紺碧の番い

女子部員が市民大会の団体戦に出た祝いをするから一緒に夕飯を食べないかと雅貴と蓮に誘われ、名前は弓道部員で賑わう夜多神社の母屋にお邪魔していた。

「今日は本当に楽しかったね」
「また3人で引きたいですわ」
「うん。そうだね」

「あれ、マサさんの彼女さんだ。めっちゃ仲良さそうだよね、あの2人!」
「名前さん、凄い良い人だよ。」
「てか湊お前何でマサさんの彼女さんと面識あんだよ意味わかんねぇ。俺は知らねぇのに」
「かっちゃん嫉妬しないの」
「湊は知らない間に人脈広げてくからね」

賑やかしいその雰囲気を背後に感じながら名前は台所で焼肉の食材の準備をしていた。
最後の玉ねぎを手に取ると切り分けていく。

「悪いな、手伝わせるつもりはなかったんだが」
「私が好きでやってるだけだから雅貴は気にしないで?それにこれで最後だし。」
「ん、ありがとうな。助かる。」

見つめ合えば互いに微笑む。
名前の左手には彼から贈られた婚約指輪が嵌められていた。

雅貴のプロポーズを受けてからしばらく経つ。
両家への挨拶を終えて彼の家で同棲はしているものの、籍は入れていないため名前はまだ雅貴の婚約者という立場であった。

神事や名前の仕事のタイミングも見計らい、教え子の大会が落ち着いてから色々と考えようという話になっているのだ。

「今日は遅くなるだろうし、こっちに泊まろうと思うんだが名前はどうする?うち帰るか?」
「仕事も休みだし、雅貴がそうするなら私も泊まらせてもらおうかな」
「分かった。名前はこっちにいるといつもより積極的だからな、楽しみだ。」
「な…っ!」

名前は顔が熱くなるのを感じ、下を向く。
以前母屋に泊まり、雅貴に抱かれた時の事を思い出してしまったのだ。

己の身体から溢れる彼の体液の感覚をふと思い出したせいでひとり百面相をする。
そんな様を見て雅貴は軽快に笑ったかと思えば距離を詰め、耳元で名前にだけ聞こえる声で呟いた。

「まだこういう揶揄いは慣れないのか?もう数えきれないくらいシてるっていうのに。」
「雅貴のばか…」

包丁を持っていない左肘で雅貴から距離取ろうと軽く脇腹を押す。
名前よりも背丈も筋肉量もある雅貴はびくともしない。
逆に包丁をまな板に置かせられたかと思えば腰を抱き寄せられた。

「ちょっと、雅貴」
「あいつらには見えてないだろ」
「いやいや、見られてるってば!」

「ちょっとマサさん、いちゃいちゃは禁止カードっしょ!」
居間で各々会話が弾んでいる中、唯一2人の様子が見える場所に座っていた七緒の声が響く。
その声に一同の視線がこちらに向いた。

言わんこっちゃないと名前は雅貴に抗議の目線を送るが、抱き寄せる腕の力は緩まなかった。

「は、破廉恥ですわ…!」
「うわぁ俺、なんかドラマ見てる気分」
「コーチの彼女さん綺麗だもんねぇ、分かる分かる。」
「遼平も花沢さんも呑気すぎるっしょ!」
「マサさん相変わらずエロ親父だ…」
「滝川さん、教育に悪いのでやめていただけませんか。」

弟子たちに散々言われ、雅貴は大きなため息をついた。

「お前ら、こっちの事なんて気にしなくていいんだぞ」
「マサさん、俺らに見せつけるのはやめてくださいよ。」
「分かった分かった、悪かったよ。」

ぱっと雅貴の腕が名前から離れれば、不服そうな顔をしつつも皆の視線が外され名前がほっと息をつく。
彼の様子をそっと伺えば、そこには恋人ではなくコーチの顔をした雅貴がいた。

「名前も腹減ったろ?この辺の食材をあいつらに持っていってやってくれ。」
「ん、分かった。」

逃れるように居間へと向かうと、切り分けた食材をテーブルに並べていく。
蓮の姿が見えなかった為、湊の横に座らせてもらおうと声をかけた。

「湊くん、隣いいかな?」
「もちろんです、名前さん」
「ありがとう、失礼するね」

ふと、湊の視線が名前の左手へと向けられた。

「名前さん、マサさんと結婚するの?」
「あぁ、うん。その予定。」
「そっか…マサさんは弓引く時は指輪してないし、名前さんは会うの久しぶりだから気づかなかったです。」
「まだ式も入籍日程も何も決まってないから本当に予定状態なんだけどね。」

「でも、幸せそうで良かったです。そういえば前に恋はするんじゃなくて落ちるものだってマサさんが言ってたんです。」

「なになに、恋愛論…?」
「マサさんは名前さんと恋に落ちたんだなって思って。どんな感じなのかな…」

「どんな…?難しいね。うーん、言語化するなら出会った瞬間に世界が煌めいて見えてこの人と一緒に居たいと思った…みたいな?湊くんもそのうち分かるかもしれないね」

短く切られたその髪の毛を優しく撫でると、湊は少し目を見開いてから照れたように笑う。

「こういうのするとこ、マサさんと一緒だ。」
「名前さん、滝川コーチからの視線がとても怖いので湊に触れるのを辞めて頂けると助かります。」
「ああ、えっと…竹早くん、だよね?ごめん」
「静弥、そんな言い方しなくてもいいだろ」
「それは滝川さんのあの殺気を見てから言って欲しいな。ほら。」

