顔を上げた少年は、いつもの深緑の目ではなく、金色の瞳が煌々と光っていた。
『やめろッ!』
シエルが、謎の長剣を一閃した。
「……いっ!?」
攻撃はロネの元に衝撃波となって届き、男の体を足下から吹っ飛ばした。
「はあああぁぁぁぁぁ!?」
ロネは木箱に突撃して、派手な音を立てた。
一般人なら、当たりどころによっては大怪我しているかもしれないのだが、
「クッソ、ふざけやがってェ……」
二本足で木箱を踏んづけ、上体を起こしている。無事のようだ。
メアリはシエルに近寄ると、屈んで話しかけた。
「助かったわ」
座ったままのシエルに、手を差し伸べる。
「負けたかと思った」
少年は笑って、メアリの手を借りて立ち上がった。姉が心配そうに弟を見た。
「シエル……。それ、村の呪いじゃないの」
握った手が温かい。
自分だって痛かっただろうに、それでも人に優しくできるメアリを、シエルはずっと尊敬していた。
「メアリ。使っちゃダメって言われてないじゃん?」
「そうだけど……」
遠くから怒声が聞こえた。
「オイ! オレの不意突いたからって、終わりだと思ってんじゃねェだろうな!?」
未だ手元で形作っている翡翠色の長剣を見て、シエルは笑みを浮かべた。
少年の気分は高揚していた。このギルドで働いていけることを証明して見せるために。
「僕は大丈夫。やろう。どこまでやれるか、試してみたいんだ」
二人は繋いだ手を離して、立ち向かった。
「あれは……勝利判定なのかしら?」
「いや、まだだ。剣が届いていない」
レイミールとボスは、動揺もせずにシエルの様子を眺めていた。
「彼の村で見た通りだ。彼は【金の瞳の闇者《アシャ》】だ」
古代逸話にあるのだ。
滅びの力を手に入れた主に仕える、二人の従者の話。
各々の能力は、変わり種だ。その一つが金の瞳・不死の呪い。闇者である主と従者共は巡り巡って必ず出逢うだろう、と記されて終わっている。
「ボスの大好きな、古いおとぎ話ね」
秘書は笑ったが、ボスは、そんな古代のおとぎ話こそが、人間の歴史を創ってきた道筋そのものなのだと信じていた。
「知ってるかい? 彼の経歴を」
「さあ……。詳しくは」
レイミールが首を振る。
ボスが、とつとつと語り始めた。
「彼の故郷、ガルニアでは二度紛争が起こされた」
「……テスフェニア公国のしわざね」
「そうだ、二度ともだ。彼は深く傷付いた際、かの土地に眠っていた呪いを、手に入れたのだそうだよ」
漁村の出身。書面だけ見れば、シエルは平凡な少年に見えるだろう。
実際、誰にとっても、さして特筆するところのない、優しい少年だ。
幼少期に紛争を経験した、今時よく居る若者。
レイミールが息を吐いた。
「ずいぶん、恵まれた能力者ですのねえ」
「そう思うかい? レイミール」
彼女は肩口の金髪を整えながら、言った。
「ええ。彼は私どもと決定的に違うチカラを、既に手にしている……幸運なことじゃない」
彼女のボスはそれに答えなかった。おそらくだが、意見が違うのだろう。
ふと見れば、変わらぬ様子でシエルを見つめている。
「なにが、違うと言うの?」
「どうだろうね」
ボスは天窓を見上げた。
「例えば、少年が親の仇のテスフェニア公国に一人で乗り込んだとして――。少年はきっと捕まってしまって、ただ、無意味に生涯を終えるのだろう」
「ボス。あのコはそんなことする性格じゃ……」
性格じゃないわ。そう言いかけて、レイミールはハッとしたような表情になった。
――ボスが何故このような話をしたのか、秘書は思い当たる節があった。
ボス特有の、真意の分かり辛い、例え話だった。
「……そう。仮に生まれのガルニア帝国に戻ったとしても、今のあのコは捕まってしまうのだったわね」
「ああ。向かうべき場所も、帰るべき場所もないとは、孤独なものだ」
「同時に“自由になった”とも言える。でしょう?」
うん、と頷くボス。
彼女の瞳は、戦う少年少女よりももっと遠い場所を見ていた。
「呪いなどは、脱国のきっかけにすぎない。何を望み、どう生きるか。これからはすべて本人が決めるんだ」
今このときも、彼らは戦い続けている。
少年の動きが鈍くなってきた。流石に体に負担がかかるのだろう。
姉の方が、まだ体力を温存しながら間合いを開けて動いているようだが、弟の方は息せききっていて余裕がないように見えた。
煌力《レラ》は人間の生命力そのもの。
それをあそこまで常時放出し酷使しては、波の人間ならば、いずれぱったりと死んでしまうだろう。
ボスは、表情ひとつ変えず命じた。
「レイミール。仕掛けよ」
「……ええ」
秘書は手に持った書類を大切そうに胸に抱え、左手を空けた。
彼女の左手が光り、周囲に風が吹く。
次にその腕を天へ挙げたかと思えば、一気に振り下ろした。
『荒波・恒久なる三本の水流・短縮させていただくわ。荒津波《ヒュドール=レイラ》!』
レイの指先から溢れ出した波は、固形物のような三本の強い水流になり、うねりながら押し寄せた。
二人はぎょっとした。
