「きゃーー!!」「うぎゃー!?」
ぬっ、と現れたひょろ高い影は、二人を驚かすには十分だった。
「何だあ!? 人を化け物のように!」
木陰から現れたその男性は、呆れた顔でこちらを見ている。
彼は右手にジョウロを持っていた。
ここの花々に水をやっていたのだろう。
「ご、ごめんなさいねビックリしちゃって!」
「急に出てくるから、驚きましたよ」
二人はそう言いながら、相手をまじまじと観察した。
伸ばしっぱなしの白髪に、片目が隠れている。青色のカラーメッシュ。無精髭。
長身に着込んだぼろぼろの白衣の上におかしな首輪……いや紫のネックレス?
「おぅ、呼ばれた気がしたのでな」
ふと手を挙げた、その腕にも金属素材の太いブレスレッドを付けている。
メアリは狼狽し問い掛けた。
「あなた、さてはマッドサイエンティストね!?」
「メアリ!?」
だって怪しいもの! とまじめな顔で言い放った彼女をシエルが仰天して引き留める。
「そんな訳あるか……」
虚無の面持ちで言い返した相手は、深いため息を吐いた。
「あのな。いくら汚い白衣着とるからって、全員が不審者なわけじゃないぞ」
「でも、その変な薬も」
明らかに怪しい青緑色の薬品瓶を腰に引っ提げているのを、警戒心の強いメアリは見逃さなかった。
しかし、シエルがそれを遮った。
「申し訳ないっ! 実は僕たち、こっちに来たばっかりで! 全然、何にも詳しくなくてですね! 良ければ色々と教えて欲しいなーなんて……あは……」
早口でまくしたてて、後頭部を掻く。
二人の間を取り持ちたかったのだろうその台詞は、白衣の男の目を僅かに見開かせた。
「まさか。外国から来たのか? もし、お前さんら」
『おおーい! 居た居た』
言葉が途切れる。街角から、走って一人の男性がやってきた。
シンプルなシャツにスカーフを巻いた装い。この辺りでは見ない金髪。
背後に荷車が見えた。
「ファクターさん! こないだはありがとう。助かったぜぃ」
「コルトか。どうせまた、急ぎの依頼だろう」
「アタリだ、春先の仕入れで手が離せなくてな。これで頼むよ! 結社には期待してるからな〜」
相手、どうやら商人をやっているらしい。
手渡された書類をざっと見て、ファクターと呼ばれた方はふたつ程頷いた。
「ほいよ。承った」
「流石、話が早いっ! じゃっまた来週なぁ!」
嵐のように去って行った商人をシエルはポカンと見ていた。もっとも、シエルに商人の依頼内容は分からないが、ひとつだけ確かなのは、ファクターがこの結社に属する人間であるということだった。
「ったく、変わらんな」
結社……彼らは首都一番の大きなギルドをやっている。
昔から、働いて金銭を得るならば民間ギルドで。とは、よく言うものだ。
シエルは問うた。
「お仕事ですか?」
「ああ。馴染みの店のだ」
ファクターはどこか満足げな表情で答えた。
くるりと踵を返して、首を振る。
「ああやって何でもかんでもコキ使ってくる連中のお陰で、ウチは成り立っとる」
書類で空を叩いては、片手で玄関の扉を開いた。
「……何でも屋って言い方も、あながち間違いじゃあなさそうね」
メアリの独白が落ちる。
シエルは中に入ろうとする彼を引き止めた。
「あの! 待ってください! ……」
伝えねばならない。
――結社を訪ねるために、僕は帝国を出て、この街まで来た。
呼び止められた彼がこちらを振り返って、眉をひそめていた。
「お前さんら。ここは玄関先だぞ。ぼけっと立っとるな」
「すみません」
叱責されたと思い、肩を落としたのも束の間。
ファクターは指で扉の向こう側を示す。
「ま、一通り話は聞いとる、入れ。ウチのボスに用アリなんだろう?」
そう言えば、ずっとドアノブを持ったままでいてくれている。
訪問者として気遣われているのだと、シエルはそこで初めて気が付いた。
「は……はいっ!」
ふたりで礼を言って施設に入る。
異国の地に住むファクターは、悪い人ではなさそうだ。
◆
「お邪魔しまーす」
玄関口は、広いホールになっていた。
真正面に受付があり、両隣に円状の階段が備え付けられている。
警備らしきお兄さん方も立っていた。
「んー! あっちの方は吹き抜けなのね! 綺麗だわ」
メアリにつられて見れば、広々としたホールの片隅に併設された休憩スペースの窓は、一面ガラス張りでできている。裏口は開けっぱなしだが、外に柵が立っているので、あちらは庭のようだ。
「広いなぁ」
窓の外に、背の高い塔がよく見える。
山も空も突き抜けてそびえたつ、ガタガタした形の不可思議な塔。なのに、悪目立ちするでもなく背景になじんでいる。
僕は、知っている気がする。あの塔の名前はなんだっけ?
