君は君が恐ろしいと云う
太宰は硝子張りのエレベーターに乗っていた。それは外ではなく、地下の暗い地中を映してどんどん下へと降りていく。
(こんな時に一体何をさせようというのか、あの人は)
裏社会は今、じわじわと広がりつつある抗争の真っ只中だった。
五千億円という大金を契機にして始まった今回の抗争。その大金だけに、近いうちヨコハマの裏組織という組織を凡て巻き込む大抗争になるだろう事は容易に想像できた。その燃え盛るような激しさは有力幹部候補である太宰まで駆り出される事態である。
然し抗争は地上ヨコハマで起きている。そんな中、太宰が地下へと降りるエレベーターに乗っているのは、首領である鴎外より直々に連絡があったからだった。
“銃や刃物は持たずに、指定する場所に来なさい”
…気になるところが有りすぎる連絡である。
ふぅ、とひとつ息を吐くと、太宰は未だ降り続ける硝子張りの壁に背をついた。
一応言いつけ通りに銃や刃物は持ってきていない。そもそも指定された地下室はコンクリート打ちっ放しの広い部屋だったはずだ。
指定してきた鴎外はそこに居るのだろうか、それとも何か別の人物がいるのだろうか。………中也だったら嫌だな。今すぐ地上へのボタンを連打しそうになってやめた。まだそうと決まった訳では無い。
チン、とエレベーターが目的の場所についたことを知らせる。音を立てて開く扉、倒れてくる黒服。
「え?」
ドサリ。エレベーター内部に黒服が倒れる。扉は黒服の体に引っかかり、開閉を繰り返していた。
何かが可笑しい。
敵の仕業を考慮してエレベーターの側面に張り付き外の様子を伺う。しんと静まり返った地下。通路をよく見れば他にも何人かの黒服が倒れていた。エレベーター床に倒れている黒服の脈を確認する。…死んでいた。気配を感じなかったのはこの所為か。
よく見れば、仰向けに倒れたと思っていた黒服は、顔は天井を向いているが、爪先は床を向いていた。首を捻じ砕かれたようだ。
見る限り敵の気配は通路からは感じられない。エレベーターから出た太宰は、鴎外に指定された目的地へと向かう。
締め切られた扉には鍵穴。試しにドアノブを回してみるが開かない。どうやら鍵がかかっているらしい。
そこで太宰が取り出したのはピン。髪も留められる優れものだ。寧ろそっちが本命だという詰まらない言葉を投げかけてくる中也はいない。そのまま鍵穴に差し込みくいくいかちゃかちゃ。そしてカチャンという音が響いた。
「さぁ、ご対面だ」
この扉の向こうに、鴎外では無い1人の気配がしていたことには気づいていた。いっそ芸術的なまでに180度、綺麗に黒服の首を回転させたのはどのような者か。それも敵陣の逃げ場が無い地下に潜り込んで来るような者だ。
屈強な大男か、後が無い窮鼠か。
何処か嬉々とした気持ちを抱えながら、太宰はガチャりと扉を開く。
締め切られているはずの地下室に風が舞い込んだ。
そこに居たのは屈強な大男でも無く、傷だらけの放浪者でも無い。
1人の小さな影。何処か見覚えがあった。
以前もこうやって鍵を開けて、私は、
「……嗚呼、君は、また泣いているのかい」
そっと、小さな肩に触れた。
▽
ホログラムがボロボロと崩壊する。
異能がその範囲を地上へ届かせる前に、椿の“箱庭”は強制的に解除された。
異能を発動してからいつの間にか母の姿もフョードル・ドストエフスキーの姿も見る影もなく、広いコンクリートの部屋が広がるのみである。Qの人形が粉々に切り刻まれた状態で部屋の隅に転がっていた。
椿の異能は極度のショックによって暴走していた。然し、何者かが“何らかの方法”でそれを止め、椿は脳死を免れ、ポートマフィアも被害の拡大から免れた。
ほたほたと椿の頬を流れ落ちる滴は、いつの間に流れていたのだろうか。
私はまた、母を。
異能を使ってしまった。
椿の目の前には、初めて会った時と比べて少し大人びた太宰がいた。
「大丈夫かい?」
「……貴方が出したの?」
「?」
「余計なこと、しないで」
肩に触れていた手を払い落とした。
鴎外は椿を外に出す素振りは見せなかった。椿もそれを望んでいた。その鴎外が今回椿を外に出す切っ掛けを作ったのは鴎外と椿以外の第三者だと椿は推測していた。
Qに態々異能を使わせ、椿の異能を暴走させる。そこに現れた、“椿の異能を止められる方法”を持つ太宰。タイミングが良すぎて仕組まれていた以外考えられない。
太宰もそれに気がつくと「嗚呼なんて手の込んだ再会だ」と、今頃最上階の執務室で幼女と戯れているだろう鴎外の姿を想像した。このやり取りも何処かの監視カメラから見物しているだろう。
そう云えば、1年前に椿を要求してから鴎外に云われた月日が経っていたのだ。太宰はひとり合点がいった。
然しこの再会は、映画の終焉のような感動的な再会とは云えなかった。
落とされた手は拒絶の証だった。太宰は感謝はされても拒絶されるいわれはないはずだ、と口を開く。
「君は、逃げたいと云っていたじゃない」
「……逃げたくても、逃げられない。私が逃げたら立ち所に壊れる、壊される。私は外に出ちゃいけない、出たくない、出たくない…」
「ふぅん………君は、外が、異能が怖いのかい?」
「怖い?」
キョトンと太宰の問いに目を丸くする椿は、暫く黙った末に、こう云った。
「異能を恐ろしくないと思う人なんて、この世にいる?」