二度目の鼓動
次に目にしたのは、何の変哲も無い民家のような低い天井だった。
「…どこ、」
此処は何処だ。
座敷牢よりも数段明るく、窓からは風が吹き込んでいた。
窓、座敷牢には無かったもの。自然の光、座敷牢には無かったもの。鍵の無い扉、座敷牢には鉄の折と錠が嵌められていた。低い机、然しその上には座敷牢の様に資料が山積みにされている訳でも無い。
何処だ。此処は何処だ。
開いた窓の外から顔を覗かせると、あまりの眩しさに目の奥がチカチカと痛み、直ぐに顔を引っ込める。光は痛い。初めての感覚だった。然し此処が何処なのか早く知らなければいつ敵が来るかわからない。もう一度、と窓から顔を覗かせようとしたその時、ガチャリと扉の音がした。
「…なんだ、目が覚めたのかい」
弾かれたように扉の方を見ると、何処か見覚えがある女が眉間に皺を寄せて立っていた。見たこともない筈なのに何故か見覚えがあった。面影があると言った方が正しいのかも知れない。然しその女は今迄の資料で見かけたことは無かった。何方かと言えば、資料では無くて、もっと近くで見た気がしたのだ。
「あの莫迦娘、消えたと思ったらこんな子を作って死んでいたなんてねえ。全く、死んでも世話を焼かせる気かい」
忌々しい感情が手に取るようにわかった。莫迦娘、とは誰のことか。名を言わずとも、この女が少女の祖母にあたるのだと、母の血縁者であると少女は理解した。
どういう故か、母の血縁者の家に少女は引き取られたらしかった。
「突然人が来てねえ。血の繋がりはあたししかいないってんで仕方なく引き取ったのさ。然しあの莫迦が、数十年消えたと思ったら子どもを遺して死に、その上面倒をあたしに押し付けるなんて、全くとんだ親不孝者だよ。お前もそう思うだろう?無責任な母親だ。面倒が見れないなら生まなきゃ良かったのにねえ。そこまでしてお前を生みたかったのか、あたしには不思議で堪らないよ」
その女…祖母は、まるで母が今迄どこにいたのか、マフィアの事など一切知らない様だった。愚痴愚痴と娘である母への不満を零してはいたが、そのどれもに沈んだような湿った重さを感じた。少女は祖母が作った暖かいスープを口に運びながら、黙ってそれを聞いていた。
此処での生活は座敷牢とは180度違っていた。明るく清潔感のある部屋。窓は何処にでもあって、外へは自由に行けた。夜にしか見たことがなかった外は、陽の光は温かく草の匂いも花も凡てが少女にとっては夢のようであった。
青い空を、この目で初めて見た。この手で殺しの目的以外に剣を握る事も初めてだった。祖母は少女に、本や資料にはない事を両手から溢れるほど教えてくれた。
「お前は何も知らないんだね。外となるとどこへでも行くし、包丁の握り方は危なっかしいし。目を離してられないよ。まるで今歩き方を覚えた赤ん坊のようだ」
そこでの生活に、少女は胸のあたりにじわりと温もりが広がるような心地がした。
然しそれは、母とよく似た祖母の目元を見ると、スウッと冷えていった。
自分がはやくあの場所から母と逃げていれば、此の場所に母も居たかもしれないという事実。それが少女の脳裏にこびり付いて離れなかった。
月の下で駆けていた夜は、此処では眠る時間になっていた。然し、その夜、少女は酷い悪夢に魘される。
祖母が何処からか銃を取り出し、嗚咽混じりに泣いてそれを口にくわえた。マフィアの夜と重なる。
少女は異能を使っていた。
「ぁ…止めてくれ、止めてくれ」
祖母の懇願も虚しく、少女は異能を止められなかった。パンっと銃声が響いた後、ゴトリ、重い何かが床に落ちる音、広がる血の池。その池の先に、細い足が見える。
「今こそ、罰を与える時ではないのですか?」
違う。違う。違う。祖母は罰を与えるべき人では無い。罰を与えるべき人はもう此の世にはいない。私が殺した、私が。
「そう、これは貴女への罰です。母親を助けなかった貴女への」
「やめて」
「貴女の周りの者は貴女の罪によって殺される」
「やめて、」
「やめて来ないで!!!殺さないで!!!!それ以上するなら、私があなたを殺す!!!!」
ベッドには、ぐっしょりと汗が染み込んでいた。着ていた衣類も汗を吸って肌にぺたりと密着している。魘されていた少女の手には祖母に貰った髪留め。そしてその細い先は、魘された少女を起こしに来たのか、覗き込んでいた祖母の首筋へと当てられていた。
「はっ…はっ……は、あ」
「……あんた」
それから祖母は、少女を外には出してくれなくなった。