少女の異能


椿が鴎外に引き取られてから初めて異能を使った夜。客人がやっと帰り、エリスが扉を開けると、薄暗い部屋の中、床で蹲り気絶している椿を発見して軽い騒動になった。
その時のエリスといったら、「椿が死んじゃった?!」と大騒ぎし、流石の鴎外も愛し君のその剣幕には申し訳なさそうな声色で「ごめんねえエリスちゃん私が悪かったよお」と謝りつつ、然ししっかり鼻の下を伸ばしていたためエリスの罵詈雑言を誘発したのは云うまでもない。
椿を運び一旦事態は収まったという。


そして次に椿が目覚めて最初に目にしたのは、見覚えのないベッドの天蓋だった。

(何処、)

ばっと上体を起こすと頭がぐらぐらと揺れているような感覚に襲われた。然し椿はそれに構わず、ベッドから降りて床に脚をつく。度々視界が黒と白に埋められ不明瞭だったが、何とか辺りを見回した。限られた視界の中で見えた其れに、言葉を失う。
無い。
窓が無い。
真逆、と壁にぺたぺたと手を這わせるも、そこには固くひやりとした壁があるだけであった。次に唯一ある扉のドアノブをガチャガチャと回してみるもビクともしない。外の情報が雀の涙ほども無く遮断されている状況。
此処は何処だ? エリスは? 森さんは? 私が気絶している間に何があったのか。そもそも此処はあのビルの中なのか? それすらもわからない。ペタリと扉の前に膝を着く。ドアノブには中から鍵を開閉できる突起は付いていなかった。外側からしかこの扉は開けられないと理解する。

私はまた、閉じ込められたのだろうか。
誰に?

その問に答える人間は、この部屋には居ない。







「リンタロウ、如何して椿を閉じ込めちゃうのよ! 遊びたいのにっ!」


所変わって最上階の首領執務室では、エリスが鴎外に不満を零していた。あの日椿が倒れていたのを発見したのは他でもないエリスである。眠る椿から片時も離れず看病していたのもエリスだ。
然し、今朝ポートマフィアに或る報告が届いたのだ。それを聞いた鴎外は医務室から椿を外部とは遮断したあの部屋へと移動させた。

“椿の祖母が何者かによって殺害された”
“異国風の装束を身に纏った細身の男が祖母の家付近で目撃された”

その祖母の死亡推定時刻は椿をポートマフィアが引き取った日の夜6時頃。当初の予定ではその少し後にポートマフィアが椿を引き取るはずだった。然し、椿をいたく気に入ったエリスが「そんなに待てない!!!」と駄々をこねたので急遽予定を変更して朝早くに迎えを寄越したのである。
“椿の祖母の死”と“或る男”の目撃情報。この2つは一見全く関係の無い事柄である。然しその男の外見的特徴に、鴎外は覚えがあった。そして若し鴎外の予測が正しいとすれば、エリスのおかげで裏社会は一本の細い綱を渡りきったと云っても過言では無い。

若し、その男が__フョードル・ドストエフスキーと云う男であったら。

フョードルは近頃じわじわと勢力を伸ばす“死の家の鼠”の頭目である。恐ろしいのは、その病魔のような計略の手腕と、勢力の全容がまったくの未知数であること。そして、フョードルが何らかの異能を持っているということだ。然し、日本では未だ新勢力であるため、恐らくは強力な戦力を欲しているはず。
そんな中、彼が出没したという祖母の家には、朝までの段階で椿という極めて強力な異能を持つ者が居た。椿が幾らその年の子に比べて頭の出来が良くとも、所詮は子どもである。フョードルと鉢合わせでもすれば高い確率でその場で祖母の死を目の当たりにし、攫われていただろう。

「大事なものは、仕舞っておかなければ…」
「? そんなの当然でしょ」


何を云っているんだ、というエリスの丸い瞳が鴎外を映した。

「だよねえ……」
「そんなことよりリンタロウ!タイクツだわ!椿のところに行きたい!!」
「ああっ痛いよエリスちゃん!…椿ちゃんはね、今は仕舞っておかなくては駄目なんだ。せめて鼠の目が逸れる時まで……ね? いい子だからっ! ケーキも甘いものも何でも買ってあげるからっ!」
「意味わかんない!鼠なんて駆除しちゃえばいいでしょ、私は椿と遊びたいの!!つまんない!!!」
「うーん…暫くは無理…かなぁ……」
「リンタロウの莫迦ー!!わからず屋!!!」
「痛いよエリスちゃんっ!髪を引っ張っちゃ!でも可愛いから許すぅ〜!!」




「首領」
「…、……」

陽の光を溢れんばかりに室内に取り込み横浜の街を一望できる全面窓が、静かに静かに閉ざされた。暗くなった室内に燭台が灯され、部屋の雰囲気は一変する。
鴎外は執務机の上で手を組み、その顔に影を作りつつ口を開いた。
「太宰くん」


「……報告をしても?」


包帯で見目麗しい顔の半分を隠した少年が、濃い闇の色を携えて其処に立っていた。