降ろされた糸


「異能はそれを持たない者には銃火器よりも脅威。自分の手に余すものなら尚更…敵も味方も関係ないの、私の異能は。見たでしょ?あの扉の向こう、黒服たちが死んでいるのを」

椿が指差す扉の先にあった死体を、太宰は勿論目にしていた。
この細い少女に外の連中の首を捻じ砕く力があるとは到底思えない。彼女は異能で己の体の3倍はあるだろうものを数人、いとも容易く殺したのだ。
手に余るという事は、自分の異能を制御出来ていないという事。それによって彼女が異能に恐怖を抱いている事は明白だった。

矢っ張り、外に出なければ良かった。そう云って椿は立ち上がり、ゆらゆらと覚束無い足取りでその場を後にした。


「…うん、惜しいね」

彼女をこのままあの部屋に置くことは、本来人を殺す刀を美術品のように飾り置く事と同じだ。刀の価値は斬ること。この場合、彼女のポートマフィアでの価値は“異能をポートマフィアの為に使うこと”だ。其れに、外の黒服を見て確信した。彼女の異能はポートマフィアで使い、使われるべきだと。

「然しなかなか手強い。彼女の根底をこちら側に引き摺り降ろさなければならないな」

未だ光の下にいるつもりでいて、光を望んでいるらしい。

地下室に一人取り残された太宰の声はコンクリートの壁に跳ね返って反響する。其れを聞く者は当然、この地下にはいなかった。








椿は再び部屋に閉じ篭った。
ベッドに背中を丸めて蹲る。目を閉じれば自分の首を絞める母の姿がチラついた。
違う、と頭を振る。あれはQの精神操作によって見た悪夢だ。
このままでは暫くあの悪夢を思い出しそうで、椿は本棚に向かう。思考を情報に埋もれさせて気を紛らわせるために、本棚の特に分厚い背表紙を手に取った。



どのくらい時間が経ったのだろうか。
椿はいつの間にか恐れていた微睡みの中にいた。

青い月が見える。真っ青な月明かりが部屋の中を照らしていた。
その部屋には、窓があった。
死体もあった。
椿の右手には短剣が握られていた。
またあの夜だ。

青い月明かりが部屋に差し込む。
短剣を抜かれた死体から血が流れていく。床を赤く染めてゆく。そして血溜まりの先に、矢張りと云うべきか、細い足が見えた。
暗闇に紫が浮かび上がる。其れは一言も何も発しないまま、青白い手を、血溜まりの先の死体に指差した。

死体の顔は母だった。

ぐにゃり、視界が歪む。霧散し空気に溶けるように紫が散り、月明かりも暗闇もその境界を曖昧にして凡てが溶け合い次の場所を映し出した。
広いコンクリートの部屋。窓は無く、そこには椿と、幾らか離れた所に太宰が立っていた。
太宰が何か口を開く。然し椿にはそれが何を言っているのか、わかるはずなのに理解ができなかった。耳に水が入っているような、ぼんやりとした音だった。
太宰が近付く。椿には其れが何だかとても恐ろしい事のように思えて、逃げようとした。然し足が動かない。
太宰がもっと近くに来る。椿は口を動かした。
「たすけて」
「たすけて、たすけて!」
夢の中でも異能は何も応えて呉れなかった。


「たすけて、」
「…起きて第一声がそれかぁ」
「?!」

飛び起きたそこは椿の部屋、ベッドの上だ。読んでいた本は中途半端に開かれて投げ出されていた。米神に汗が伝う。
そして何故か、ベッドに頬杖をついた太宰が椿の顔を覗き込むようにしている。夢の中の恐怖が継続して肩を震わせた。
いつの間に部屋に侵入したのか、前は入れなかったはず、と椿は半ばパニックに陥った。
若しかしてこれはまだ夢の中なのか?然し右手に、何だか温かいものが触れていた。目覚めた時から感じていたそれは、何かを握っていたようだった。
その手は、太宰の包帯だらけの手に繋がれていた。
(……また、何かの方法で私の異能を如何にかしたのだろうか)

「君は一日に何度異能を暴走させる気?」
「……ぼうそう?」
「嗚呼、お陰でおおわらわさ。まぁ抗争で人が出払っていたから、被害は地上より少ないけどね。それでも何人かは死んだかな」
「…」
「夢見が悪かったのかい?」
「…」
「君は無口だねぇ」
「……私が地獄から抜け出した日の夢を見ていた」
抜け出したと思っていた地獄は、父親の元ではなく自分の異能だったというオチだが、あの日の椿にとっての地獄は父親のマフィアだった。

