君はリリーを知っているか?


「信じてやる気になったのさ」

「バルボ教授が行方不明になる3日前、研究室でネズミが空を飛んだの」

 彼女は研究室でバルボ教授と共にネズミが空を飛ぶさまを目撃した。今でも思い出しただけで身体が震える。

「ネズミの身体に、目に見える変化はなかった。ジャッキーと同じ……窓から飛び出して、フクロウに狩られて死んじゃった」

 隆弘はじっとリリアンを見つめている。彼女の話の真偽を見極めているようだ。

「バルボ教授は喜んでたけど、私は……怖くて……廃棄するようにお願いしたんだ……」

 世紀の発見だとはしゃぐバルボは当然リリアンの言葉に渋い顔をした。それでも彼は、その時確かに頷いてくれたのだ。

「教授は、決心する時間が欲しいって……私がひとつだけ保存しておいてくれって言って、残りは、私の目の前で廃棄してくれたけど……私の持ってる、そのひとつを廃棄するのに、少しだけ時間が欲しいって……」

 コバルトブルーがリリアンを見ている。彼女に目を逸らすことはできなかった。

「私も、バルボ教授の、気持ちは痛いほど解ってた……心のどこかで凄いと思ってたし、廃棄するのは惜しいって、思ってたんだ……だから、決心が必要だって言葉も、よくわかってた……教授の、決心がついたら、最後のひとつを廃棄して、なかったことにしようって、思ってたんだ……!」

――それが、こんなことになるなんて!

 リリアンの視界に目一杯移り込んだ隆弘が歪んだ。エメラルドを覆った水の膜が臨界点を突破し、白い頬を伝う。

「ごめんなさいっ! 人が、人が死ぬなんて、思ってなかったっ! 少し考えればわかったはずなのにっ! ルーベンが死んだとき、すぐ処分しちゃえばよかったんだっ! 警察に話してればよかったんだっ! ネズミが空を飛んだときに、無理やりにでも、全部燃やしてればよかったっ! そうっ、そうしたら、みんな巻き込まれなくてすんだのにっ! 死ななくてもよかったのにっ!」

 隆弘は泣きじゃくるリリアンをしばらく見つめていた。やがてゆっくりと女の肩から手を放し、ベッドに沈んだ彼女を助け起こす。

「……警察に言っても、信じて貰えなかったと思うぜ。過ぎたことはいくらいったってしょうがねぇしな」

 上半身を起こし、ベッドに座り込んで泣きじゃくっていたリリアンが隆弘を見上げる。驚きで大きく見開いた目から、いつのまにか涙が引っ込んでいた。

「信じて、くれるの……?」

「嘘ならもっとうまく吐くだろ。そんな荒唐無稽な話、ガキだって思いつかねぇよ」

 それに、と呟いて男は言葉を句切った。一瞬目を伏せ、すぐ女をまっすぐ射貫く。

「アンタが、初めて人の目を見てしゃべったからな。信じてやる気になったのさ」

 言われて、彼女は咄嗟に俯く。そしてこれではいけないと思い直し、まだ目尻に残った涙を急いで拭き取った。
 なるべく明るく、笑顔を作って隆弘を見上げる。

「ありがとう」

「かまわねぇよ。ところで、ネズミが空を飛んだのは、教授が行方不明になる3日前だと言ってたな」

「うん。そうだけど……」

「フクロウってことは、ネズミが飛んだのは夜だろ。何時のことだ」

「確か、夜、9時くらい……だったと思うけど……それがどうかしたの?」

 リリアンが首を傾げる。隆弘はまいったとでも言いたげに、頭を乱暴に掻いた。

「教授が行方不明になったのは2ヶ月前の第2日曜日だ。3日前っつーと木曜日。毎週木曜日は弁論部ユニオンがある。夜の8時半から10時までだ。2ヶ月前の第2木曜っつったら、俺がユニオンでジャッキーをコテンパンにノしてたはずだぜ。目撃者は当時の参加者全員だ。ネズミが空を飛んだのが9時だってんなら、あいつはどう足掻いてもネズミが空を飛ぶ姿を見られねぇ」

 女は3回ほど瞬きをして、それから慌てて立ち上がった。
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