檻に納まる


太宰治という少年が訪ねて来てから、そう日の経たないうちに、私をこの部屋に入れた張本人であろう森さんが訪ねてきた。珍しく傍にエリスが居ない事に違和感を感じたが、それは私と視線を合わせた森さんの目を見れば直ぐに理解出来た。その目はひやりと冷たく、見透かすような色をしていたのだ。それは正しくマフィアの首領の目だった。


「やぁ、椿ちゃん。この部屋は気に入ってくれたかい?不便は無いかな?」
「…窓が無い事以外は、特に」
「それは良かった。このベッドも特注したのだよ、それにクローゼットの中も凡て君のものだ……余り使ってはいないようだけれどね」

遠慮しなくて良いのになぁと自慢のクローゼットの中身を取り出して、これは似合うと思ったんだよ〜等と云っている森さん。然し、私がじっとその様子を見ていれば直ぐにクローゼットに服を戻し、仕切り直すように体をかがめて目線を合わせた。漸く本題に入るらしい。

「あの夜、異能を使ったね?」

あの夜、とは、客人の居座る時間が新記録を更新した日の事だろう。異能を制御できず気絶したのだと知られているのか。
特に嘘をつく必要も無いため、椿はコクリと顔を縦に動かした。

「素直で宜しい。心配したのだよ? 部屋に入ってみたら倒れていたものだから。熱も酷くてねえ、エリスちゃんに付きっきりで看病されていたのは少し羨ましかった………」

一体何を聞かされているのかと云えばエリスに看病されて羨ましいという話だった。尚も椿が黙って聞いていれば鴎外はコホンと咳払いをする。

「それで、如何して君をこの部屋に入れたのかは、“君が異能を使ったから”などという事が理由ではない。君が異能を使い、此のビル凡てを見透かしていたとしても、それは格別タブーという訳では無い……まぁ、これからは多少異能を制御する術も身につけなくちゃいけないけれどねえ。問題は別にある」

そう云うと、鴎外は1枚の紙をペラリ、椿の目前に突き出した。文字の羅列を追っていけば其れは報告書であるとわかる。如何してこんなものを見せるのかという疑問は、その文中に祖母の名前と死の文字を見れば理解出来た。途端に椿の身体から温度が逃げていく。

祖母が、死んだ?

「君を引き取った3日後、君の祖母君の様子を部下に視察に行かせたのだよ。そうしたら、家の中は酷い有様だった。推定だが君を引き取った日の夜、祖母君は何者かに襲われた。我々が確認した時には当然こと切れた後でね……周囲の情報に寄ると、“異国の装束を纏った男”が目撃されていたようだけれど、心当たりは有るかい?」
「…………、」
「…椿ちゃん?」

祖母が死んだ。
たった其れだけの情報で私の頭はいっぱいになった。何者かに殺された、誰に?異国の装束を纏った男? そんな男、あの場所に居ただろうか。情報を探し出そうとしても祖母の死に動揺した脳はぐちゃぐちゃで、口を震わせる事しか出来ない。如何して、祖母は死んだ。如何して、殺された。如何して、如何して。

「…無い、だろうか。まぁ然し現場に残された形跡と遺体の状態からある男による犯行であるというあたりがついている。異国の装束を纏った男、と云うのは近頃此方の界隈ではちょっとした有名人でね。その勢力の伸びは凄まじく、君がマフィア潰しをしていた頃と同時期に彼らも勢力を伸ばしていた……あの数年は先代も病に伏せて居てね、2つの新勢力になり得る存在に手を焼いていたよ。然し、君は能力の暴走で自らの父親のマフィアを潰し、此方の界隈から一時姿を消す事になった。死んだものと思われて居ただろう。私もそう思っていたよ。…だが、偶々マフィアの情報網に気になる報告が入ってね。偵察に行かせてみれば、外で元気に遊ぶ君が居た。調べてみれば、君の祖母は元々此方側の人間で、其の娘は君の父親の愛人…一夜にして潰れたマフィアと繋がりがあるじゃないか。其のまま調べれば君がマフィア潰しの張本人だと、すんなり尻尾を出すものだから呆れたよ。君の手腕は確かだったが、君の父親の組織の甘さには。
ううん、話を戻そう。おそらくは、異国の装束を纏った彼は何処かで君の情報を掴んだのだろうね。君を自らの勢力に加えようと思案していたのだと思う。…君と彼の繋がりは我々の方では何一つ出てこなかったのだが、…」

