

「……あたしが……弱いからだめなの……」

「それで?」

 水滴を拭き取った祐未の体を、テオが無理矢理立たせた。引きずられるようにしてシャワールームをあとにした祐未はうつむいたまま口を開く。

「強く……なる。誰にもいじめられないように、強くなるから……」

 視界から布が消え去ったので、祐未は顔をあげた。真っ赤な目をした少年の顔が視界に飛び込んでくる。

「そのためだったら、なんだってやる」

彼女がそう言うと、目の前の少年はこの上なく嬉しそうに笑った。
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