神戸さんとオマール海老

平々凡々と暮らすOLの私には付き合って一年になる恋人がいる。
恋人の名は神戸大助。かの有名な神戸財閥の御曹司である。

何故住む世界の違う大富豪の彼と庶民の私がお付き合いしているのか分からないが、気が付いたらそうなっていたのだ。
ただ街中でワイヤレスイヤホンを落とした先が彼の足元だったというだけなのに、いつの間にか恋人になっていた。
これは世界七不思議の一つである。

彼は御曹司でありながら警察官としても働いていて、とても多忙なお方だ。
先週は香港に滞在しており、帰国後は新幹線の立てこもりやら何やら色々な事件に関わっているらしかった。

メッセージアプリでやり取りはしているものの、実際にデートをしたのは二回である。
もう一度言う、付き合って一年でデート二回だ。もちろん手を出されたことも無い。

果たしてこれは恋人といえるのだろうか?
もしかして、お金持ちならではのお遊び?ただのキープなのでは?と勝手にぐるぐると考えていると、ヴヴッとスマホが神戸さんからのメッセージ通知を知らせた。

そこには[今週金曜の夜、空いているだろう。デートでもしないか?]の文字
でーと???デート?!!デートだと?!半年ぶりのデート?!

キープではない可能性が1ミリでも浮上した途端私は舞い上がり、瞬間的にスマホに指を滑らせた。

何故彼が私の空いている曜日を把握しているのかは知らないが確かに今週の金曜日は空いている。
いつもは友人と飲みに出掛けたりするのだが偶々空いているなんて、なんてラッキーなのだろう。

デートに行ける旨を伝えると早速返信が来た。
[お前の仕事が終わる時間に迎えに行くから会社の外で待っていろ]
神戸さんは私の仕事が終わる時間まで分かるらしい。流石は大富豪、よくわからない。

AIの執事とやらがいるという話も聞いているがその執事が調べているのだろうか。
とにかく今週末には神戸さんに会えるのだ。
年甲斐もなくデートの日を楽しみにしている自分がいた。



そしてデートの日はあっという間にやってきた。
朝からいつもより念入りにメイクを施し、いつもより少しお洒落な服をチョイスして出勤するという浮かれ具合である。
仕事終わりに神戸さんに会えるというだけでいつもの風景が違って見えるのだ。

早く神戸さんに会いたくて、定時に仕事を終えられるよう段取りをし予定通り終わらせた。

最後にメイクを直し、普段あまり使わない上品なワインレッドのルージュを引いて職場の外に出ると、黒い外車が近くの道路脇に停まっているのが見えた。彼の車だ。

自然と笑みが溢れ、彼の車へと近寄る足取りは普段よりも軽やかだ。

「乗れ。行くぞ。」

運転席の窓が開いたかと思えばその二言。口数は少なけれど、そんな所も好きなのだ。
二つ返事で助手席に乗り込むと、神戸さんは慣れた手つきで車を発進させた。

「お久しぶりです神戸さん。前回お会いしたのは半年前ですね。お元気でしたか?」
「ああ、4ヶ月と15日ぶりだな。俺は特に変わりない。お前も元気そうで何よりだ。」
「ふふ…それで、今日はどちらへ?」
「ホテルだ」
「ほっ…?!」
「ディナーを予約した。台場のヒルトンだ。」
「あっ、良かっ…て、え?今ヒルトンて言いました?」
「そうだが。問題でもあるのか。」

問題しかありません神戸さん。何故毎度デートでそんなお高い所に行くのでしょうか。

過去連れられたのはフォアグラの美味しいお高いお店、二胡の生演奏を聞きながら食べる高級中華、そして今回はお高いホテルのディナー。
デートって普通はどんなだったっけ?と1人百面相する私を横目に神戸さんはこう言った。

「安心しろ。個室だ。」
違うそうじゃないと思いながら、私は何故かありがとうございますと返答した。

気付けばホテルに到着し、貸切られた広い空間に私と神戸さん2人のみという庶民大混乱の図が出来上がっている。
確か先程彼は「個室」と言っていたはずだが、これは個室ではない。
普段は様々な客で賑わっているであろうレストランのワンフロアが貸し切られているのだ。
大きな窓からは東京の夜景が広がっており、レインボーブリッジのライトアップされた姿が良く見えとても綺麗だった。

「この景色が気に入ったのか?」
「気に入ったというか、夜景が綺麗だなぁと思いまして」
「そうか。住む家はこの方角で決まりだな」
「ええと…?」

何だかよく分からないけれど、神戸さんが満足そうに頷いているからいいか。
そうこう話していると、このレストランのシェフであろう方が入ってきた。

「神戸様、いつもご贔屓ありがとうございます。本日も通常メニューの他、特別オーダーも承っておりますのでなんなりとお申しつけ下さい。」
「ああ。いつも助かっている。手間をかけるな。」
「とんでもございません。」
「お決まりになりましたらお呼び下さいませ」
「分かった。」

このホテルは神戸さん御用達なのだろう。
なるほど、神戸さんにとってホテルでディナーを取るのは普通の夕飯と同じ事なのか。
また彼の事を一つ知ることが出来た気がする。