森さんはつらつらと話していた口を止め、報告書を仕舞った。私は報告書のあった一点を見つめ、肩を震わせていることしか出来なかった。
今の話が理解出来なかった訳では無い。寧ろその逆だ。痛いほどわかってしまったのだ。祖母を殺したのは私だと。あの暖かい場所を冷たい血の池に変えてしまったのは私だと。

「済まない」

震える肩を森さんが撫でる。其れは何に対する謝罪かと聞く前に、森さんの胸へと身体が傾いた。
抱き込まれた身体はすっぽりと其処に収まった。次いでさらりと髪を撫でる森さんの手は、赤子をあやすようだった。じわり、じわり。冷えた身体に森さんの体温が染み込む。目のあたりが熱くなって、頬から静かに落ちるそれが森さんの外套を濡らした。

母が死んだのも、祖母が死んだのも、私と私の異能がもたらした災厄だ。私は居場所を血に沈める。凡てを巻き添えにして。
何時か此の場所も、私は沈めるのだろうか。エリスも、森さんの温かな身体も、冷たい血の池に変えてしまうのだろうか。
嫌だ。そんなの、絶対に。
思えば、あの男に存在を知られてからが私の何もかもが崩れていったのだ。それならいっそ、地下にずっと篭っていたら良い。何もかも遮断されたこの部屋に、死ぬ迄ずっと。
あの男に私が居る場所を知られてはいけない。あの男は、私の手から大切なものを奪っていく。次はきっとこの場所だ。
私はもう何も失いたく無い。居場所も、私を抱いてくれる温かさも。

ぐいと手の甲で涙を拭うと、森さんは微笑み「そんなに強く擦ってはいけないよ」と胸元から取り出したハンカチを当ててくれた。

「落ち着いたかい?」
「……うん」

落ち着いて、思い出した。
あの夜の事を。私が父親とそのマフィアを潰したあの時に会った男の事を。恐ろしく白い肌をした、紫の目の魔物を。男の違和感はその肌と目だけでは無かったのだ。見たことも無い服装をしていた。あれが異国の装束であるとすれば、森さんの云っていた特徴と合うかもしれない。
それに、あの男は唯一私という存在を見て、生きていた人間だ。私という存在を知っていた人間だ。マフィアを潰して祖母の元へ行った足取りも、きっと、おそらく、あの男なら知っていたのではないかと、あの目を思い出して思う。

「異国の、服の男」
「…心当たりがあるのかい?」
「私が、父親のマフィアを潰したのは、母が死んだと知ったから。其れを教えたのは、父親に云われて潰しに行った先で会った男だった」

「肌が青白くて、目は紫。痩せていた、と思う。髪は黒…服は、その時まで見たことが無い格好だった。不気味にわらう男…だった」

「…これで、いい?」
「上出来だ。よく教えてくれたね」

褒めるように手のひらで頭を撫でる森さん。私の言った人物像は森さんの其れと合致していたのか、満足そうな顔をしていた。然し直ぐに、その顔は真剣さを帯びる。

「男はフョードル・ドストエフスキーで間違いない。然しそうなると、君は暫く危険だ。獲物を横取りされた彼は君を探すだろう…鼠は執念深く、冷酷だ」
「…フョードル、ドストエフスキー」
「君を外に出すことは出来ない」
「…うん、わかった」
「……本当にいいのかい?」

反発されることを想定していたのか、すんなり承諾した私に森さんはキョトンとした顔で訊く。其れにコクリと頷くと、森さんの手は再度私の頭を撫でた。その温かい温度に、ハンカチの下の口元が自然と綻ぶ。
いいのだ。この温度が消えなければ何だって。
これさえあれば、自由さえ惜しくないのだから。