「すごい! こんなカフェもあるの? アンティークでお洒落! あそこでドリップもできるのかしら」
再び視線を戻すと、室内の装飾品やカフェの装置にきらきらと目を輝かせているメアリの姿が見えた。
物を飾るための棚までお洒落で、なんだか彼女の持ってるような小物にそっくりだと思った。
「ああ、すごいね。メアリの好きな物ばっかりじゃん」
それがあんまり面白いので失笑すると、
「……あらー! ごめんなさい私こんな」
前で彼女が慌て始めた。
メアリ、僕よりよっぽどはしゃいでるじゃないか。
「後で好きなだけ寛ぐといい。着いてこい」
ファクターがやれやれと首を振って、歩き出した。
彼について、受付を顔パスしつつ階段を上がっていく。メアリが間を繋ぐように問いかけた。
「どこへ向かうんです?」
「まあ、ウチの顔の居るところと思え」
会うのは偉い人ということか、と思うとシエルは急に緊張してきた。
ふたつ上の階、廊下の突き当たりの部屋の前で止まる。行き止まりの扉――プレートに筆記体で〈ギルド長室〉と記されている。
ファクターは、軽く二回ドアを鳴らした。
返事がない。
もう一度、ドンドン! と少し強めのノックをしてみる。
沈黙が流れる。
彼は考え込むように顎に手を当てて、それから大きなため息をついた。
「すまないな。相手を考えるべきだった」
「大丈夫ですか……?」
シエルは思わず心配になる。
「問題ない」
そして、彼はバンッとドアを開けた。
「失礼する!」
中は簡素な造りだった。
来客用の大きな机に長いソファ。奥の執務机の上には資料らしきものが乱雑に積まれている。
そこに、一人の女性が座っていた。
積まれた紙の山のせいでいまいちよく見えない、と思ったら、その人は直ぐに立ち上がった。
サイドで結われた長い黒髪がなびく。黒髪の女性の容姿はまるで人形のように整っており、真っ赤な双眼が怪しく光った。
同時にシエルは、違和感を覚えた。
彼女の黒衣、痩身の美貌の中に――何か得体の知れないモノを感じたのだ。
それが一体何であるのかまでは理解できないのだが、肌がぞわぞわとする感覚を辿っていきぶつかった先は……
――今朝の悪夢と同じだ。
彼女がシエルの顔を見るなり、ニコリと笑った。深く輝く紅の瞳を向けられたシエルは、背筋が凍り付くのを感じていた。
「聞こえとるか?」
ファクターが背中を丸めてこちらを見ている。
いつのまにか、メアリは隣で頭を下げていた。
慌てて同じようにする。
「顔を上げてくれ」
二人を見て、女性はふっと微笑んだ。
「気が付かず、すまなかったね。執務も休息が必要だな」
言われてから顔を上げると、先ほど感じた恐怖感は、すっかり彼女の全身から掻き消えていた。女性は朗らかに笑っている。
シエルは内心、首を傾げた。
なぜ僕はあんなことを思ったのだろう。
「悪い癖だ」
ファクターの声は、先程までより数段低い。
「まあいいじゃないか」
女性はクスクス笑いながら言った。
そういえば、彼女の声も聞き覚えがある。この人どこかで会ったことがあるような……。知り合いは村しか居ないはずなのだが。
シエルが記憶を探る横で、他三人は会話を続けている。
メアリが恐縮した様子で話していた。
「申し訳ありません。突然、押し掛けてしまいまして」
こわばったメアリの言葉を聞いて、長身の女性は手をひらひらとさせていた。
「構わないよ。やや暇を持て余していたところだからね」
「えぇ……」シエルの口から、魂が漏れた。
絶対暇ではなかった。それだけは分かって、謝る。
「お忙しいところ、すみません」
「君たちの訪問ならいつでも大歓迎だよ。さあ、入って」
女性に促され、シエルが一歩踏み出した。
「あの」
「ん?」
「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「うーん、そういえばまだだったね」
女性は手を打った。コツコツと真っ直ぐ歩いてきて、三人の前に立つと、
「私はボス。結社のボスだ。よろしく」
そう言って握手を求めてきた。
「ボス?」
「名前、無いんだ」
ニカと笑った彼女に対して、それ以上は聞けなかった。
そんなことがあるのか。
「わ、わかりました。よろしくお願いします」
シエルが応えると、彼女もギュッと握り返す。
「君も。改めて、よろしくね」
「……ええ」
メアリがそろりと握手をしたが、ボスに手をぶんぶん上下に振られて、驚いていた。
その様子を見て、シエルはようやっと思い出した。
「もしかして貴女は、赤いフードを被っていた人ではないですか?」
「おや、ばれていたか」
ニヤリと口角を上げるボス。
「ばれていたかって……」
シエルは冷や汗をかきながら苦笑した。
あのとき僕、失礼なこと言ってないっけ?
「うそー!?」
隣のメアリが、素っ頓狂な声を上げる。
「気づいてなかったんだ」
彼女も今、気が付いたようだ。僕だけ気づくのが遅かったら、どうしようかと。
「さて。そろそろ……」
ボスが何か言い掛けたとき、部屋にノックの音が落ちた。
コンコンコン、と三回。