静弥の言葉に湊が様子を確認すると、雅貴が満面の笑顔でこちらを見ていた。
顔こそ笑っているが、目が全く笑っていないのが分かる。
俺の婚約者と触れ合うなと言わんばかりの恐ろしい笑みだ。

「………ごめん」
「分かってくれたならいいよ。そういえば名前さん、大会の時は湊のことを引き戻して頂きありがとうございました。」

「あ、それは俺からも。あの時名前さんに喝を入れてもらわなかったら自分のせいだって責め続けてました。ありがとうございました。」

湊と静弥からの突然の言葉に名前は瞬きをする。

「大会…ああ、あの時ね。感謝されるようなことはしていないけど…。むしろ私は湊くんに感謝してるくらいよ」
「俺に?」
「うん。湊くんのおかげで私は冷静になれたの。だから、お礼を言わなきゃいけないのは私の方。ありがとうね、湊くん。」
「なんか、こういうの照れるな。俺、名前さんとマサさんの幸せを願ってます。」
「うん、ありがとう」

和やかな空気の中雅貴が弟子たちに声かけをすると、各々目の前のホットプレートで焼肉を焼き始める。
名前は湊と静弥のテーブルで話ながら肉を焼いて行く。頃合いを見て2人の取り皿に肉を乗せ、自分の分も取り分けた。
我ながらちょうど良い焼き加減だと自画自賛をしながら肉を頬張る。

話しているうちに湊と静弥が幼馴染だと分かると、その仲の良さにも納得する。

静弥は最初こそ少し棘のある物言いだったが、話をしていくうちに警戒心が解けたのか名前への態度が軟化した。

一方で婚約者に対しては敵対心がありありと見て取れ、思わず苦笑が漏れた。
雅貴が静弥の話をする際にいつも困ったように眉を下げる理由が分かった気がする。

「おーい、名前ちゃん。良かったら次こっちで一緒に食べないか?」
「蓮、いいって。」
「恋しそうな視線送っといて何言ってんだよ雅貴」
「ごめん湊くん、静弥くん、私そろそろあっちに行くね。2人とお話できてよかったわ」
「うん、いってらっしゃい名前さん」

2人に断りを入れ雅貴と蓮が座る縁側に移動すると、雅貴は自分の隣に座れと言うように床をトントンと叩く。

「兄弟で積もる話でもあるかなと思っていたんだけど、もういいの?」
「気を遣わせちまったか、ありがとな。」
「ううん、大丈夫。湊くんと話せたし」
「湊のやつ、ずっと名前に会いたがってたからな。だから呼んだんだ。」
「そうなの?初耳だけど。」
「礼が言いたいと言ってたぞ。ちゃんと話せたか?」
「ああ、それなら話せたよ。」
「ん、なら良かった。」
「そういや2人は式とかどうするんだ?籍もまだなんだろ?」

隣で雅貴と名前の様子を見ていた蓮が言う。

「お互いの予定を考えて様子見中だ。大会が終わるまでは俺も落ち着かないからな。まあでも、先に籍は入れても良いなって話は出てるよ。な?名前」

「うん。入籍日いつにするか考えなきゃってところで止まってます。」
「そうかそうか、兄ちゃんは可愛くて綺麗な義妹が出来て嬉しいぞ」
「式の時はカメラマンを頼むよ。場所はこの神社だし。」
「任せとけ、綺麗に撮ってやる。」

時間はあっという間に過ぎ、雅貴は教え子たちが食べ終わった頃合いを見計らうと腰を上げた。

「時にお前ら、ただより高いものはないという諺を知ってるか?」

揶揄うように教え子に言い放つ雅貴。
恋人としての雅貴はよく知っているが、コーチらしい雅貴の顔は普段見られないから貴重である。

どうやら神事の弓引きに男子部員を駆り出して手伝わせようと言う魂胆らしい。
きっと後から名前にも祭りを見に来たらどうだとお誘いが来るのだろう。

湊も無事、的前に立つ許可をもらい今にも道場へ駆け出しそうな雰囲気だ。
尊い青春の眩しさが広がっていて、名前は少し羨ましく感じた。
隣に座っていた蓮がふと呟く。

「雅貴のやつ、風舞のコーチになってから随分変わったな。前は思い詰めた顔をすることも多かったもんだが…今は楽しそうだ」
「ええ、本当に良かったです。」
「名前ちゃんの影響も大きいよ。あいつ、名前ちゃんと出会ってから本当に雰囲気が柔らかくなったんだ。」
「私はただ雅貴の側にいただけで、何もしていないですよ。弓に関しても、お祖父さんの事も。私は見守るか背中を少し押すこと位しかできないですから。」
「そういう距離感もまた良いんだろうな」

これからも雅貴のことを末長くよろしく頼むよ。
蓮のその言葉に名前は笑顔で頷く。

未来がどうなるかなんて今は全然分からないけれど、雅貴となら例え何があろうと共に歩んでいけると思えるのだ。

自宅にある日付だけが空白になっている婚姻届を思い浮かべ、名前は1人そっと微笑んだ。