君はリリーを知っているか?


「俺にわかる言語で喋ってくれ」

 夕食を食べて二時間後、リリアンはベッドに潜り込んでいた。しばらく横になっても眠れなかったので、仕方なく寝床から這いずり出て本を読む。昼間の出来事で疲れきっていたので専門書を読む気にはなれない。大人しく家から持って来た薄い本を眺めることにした。
 3冊ほど男同士の情事を眺めたところで、リリアンはふと手を止める。
 ベッドサイドに置いてあった携帯が電話の着信を知らせていたのだ。彼女は少し迷ってから、結局本を置いて携帯電話を取る。通知は母親からだった。

「……もしもし」

 電話口から、聞き覚えのある早口が聞こえてくる。

『リリアン? 母さんだけど』

「うん。どうしたの?」

『ジュリアンが貴方に会いたがってるのよ』

「姉さんが?」

『そう。アメリカから帰ってきてるの。あなた、週末に帰ってこれない?』

 女は思わず目を伏せた。幼い頃からのクセだ。特に家族と話すときは顔をあげていられない。怒られそうな気がするから。

「……ちょっと忙しいから無理」

『貴方そんなこと言って、クリスマスも帰ってこなかったじゃない! ジュリアンはこんなことなかったのに……』

「うん。ごめんね。ドリーが熱だしちゃって、いつ治るかわかんないから今週はちょっと無理なの。今から様子見に行くから」

『ちょっとリリアン! まだ話は終ってないわよ!』

 電話口から聞こえる母親の声を無視して彼女は通話終了ボタンを押した。それから本をしまって、大きく背伸びをする。
 色々あってとても疲れているはずなのに、全く眠くならない。脳が興奮しているのか、緊張しているのか、眠っている間に誰かが部屋に侵入したらと思うと怖いのか――どうしても部屋の明かりを消す気になれなかった。
 従順している彼女の耳に、カタン、と小さな音が聞こえる。1階からだ。

「……っ!」

 大げさなほど肩を揺らして息をのんでしまう。
 昼間のこともあって、リリアンはまた話の通じないストーカーでも不法侵入したのではと考えた。しかしよくよく耳をすませてみると、トイレの水を流したような音がしてくる。隆弘かドリーが起きているのだろう。
 時計を見るとすでに12時を過ぎていた。彼女には他人の睡眠時間や生活リズムにどうこういう趣味はないのだが、今は物音が気になる。1階に様子を見に行くことにした。どうせこのまま部屋にいても眠れない。

 リビングに明かりがついていたので覗いてみると、起きていたのはきぐるみパジャマを着た西野隆弘だ。

「西野」

 リリアンが声をかけると、隆弘が顔をあげる。

「隆弘だ。名前で呼べって何回言えばわかる」

 彼はハードカバーの本を読んでいた。タイトルからして経済学の教材だろう。相変わらずタバコを2本咥えている。
 リリアンは、物音の正体を確認したからといって素直に部屋へ戻る気にはなれなかった。せっかくなので疑問に思っていたことを尋ねてみる。

「なんでタバコ2本も吸ってんの?」

 隆弘が本を読む手をとめ、タバコの煙を吐き出す。

「いや、別に」

 隆弘の口がヘの字に曲がっている。視線が女と本の間をいったりきたりしていた。どこか落ち着きがない。
 男の様子をしばらく観察していたリリアンは思う所があって

「あ」

 と声をあげた。

「もしかして機嫌悪いとタバコの本数増える系? そんな増えかた初めて見たぜ。身体に悪そー!」

 隆弘が拗ねたように顔をそらす。

「テメェの胡椒よりマシだぜ。あれ蓮の種みてぇじゃねぇか」

「私蓮コラ結構好きなんだよね。1回受けが蓮コラみたいになる病気のままセクロスするホモ本描いたら引かれたわ」

「おいなんだそりゃ」

「何人かには目覚めたっていわれたけど」

「俺にわかる言語で喋ってくれ」

「私のストレス発散法はホモ漫画描くことだよって話」

「馬鹿じゃねぇのか」

 リリアンが視線をテーブルに移した。可愛らしいカンガルーが表紙のノートと犬のアクセサリーがついたシャーペンが置いてある。ファンシーなお勉強セットの横には隆弘の読んでいるものとは別に分厚いハードカバーが置いてあった。核平和交渉に関する本のようで、他にも同じ題材のコラムが載った雑誌などが置いてある。
 リリアンはとりあえずハードカバーを手にとってパラパラと捲った。
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