「マジっすか!?」
「聞いてない……!」
混戦状態の中、メアリがロネの後ろまで逃げる。シエルが水流に狙われているのをよいことに、メアリはロネを斬ろうとしたが、
「アブね!」
身をかわされた。
それすら許容範囲だと言うように、メアリが叫ぶ。
「シエル!」
彼女の声を聞いた。
シエルは、前のめりになるようにして、自ら水流に飛び込んだ。
剣を前に手向け、少年が一閃する。
「ううっ……!」
水流に全身がえぐられる奇妙な感触がしたが、流され際に、何か固い物体と剣先が当たったような気がした。
「ううぇぷ……」
だんだん気分が悪くなってきた。シエルは共和国行きの船で何度か戻したほど、酔いにめっぽう弱かった。
シエルの剣は、煌々とした光をフッと失った。
「そこまで!」
ボスの呼び声が掛かった。
全員の動きが、ぴたりと止まる。
なお、シエルは波に流された場所で突っ伏している。
「皆の者、ご苦労だったな」
「ボス。今回って私たち……」
歩いてくるボスに、メアリが駆け寄った。 ギルドの長は、それに微笑みだけを返して、部下に問いかけた。
「ロネ、どうだった?」
ロネは頭をワシャワシャかきむしっている。
「どうもこうも。アーアって感じだよッ」
彼は倉庫の鍵をポーンと投げて、レイにパスしていた。「投げないの!」と怒られながら。
「ってことは……!?」
先輩は、逸るメアリの肩に手を置いた。
「お疲れさん」
ぽんと触れられて、メアリは今更気づいた。
「シエル?」
振り返ると、現在は存在感ゼロの少年が、腕で体を持ち上げようとしていた。
「うぅ……」
「しかたないわね」
メアリが代わりに、落ちている眼鏡を拾った。
ボスが低い声で語りかける。
「試験は終了だよ」
「んん!? あの、結果は……う……」
全く動けていない少年を横目に、ボスが言った。
「話は場所を移そう」
ロングブーツの底を鳴らし、先立ってボスが歩いた。目線をシエルたちと会わせる。
「私も、適宜休みを入れねば、どこぞのお節介に心配されてしまうようなのでね」
そう言って、ギルド長はウィンクした。
◆
場所を戻し、ギルド長室。
「はーいどうぞ」
レイミールが、御盆にのせて料理を運んでくれている。
「おおー、美味しそう!」
面談のときと、同じ長椅子に通されたシエルとメアリ。
鉄板の上で蒸し焼きになった兎肉は、上に果肉とハーブが乗せられていた。ジューシーな匂いがしてきて、思わずよだれが出てくる程だ。
美味しそうな料理を目の前にして、シエルの波酔いは完全回復していた。
「冷める前に、食べるといいよ」
「はい! いただきます」
待ちきれない状態だったシエルは、早速、ひと口運ぶ。
肉を噛みしめると、濃厚な肉汁が口の中いっぱいに広がった。
「おいしいです……」
それしか言えなかった。
「良かったよ」
結社のボスはというと、お誕生席の一人用ソファに掛けている。ウチのシェフは最高だな、なんて言いながら、蒸し焼きを食べている。
ボスは笑った。
「結論から言う。試合は君たちの勝利だ」
「わあ……! ありがとうございます!」
シエルたちはわっと歓喜した。
最後、剣が当たっていたのをはっきりと目視したのは、ボスとレイミールのみであったのだ。
「おめでとう〜」
配膳を終えたレイが祝福した。その隣で、ロネもがっついて肉を食べている最中だ。
ボスは、再び肉を飲み込んで続けた。
「まあ、勝っても負けてもギルドに歓迎するつもりではいたが。まさか、本当にロネに一本とってしまうとは」
「条件ちげェかんな」
ロネは、若干ふてくされたような顔で兎肉とパンを同時に頬張っている。ボスは、知ってるさ、と苦笑した。
「二人とも、よく諦めなかったね。ロネとやると大体の人間が、途中で降参するんだが」
「そうなんですね」
「途中、魔煌が割り込んできたから、焦ったんですよ?」
メアリが試合の感想を述べる。ギルド長がすぐに答えた。
「最初にイージーな判断材料を投げておいて、弱った頃に奇襲を仕掛ける。実戦の常套手段だからね」
「美味しい役だったわ」
レイさんも、肉を口に運んで満足げだ。
ボスがロネのほうに話しかけた。
「ロネは、運が味方しなかったな?」
「ケッ! とにかく! コイツら用の軽量武器は見繕っとく! それでいんスよね」
下手な敬語混じりのロネの台詞に、ボスは指を顎に当てながら呟いた。
「そうだな……距離が空きがちなメアリには、相手と間合いが取れる長物を。シエルには……」
「ボス。特注になっちまうスよ」
丁度口の中を飲み下したのか、ロネが突っ込んだ。
「それでいい。出す物は出す」
一つ頷くボスの返事を聞くと、ロネは納得したようにサムズアップをした。
「了解。そんじゃ、ごっそさんでした!」
元々、早食いなのだろう。ロネはそう言って早足に出て行った。
あいつも忙しい奴だな、と苦笑して、ボスがこちらに伝えた。
「そんなこんなだから、武器はおいおいプレゼントするつもりだ。首を長ーくして待っていておくれ」
こんなに嬉しいことがあるだろうか?
