女の敵は女?


「貴女、太宰幹部の何なの?」
「…は?太宰?」

事の発端はその一言だった。
椿の口から太宰という言葉を聞くと女は怒り狂ったように目の端を吊り上げ掴みかかってくる。殺意のようなものも感じ取ったが、敵地でもない、其れも太宰の執務室前でこんな事になるとは思ってもいなかった為に反応が遅れた。女の手は椿の首元の布を鷲掴みにし、そのままダンッと壁に叩きつける。先程よりも興奮したように女のその目はギラギラとしていた。

椿は打った背中の痛みを感じながら「嗚呼、とうとう来たか」と口の中で呟く。そして目の前にいる憐れな女を無感情に見据えた。
太宰の遊びに本気になってしまった女を今迄幾度と無く見てきたし、女が自分を見る度に顔を顰める事も、それらの悪意で自分の悪評がポートマフィア内で流れていることも椿は知っていた。部下の立場を利用して幹部に取り入る女。そう実しやかに噂させれているのが椿だった。そういえば最近上級構成員から様々な誘いを受けるようになったのもその噂の所為だろうか、とぼんやり考えていると首元の拘束がキツくなる。

「……離して。太宰が来たら」
「太宰幹部を呼び捨てなんて、只の部下のアンタがして許される事ではないわ」
「…確かに」
「あっさり納得しないで!!莫迦にしてるの?!?!」

口調も荒くなりヒステリックに叫ぶ女を前に、今執務室に太宰がいない事、女遊びに出掛けてくれている事をこの瞬間以上に感謝した事は無い。若しも居たら事態は更に終息が難しくなる。能天気に「どうしたの椿?」と扉を開けて出てくることは目に見えていた。

噂に惑わされるのは大抵椿の素性を知らない者ばかりだ。其れも鴎外によってポートマフィアに迎えられた事を知る者は先の龍頭抗争で殆ど死亡し、本当に一部の者しか椿を取り巻くものを知らない。然し知らない者からすれば太宰の幹部就任と共に表に立つようになった椿はぽっと出の素性のわからない構成員だ。気付けば太宰という最年少幹部の隣に立っていた女に不信感を抱くのはわかる。其れも惚れた男の隣であれば尚更だ。加えて椿は書類整理で人に接触する機会は滅法少なく、任務は基本的に1人である為に椿が異能力者である事も知らない者もいるだろう。

その証拠に、目の前にいる女は今の自分が何を掴んでいるのかわかっていない。
椿は女の肩に下げられた銃を確認した。

「近頃あの人が会ってくれなくなった」「アンタが太宰幹部の部屋から朝」「私から太宰幹部を」

支離滅裂な言葉を呪いのように吐いている女の顔は正気じゃなかった。その瞳に携えられた感情を椿はよく知っていた。憎悪。女は其れに取り憑かれていた。
基本的に太宰は一度会わなくなった女とは二度と会わない。詰まりはそういう事だろう、と椿は思うと同時に何故ここまで来るほど女を狂わせたのかと今頃街に繰り出している太宰を呪った。この状況で女に「太宰は女遊びに出掛けている」と云えばどうなってしまうのだろう。考えるだけでも身の毛のよだつ話だ。

然し椿はここでふとこの一連の流れは凡て太宰の所為ではないか?と気付く。何故自分が通路の、其れも執務室を出て直ぐにこんな目に遭わねばならぬのか。よくよく考えてみても自分の所為である所が思いつかない。
そもそも女の云う朝とは、悪夢の対処方法は一緒に寝るしかないと云う太宰の言葉通りにあれから共に寝ているだけで、女の考える男女の関係何てものは微塵も含まれていないのだ。

「太宰幹部から身を引け毒女、そして二度と太宰幹部と私の前に現れないで」
「…其れは、」

無理だと椿の口はあっさり拒否して見せた。その言葉を出した直後にはて、と口をついて出た言葉に疑問を持つ。
何故自分は太宰から離れられないと思っているのだろう。然しその考えを模索する前に女がその肩に掛けていた銃を取り出し椿へと向けた。とうとう不味い状況になったと椿は箱庭を展開する。
女は幾らか冷静さを含ませた声で云った。

「これが最後よ、太宰幹部の前から消えて。二度と会わないと約束しなさい」
「できない」
「どうしてッ…!!」

「どうして?貴女が太宰に捨てられた事は事実、太宰の前から消える事を望まれているのは貴女の方。其れに従うべき者も貴女。私じゃない。…………其れに貴女こそ、私と太宰の何を知っているの?」

ピタリと女の動きが止まった。殺気とも違う然し何か形容し難いモノを前に女は身動きが取れなくなった。かち合った椿の目から逸らせない。その目は酷く濃い闇の色をしていた。女の惹かれた闇と似ていた。
女はハッと我に返り言葉を噛み砕くと、其れを挑発と受け取ったのか銃を持つ手に力を入れる。

「ッ!! このっ」

女の言葉は発砲音によって途切れた。
硝煙は女の銃からは上がっていない。むしろ女の銃は銃弾によって弾かれ、カラカラと回って廊下を滑っていた。


「楽しそうなことをしているねぇ、椿。書類整理は終わったの?」

片側の耳から入った声は太宰のものだった。コツコツと高い革靴の音を廊下に響かせながら、銃口から硝煙を払うようにぱたぱたと振って近付いてくる。
女も其れに気付くと椿から手を離し、待ち焦がれた人との再会に頬を染めた。なんて変わり身の早さだ…と椿はその光景を見る。

「ダメじゃないか、お仕事サボっちゃ」

どの口が云ってるんだ、と太宰を見る。硝煙の臭いに混じって矢張りというか酒と女の香水の臭いがした。椿は鼻をつくその嫌な臭いに顔を顰める。
太宰の目は、椿のみに注がれていた。椿の直ぐ隣にいた女は何時まで経っても自分を見ない太宰に、痺れを切らしたように口を開いた。

「あの、太宰幹部…」
「? 嗚呼、私の部下が何か粗相をしたかい?済まないね。君も仕事に戻っていいよ」
「え…太宰幹部?!私です、覚えて…」
「………」

「うーん、誰かな?」



太宰の言葉に女はフラフラと覚束無い足取りでその場を去った。
其れから暫く経った後、書類の中に女の名前の書いた手紙が混ざっていたが、太宰はそれを軽く眺めた後「捨てておいて」と椿に押し付けた。
手紙には女の遺言が書かれていた。

「あーあ。心中の誘いならあの時云ってくれれば良かったのにねぇ」

恐ろしい男だ。