君はリリーを知っているか?


「手間ぁかけさせやがって」

 女が赤髪に向って手をかざし、睨みつける。彼女の視界が一瞬白く輝いた。

「隆弘をあんなに傷つけたのは私とあんただ! 絶っ対、許さないっ!」

「やっ、やめろリリア……ぐっ、ぎゃっ!」

 男が雪の中に押しつけられる。肺の中の空気を吐き出した拍子に笑い袋のような音が漏れた。女は無表情のまま、かざした手を握りしめて赤髪の身体へ更なる重圧を与える。
 男の手があり得ない方向に曲がり、木の枝が折れる音がした。

「ぎゃっ、ぎゃぁあぁあっ! うぎゃぁああぁあっ!」

「うるさいから、黙ってくれる?」

「ぐぎっ……」

 リリアンが人差し指をツイ、と動かすとルーベンの顔が雪の中に押しつけられた。女の右目から血が流れてポタポタと白い雪の上に落ちる。
 リリアンの足がもつれた。身体がグラリと傾き雪の上に左膝をつく。血を流しすぎたのだろうか。呼吸が苦しい。口の中に溢れる血を吐き捨てた。
 とっとと目の前の男を潰してしまおう。それさえできれば死んでしまったってかまわない。
 女の頭上に火の玉が生まれた。ルーベンはすでに動かない。気絶したのか、死んだのか。確認するのも面倒なのでひと思いに叩き潰してしまおうと、右手を動かす。
 突然背後から声が聞こえた。

「やめろリリアン」

 聞き覚えのある声だ。頭上に生み出したはずの炎がかき消える。彼女の背中に暖かい壁が触れた。

「それ以上はお前が危ねぇ」

 鍛えられた腕がリリアンの肩を抱き、腰を引き寄せる。頬のすぐ横に端正な顔が現れた。少し疲れているようだ。

「隆、弘……目が……醒めたの……?」

「ああ。傷が治っていつまでも寝てるほどヤワじゃねぇからな」

 肩を抱いていた手が女の頬に触れる。彼女は慌てて自分の顔を隠した。

「顔、見ないで!」

「なんで」

「今、血だらけで……鼻血とかでて、き、汚いから……」

 隆弘が声を上げて笑う。

「汚くなんかねぇよ。むしろ血塗れなんてちょっと刺激的でセクシーなくらいだぜ?」

 リリアンの肩が大きく揺れる。目頭が熱くなって涙が出た。

「ばっ、ばっかじゃないのっ……」

「ああ。そうかもな」

 隆弘が喋っている。立って動いている。それだけでリリアンはとても嬉しい。
 隆弘がまた彼女の頬を撫でた。

「おい、こんなとこさっさと出ようぜ、リリアン」

 女は咄嗟に振り向こうと思ってやめる。男の顔を見るよりも、自分の顔を隠すほうが重要だった。

「だって、こいつらほっけないよ!」

「もう気絶してんじゃねぇか。こんなもんあとは警察にでもまかしときゃいいんだよ」

 遠くからサイレンの音が聞こえてくる。隆弘がそら、と声を上げた。

「公務員様が重役出勤してきたぜ。こうなったら逃げられやしねぇんだ。もういいだろ」

 言うやいなや彼は強引に女の身体を横抱きにする。彼女は慌てて足をバタつかせた。

「ちょっと、隆弘!」

「今はてめぇのほうが重症みてぇだぞ。いいから黙って運ばれろよ」

「うー」

 リリアンがうなり声をあげると隆弘が笑う。少し口を尖らせた女が、目を伏せて男の服を掴んだ。

「ねぇ……ごめんね……」

「なんで」

「私、すごく、どうしようもない理由で……あんな奴のために、隆弘の気持ちを踏みにじったんだ……」

「気にすんじゃねぇよ」

「それと、すっごい怪我させた」

「女に殴られんのは慣れてる。まあ、こんなにやられたのは初めてだが……喧嘩だと思えばなんてことはねぇや。だれかさんのお陰で治ったしな」

 リリアンが隆弘の胸に顔を埋める。心臓の音がした。

「ところでリリアン」

「……なに?」

 頭がぼんやりしている。裾の破けた子猫のシャツに顔を埋めたまま女はもごもごと口を開いた。
 隆弘は一瞬言葉に迷ったようで、少し間をあけてから喋りだす。

「お前、借家が見つからねぇなら一緒に住まねぇか? 今なら安くしとくぜ」

「うん」

「早いなおい」

 いいのかよ、と男が少し驚いた声をあげる。自分で提案しておいて戸惑っていた。
 リリアンは顔を隠したまま笑う。

「でも、今頭がぼんやりしててよくわかんないから、落ち着いたあとにもっとちゃんと言って欲しいな」

「おまえさっきうんっていったろ」

「そうだけど。もっとちゃんと言って欲しいな」

 男が軽いため息をつく。

「手間ぁかけさせやがって」

「ごめんね」

 謝罪したものの、彼女の声は弾んでいた。隆弘がもう一度ため息をつく。

「俺は自分から告ったことなんかねぇんだぜ。それを3回もリテイクくらわせるなんざぁ、良い度胸じゃねぇか」

「次は、なにいわれてもうんって言うよ」

「絶対だぞ」

 サイレンの音が近づいてくる。女は笑顔で、それこそうん、と小さく頷いてみせた。
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