すごい! やら、やったーやら、そんな言葉の飛び交う、和気あいあいとした昼食となった。
「ご馳走様でした」
二人の皿は、すっかり空だ。
ごちそうを食べさせて貰った後で、自然に笑顔になる。
皿が下げられる中、ボスが喋り掛けた。
「それと、私からギルド入りの祝いだ。二種類あるぞ」
「いいんですか!?」
メアリが声に出た。貰えると思わなかったのは、シエルも同じだった。
「まず、身分証の類。これだけは必要だと思ってね。先ほど作ってきた」
ボスが小さなファイルを取り出す。そこには、冊子型の身分証明書が、ページを開いた状態ではさまれていた。
重ねて用筆紙が添えられていて、来週の予定が記されている。
シエルは一カ所気になった。
「出自、ザルツェネガ共和国……?」
「うん。そういうことにしておけば問題ないだろう?」
何度か見てみたが、やはりザルツェネガ共和国と書いてある。
これは法に触れてないのだろうか。シエルはまたしても怖くて聞けないまま、書類を小さなポシェットに仕舞った。
「後、結社の笛だ。ここの証明だとでも思ってくれ」
ボスが赤紫色の笛を取り出す。焼き物に赤い鳥が描いてある。
「わかりました。これで、ふたつですね」
「いや、ここまででひとつだ」
「え?」
既に至れり尽くせりなのに、まだあるんですかと言いそうになった。
「これだ」
ボスは縦長の小さな封筒をふたつ、懐から取り出した。
「なんです? これ」
手に取ったシエルは、封筒の中身が上から見えてしまって思わず固まる。
すべて札束だ。
「二十万リルだ。受け取れ」
それを聞いたメアリが、ぶんぶん首を振る。
「そんな……、こんな大金受け取れません」
ギルド長は肩を揺らしながら笑っていた。
「戦力をタダで雇う趣味はないよ?」
持ってきたお小遣いですら、五万リル無いのだ。貰いすぎだ。
「もうしわけないです」
少しイントネーションがおかしかったかもしれない。貧乏性なシエルの考えを見透かしたように、ボスが言った。
「この首都に住むんだろう? なら、今後そのくらいはかかるはずだ。必要経費だよ」
シエルとメアリは、あまりの驚きと感謝で上手な言葉にならなかった。シエルが呟いた。
「では、お言葉に甘えて……いいんですかね」
ボスが確かに頷く。そのまま、ガラス面の机に手をついて立ち上がった。
「ああ。すまないが時間だ。私はそろそろ執務に戻るよ」
「えぇ、でしたらわたくしどもも、お暇させて頂きますわね」
レイミールがそう言って立ち上がる。
「ボス、ありがとうございました!」
「助かりました。本当にありがとうございます」
二人も立ち上がり、礼を述べて頭を下げた。
並んで、ギルド長室を後にしようとする。
ドアノブに手を掛けたとき、ボスが呼び止めた。
「二人とも!」
振り向くと、彼女は腰に手を当てて、微笑んで見送ってくれた。
「来週から、よろしく頼んだよ」
『はい!』
シエルとメアリは、笑って返事をした。
◆
灰色の建物の建ち並ぶ、首都ズネアータの七色の並木道。
未だ風の冷たい、花冷えの季節。
「……寒っ」
風もあるのだろう。今は露店の上から、花が舞い散っている。外に出たシエルは、冷たい空気を吸い込んだ。
「なんか、どっと疲れたね」
隣を歩くメアリの方を見てみる。
彼女は、そうねー、と相づちを打ちながら、周囲の街並みを眺めている。
「不安も沢山あるけど、こうなったら、ここで暮らしていくしか、なくなっちゃったわね」
メアリの言葉に、僕は新天地までやってきたのだ、とシエルは気持ちを新たにした。
「僕らの選んだ道だ。がんばってみよう」
「よーし。一緒に頑張りましょー!」
メアリは両手でガッツポーズをすると、太陽が西向きに傾いた空を見上げた。
「でも、まずは、引っ越しのお片づけからよね?」
「うっ」
思い出して、シエルは胸が痛んだ。
部屋散らかり族にとって、遠方の引っ越しはいつの時代も辛いものであった。
(序幕 fin.)