「何が食べたい」
「神戸さんのお好きなもので大丈夫です。私が支払えそうな金額のものでお願いしたいですが…」
「何故遠慮する。お前の好きなものを選べばいいだろう。金は全て俺が支払うといつも言っている。」
「いえ、そういう訳にはいきません。私も神戸さん程ではありませんが一応働いてますので…」
「何故だ。恋人なのだから当たり前だろう。遠慮はいらない。」
「こいびと…?!」
「?恋人だろう?恋人じゃないなら何だと思っているんだ。」

「えぇと、大変申し上げにくいのですが、てっきりキープとばかり…」
「……何故そう思ったかは知らないが、愛する女以外と過ごす時間ほど無駄な時間はない。俺は愛した女しか食事にも誘わないぞ。」
「あ…ごめんなさい。神戸さんの事を少しでも疑ってしまって…」

「大方、交際期間と逢瀬の回数が比例しないからといった理由だろう。これはお前を不安にさせてしまった俺の責任だ。お前が謝ることではない。すまなかったな」
「あ、謝らないでください。そりゃあ、お会いできたら嬉しいですけれど、我儘を言って神戸さんを困らせたいわけではないですし」
「お前の気持ちは分かっているから問題ない。ひとまずこの話は終わりにしよう。」

予想外のタイミングで神戸さんの気持ちを知ることになり嬉しいやら恥ずかしいやらで頭がパンクしそうだ。
神戸さんの恋人という関係を再確認し、緩みそうになる頬を必死に抑えた。

「それで、何が食べたいんだ」

そうだった。今は料理を選ばなければ。
「こちらをどうぞ」と先程シェフから手渡されたメニューは品名がカタカナばかりで訳が分からない。フランス語のような単語がずらずらと並んでいて完全お手上げ状態である。

「あの、コースはないんでしょうか…。その、お恥ずかしながらこういったお料理に疎いものでして」
「アラカルトで自分の好きなものを選んだ方が合理的だろう?それにお前は少々痩せすぎていて見ていて不安だ。もっと食べた方がいい。そうだな…では俺が選定しよう。」
「ありがとうございます。」

助かった。普段からスーパーの見切り品を見繕い、胃に入ればなんでもいいや!というノリで料理をしているズボラな私にこういったお高い料理を選ぶのは100年早いのだ。
粗相をしない為にも神戸さんに選んでもらうのが得策である。

神戸さんはシェフを呼ぶと、メニューを真剣な眼差しで見つめながら私に尋ねた。
「オマール海老は好きか?」
「…?」
オマール海老、聞いたことがある。なんだっただろうか、ああ、ロブスターか。
オマール海老なんて高級な食材を食べたことは無いが、エビフライは好きだし海鮮も好きなので恐らく「好き」の部類に入るはずだ。

「海老なら好きですが…」
「そうか。では、オマール海老とホタテのポアレ、それからローストペッパーのガスバチョも頼む。」
「かしこまりました。」

その後も神戸さんはオードブルやらアントレやら呪文のような単語をスラスラと言いながら注文していった。
途中で「この牛はどこ産だ?」などとシェフに質問していたが私には何がなんだかよく分からなかった。

テーブルに並べられたお料理はネットの写真でしか見たことがないような高級フレンチそのもので。

どのお料理も上品な味でとても美味しかった。
私の語彙ではこの感想が限度である。
神戸さんおすすめのオマール海老もとても美味しくペロリと平らげてしまった。

普段は小食なのだが、珍しく胃がはち切れそうな程食べてしまった為にお腹が苦しい。
神戸さんはと言うと、私が美味しい美味しいと言いながら食べるのを心なしか嬉しそうな笑みを浮かべながら見ていた。

「美味かったか?」
「はい!とても!でもいつもこんな高級なお店に連れて頂いてばかりで申し訳ないです」
「お前は何も気にしなくていい。安心もできたしな。」
「はぁ…、安心…ですか?」
「ああ、先程も言ったがお前は細くて折ってしまいそうだから気になっていたんだが、あれだけ食べられるなら安心した。」

そう言われ、自分の身体を見下ろしたが自分が痩せていると思った事は一度もない。
むしろもう少し絞らねばと思っている程だ。

好きな人に痩せていると言われるのは嬉しいが、要はもっと太れという意味なのだろう。複雑な気分である。

「お前を抱いたら壊してしまいそうだったから今まで手を出して来なかったが、これで心置きなく抱ける。」
「へっ?!」
「さあ、行くぞ。」
「待ってください、行くってどこへ?!」
「スイートルームに決まっているだろう」
「えぇ?!」
「1年も我慢したんだ。今日こそ抱く。覚悟しておけ。」

いつも通り私の少し先を歩く神戸さんは少し余裕がなさそうだった。
どうやら私はこの後神戸さんに美味しく食べられてしまう運命のようだ。

恥ずかしさと嬉しさで高鳴る鼓動を感じながら彼の後をついていく。
私達の関係はまだまだ始まったばかりである。