辿る先
「やあ、具合はどうだい?椿ちゃん」
「…首領」
にこりと人好きのする笑みを浮かべて執務室に出迎えた鴎外に、椿はぴくりと片眉を上げてみせた。
まるで“不機嫌です”とでも云っているかのようだった。然し実際そうなのだから、鴎外は傍に控える黒服へ紅茶の用意をするよう目配せした。
どうやらエリスは居ないらしい。
暫くしてカラカラと運ばれてきたティーセットと甘く鼻腔を擽る紅茶の香り。それと、フルーツが豪勢に、然し繊細に飾り付けられたタルトが1つ。
鴎外は窓付近に設置してある応接用ソファに椿を手招きした。コトリとタルトが椿の前に置かれる。
「……機嫌取り」
「何のことかな?」
あくまでシラをきるらしい鴎外に、更に椿の機嫌は急降下する。
若しも今椿に猫の尻尾が生えていたら、それはソファを勢い良くパシンパシンと叩いていただろう。
椿は琥珀色の紅茶を通り過ぎ、タルトにまず手をつけた。
てらてらと光を反射して暖色の果物たちが輝いて見えるタルト。瑞々しい甘酸っぱい香りが見ているだけでも漂って来そうだ。ちょこんと添えられた緑が補色の対比で一層果物たちを引き立たせていた。
其れを椿は無慈悲にフォークで一刀両断。そしてざくっとタルトの底までフォークを突き立てて、二分にしたその半分を口の中へ。
ああ…と何処か悲嘆めいた声を漏らす鴎外。もりもりと頬張る椿の口の中では果物が踊っていた。
「…ふう」
美味し。
結局タルトは二口で椿の胃の中に吸い込まれていった。
紅茶を飲み、同じ時間を共有する姿はさながら親と子、若しくは爺と孫である。然しその実態は裏社会を揺るがすポートマフィアの首領とマフィア潰し。知れば誰もが卒倒するであろう奇妙な空間だった。
「太宰くんとは上手くやれそうかね?」
「……わからない」
「ふふ。私は彼も教育した事があってねぇ。君の部屋の私の私物は、太宰くんも読んだ物だよ」
「…太宰と私を、最初から会わせるつもりだった?」
「何れはね。太宰くんが早くに君と接触したことで期間は早まったけれど…どちらにせよ私は、君を外に出す心算を君を引き取った時から考えていた」
「Qを使って私に異能を暴走させたことは?」
「其れが、幾つかあるうちの最適解だったというだけだよ」
「Qの異能は、…」
「どうかしたかい?」
「………何でもない」
鴎外はQを使って椿の異能を暴走させる引き金にしただけだ。悪夢の操作まで鴎外が出来るとは思わない。
そう思った椿は口を噤んだ。正直話すことでまた思い出さなければならない悪夢はチクチクと胸を刺すのだ。出来ればもう二度と見たくなかった。
「まぁ、太宰くんが君をどう説得したかは、私は詳しく知らないけれど」
「?」
「何時までも逃げる事は出来ない。だから早めに手を打ってしまった方が、君の為かと思ってね。少々手荒だったことは謝罪しよう。すまないね」
「…」
わかっている。
太宰が幾ら椿の異能を無効化したとして、結局其れは椿が自分の異能を制御した事にはならない。
先ずは異能を制御出来なければ、椿は異能の恐怖から、罪からも、逃げることは出来ないのだ。
───そして、何時か再び現れるだろう魔物からも。
太宰も云っていたように荒治療だが、事実だった。
「君の教育は太宰くんに一任した。これからは彼の元で学びなさい」
「…はい」
「然しそうなると、こうしてゆっくりお茶は飲めなくなってしまうのか…寂しくなるねぇ」と鴎外は椿の頭を撫でる。
そう云われてみると、確かに鴎外から教育を受ける時は、あの部屋に鴎外自ら頻繁に足を運んでくれていたのだ。
(……今考えると森さんが態々足を運ぶとは結構恐ろしい所業をさせていたのではないか?)と浮かんだが直ぐに頭を振った。次いでに何時までも撫でている鴎外の手も振り落とす。
鴎外の執務室で茶を飲むのは今回が初めてだったが、脚を運ぶと鴎外は決まって紅茶とケーキ、…とドレスを土産に来てくれた。あれは1年、椿のあの部屋での小さな楽しみだったのだ。
じんわりと過去に想いを馳せていると視界の端で鴎外がソワソワしているのが見える。椿は無視を決め込みたかった。野生的な勘が訴えている。部屋を早く出ろ、と。
「ところで、椿ちゃん」
「……なに」
「折角来たのだし、こんなドレス着てみない?」
「…やだ」
初めて椿が鴎外の申し出を断った瞬間だった。
椿は鴎外の選ぶ、フリルのたくさんついたドレスはあまり得意ではなかった。偶に控えめな物も持ってきたりすることもあったが、其れは大体パニエがえげつなかったりする。動きづらく、まとわりつく布が多くて落ち着かなかった。
部屋を出ることになったことに対する少しの腹いせに、今後ドレスやらの着せ替え人形は断ろう、というのが椿の密かな目標だった。ミッションコンプリートである。
意気揚々と椿が退出した部屋で、こうして親離れしていくのか…と鴎外は独りごちた。
然しその後、椿のクローゼットに無言で鴎外の趣味のドレスが追加されていくことはまた別の話である。