人はそれぞれ目線が違う。
できること、できないこと。わかること、わからないこと。
明星先輩の感覚は、正直、俺にはわからない。
「あっ、菜々だー!おはようっ」
「スバルくん。おはよう」
俺には届かない世界で、明星先輩は今日も笑っている。
正直、羨ましかった。
アイドルとしてキラキラ輝いているのも。
桜井先輩の隣で笑っていられるのも。
ないものねだりなんて俺らしくもないのは、百も承知だ。
それでも、羨ましくて羨ましくて、仕方なかった。
放課後。
自主練のために空手部の部室へ向かう途中、桜井先輩を見かけた。
どこか暗い雰囲気に少し躊躇うも、なるべく明るく声をかける。
「桜井先輩、ちぃーッス!」
「鉄虎くん!今日も自主練?えらいね」
「男の中の男になるためにはまだ全然足りないッスから!桜井先輩はどうしたんスか?」
「……ちょっと息抜き、かな」
にこ、と笑いかけてくれる桜井先輩はめちゃくちゃかわいい。
めちゃくちゃかわいい、けど、やっぱり暗い雰囲気が気になって。
「俺に手伝えることとかあったらいつでも言って欲しいッス!いつでも力になるっスよ!」
「あはは、ありがと。鉄虎くんは優しいね」
少しだけ明るくなった表情にほっとする。
桜井先輩が立ち上がって、スカートの埃を払った。
「じゃあせっかくだし、鉄虎くんの自主練でも見せてもらおうかな」
空手部の部室は静かで、凛とした空気が通っていて。
なんとなく、身が引き締まる感じがする。
そんな空手部の部室の隅っこで、私は、道着に着替えた鉄虎くんが空手の型を練習するのを静かに眺めていた。
「はっ!……は!」
鉄虎くんの空手はきれいだ。
鬼龍先輩のような華や派手さはないけれど、毎日練習していることが伝わってくる、きれいな型。
年下ということもあってつい可愛らしい印象になりがちだけど、彼の目指すところである「男の中の男」には確実に近づいているんじゃないかな、と思う。
無心で型を練習する鉄虎くんを見ているうちに、ざわついていた心も落ち着いてきた。
「なんで菜々にはわかんないの?」
スバルくんに言われた一言が、痛かった。
スバルくんはただ、思ったことをそのまま口にしただけなんだと思う。
それが彼の良いところであり欠点だ。わかっていたはずだった。でも。
「あんずなら理解してくれるのに――」
そんな言葉、聞きたくなかったよ。
私だって、スバルくんのこと、わかりたかったよ。
「桜井先輩、大丈夫ッスか?」
「あ……ごめん、ぼうっとしてた」
いつの間にか鉄虎くんが私の顔を覗き込んでいた。
こんなんじゃダメダメだなぁ、なんて反省しながら笑顔を貼り付ければ、鉄虎くんはぽん、と私の頭をなでた。
「俺にはよく、わかんないッスけど。泣きたいときは泣いてもいいと思うッスよ」
優しい笑みを見せる鉄虎くんに、私の涙腺は決壊した。
「…………」
菜々が入っていくのを見かけた、という情報をもらってやってきた空手部の部室。
俺はその扉の前で、立ち尽くしていた。
ちいさくすすり泣く声はきっと、菜々のもの。
菜々がどうして泣いているのか、俺にはわからなかった。
でもきっと、俺が傷つけてしまったことは確かで。
俺の前では頑なに泣くこともない菜々が、他の誰かの前で涙を見せている……その事実が、どうしてかすごくつらかった。
いま、菜々の傍にはきっとテトラがいるんだろう。
テトラなら、菜々のことも理解できたのかな。
……俺と一緒にいるよりも、その方が幸せだったのかな。
だめだ、こんなの全然キラキラしてない。
俺はただ、菜々のキラキラした笑顔が大好きだっただけなのに。