「…地獄、か。抜け出したというのに何故心をざわつかせる事がある?」
「母の為に、父親のマフィアを潰した日の夜に、母を。…私が母を殺す夢だった。………貴方は如何してここに来たの」
「首領に君を任されたから。ポートマフィアは首領の命令が絶対だ」
「首領………私は、異能は使わない。使いたくない。私を使うために、貴方は遣わされたんだろうけど」
「何故使いたくないんだい?とっても便利な道具じゃないか」
「…便利?道具?仲間が死んだのに、よく云える」
「死んだ仲間よりもポートマフィアに利益をもたらす道具じゃないか。ふふ、あんな殺し方をしていたから心無い怪物かと思っていたのに、君自身は存外心ある人間なようだ」
「…そういう貴方は怪物」
「よく云われるよ」

うふふと女のように笑って太宰は口を開く。

「君は、君の異能から逃げたいんだね。云うことを聞かない異能への恐怖、殺戮への罪の意識から逃れたい。違うかい?然し異能を失うことは不可能だ。君の異能は君の鼓動と共に有るのだから……だから、君は、探しているのだろう?母のような人質を」
「人質?何を、言って………」
「君は母親の為に殺したと云っているが、実際、君の母親は父親とそのマフィアを潰すことを望んでいたかい?」
「!」

違う。そう脳が叫ぶ。
望んでいたはずだ。母は父親とその正妻に居場所を奪われた。自らの子どもと会う時間も制限され、命さえも奪われた。
恨んでいないはずがない、その“はず”だ。
だから父親も正妻もそのマフィアも潰し母の仇をとったのだ。

私は母の為に異能を使った、母の為に。
母の、為に?

「……私は一般論しか言えないが、母親は普通、己の子どもが生きていて呉れればそれで幸せだよ」

其れは自覚した途端、椿の頭を殴打したようだった。
(私は、殺しを母の為と云って、母の所為にしていた?)
蓋をしていた思考がぶわりと溢れ出す。
椿は異能を恐れているのでは無かった。異能を制御出来ない自分の罪が、何よりも恐れていたものだったのだ。
母のように、殺す理由となる人質。誰かの為に異能を使う事で、その異能を誰かの所為に出来た。弱い自分が誰かを守れていると思っていた。

私は誰かを守りたかった。



「……嫌だった。母も祖母も守れない自分が、大切な人も居場所も壊す異能が。でも、そんな異能を制御出来ない自分が何より嫌で、恐ろしかった」

あの夜。父親のマフィアを潰した後椿は死ぬつもりだった。
母のいない世界など意味が無かった。椿は母の為にあの地獄で生きてきたのだから。
然し異能を使い気力を根こそぎ奪われて気絶し、それから祖母に出会い、次いで本能が強い所為か自殺だけはできなかった。

「私は自分で自分を殺す事さえ出来なかった。その上、誰かの所為にしなければ心臓は重たすぎて立つことさえままならない…今も」

知っていた。暴力も破壊も人を守るためにだって使えることを。私の異能は、私の大切なものを守ることだってできた。
それをしなかった……できなかったのは、私が弱かったからだ。異能を恐れる弱い私がいたから、異能は云うことを聞いてくれなかった。そして私は其れをどうすることも出来ないままに閉じこもることを選んだ。罪人が牢獄に閉じ込められるように、私もそうあるべきだと思ったのだ。
然し異能は、結局何処にも消えて呉れる事は無かったのだ。幾ら使う事が無くなっても、私が生きている限り異能は私と共にあった。寧ろ、今日使った“箱庭”はあの頃よりも範囲が広がっていた。

何時か私は、再び異能を暴走させて立ち所に凡て壊すだろう。
誰かにそれを止めて欲しかった、止めてくれる人を私はずっと欲していた。

「私なら、君を異能の恐怖から解き放つことが出来る」

「君の異能を止めるには、その鼓動を止める方法と、もう1つ。生きて、私の側に居る方法がある。…何、私も能力者なのだよ。私の異能は『人間失格』凡百異能を無効化する」

「私が触れている間は、君は異能を使えない。死ぬ事が出来ない君にはぴったりじゃないか」


「私の異能を殺してくれる?」
「………嗚呼、君が私の側を離れない限り、君の恐怖を殺してあげる」
「…………ありがとう、太宰」

椿は己の手に重ねられていた太宰の手を、今度はキュッと強く握った。
この温もりを離しはしない、もう二度と異能に壊させはしないと。