彼女にははやい仕事


シーツの海に、椿はぐったりと体を投げ出していた。暴かれた肌は昨晩の情事を想像させないほど白い。然し彼女が横たわる雪の上に咲く赤い花は、彼女が何も知らない少女から女になった事を示していた。

「辛いかい?」

太宰がシャワーを浴びて未だその蓬髪が湿ったままベッドに近付くと、顔だけを其方に向けて椿がこくりと頷く。特に恥ずかしがるわけもなく、昨晩の薔薇のような表情は何処へ行ったのやら、椿はいつも通りだった。文句を垂れる口も健在だ。

「からだ、だるい…」
「今日は流石に任務には行かなくていいよ」
「…これで行けって云われたら殺してた」
「おお、恐い」

全く恐くなさそうに笑うと太宰は椿の頭をひと撫でし、自分は外套を羽織って仮眠室を出たのだった。







其れから暫く経った日のことだ。
太宰は中也との任務の帰り、共に報告の為にエレベーターで鴎外のいる最上階に向かっていた矢先に、中也が結んでいた口を重々しく開いた。

「そういや太宰…椿の奴、男でも出来たか?」
「は?」
「うっわひでぇ顔」

手前のその顔見たら今迄引っ掛けた女全員詐欺罪で手前のこと訴えるだろうな。そう云った中也に太宰はズイっと詰め寄る。何故そんな話が出てくる?

「気色悪ぃな近寄んな!!いや…前に彼奴が相談してきたんだよ。化粧やらドレスやらはどうすればいいか、ってな。俺は女の、特に化粧の事はよくわからねぇから姐さんに聞けとは云っておいたけどよ…」
「……椿に男の影はないよ。そもそも殆ど私の隣にいる椿を狙う莫迦はそういない」
「………そうだな」

中也が「ほんと彼奴が気の毒でならねぇ」と吐き捨てた頃にエレベーターがチン、と鳴り扉が開く。先ずは報告、そして自分の執務室に帰ったらベッドの上でも何でも、椿に吐かせねばならないことが出来た。

相変わらず首領の執務机には、鴎外が口に弧を描いて座っていた。

「お疲れ様、2人とも。成果はどうかね?」

太宰は手短に、的確に任務の結果を口頭で伝え、後日紙面での報告もする旨を鴎外に伝えた。今は早く椿に会わねばならない。胸の中で嫌な予感がキリキリと鳴った。
隣で中也の呆れる溜息も聞こえるがこの際其れにも構う余裕はない。

報告を終えすぐさま踵を返す太宰の背中に、またしても鴎外の声がかかった。
「嗚呼、そういえば椿ちゃんだけれど、今夜は私から任務を回してねぇ。恐らくあの子の事だから君には云ってないと思うけれど、上司である君には一応伝えておくよ」


二人揃って務めて静かに首領の執務室から出る。先に口を開いたのは太宰だった。

「中也、車出して」
「云われなくても」







椿は煌びやかなシャンデリアが垂れる高い天井の下にいた。
高いドレスコードに身を包む人で溢れ返る中、目当ての人物を見つけて人の波の間を縫って近付く。偶然を装い、持っていたシャンパンを相手に当たった拍子に零すと、冷たさと酒の臭いに眉をあげた。然し直ぐに取り繕い、艶やかに染められた唇を開いた。

「ッなんだ?!」
「! ごめんなさい。大丈…嗚呼っ!召し物が濡れて…!」
「……」

心配そうな顔で下から男を覗き込めば、男の顔が歪に笑う。寄せた肩に手を置かれ、椿は煌びやかなパーティー会場から姿を消した。



「ックソ!何処だ?!」
「ちょっと中也、あんまり離れないでよ。小さいから見失うじゃない」
「あぁ?!?!!」
「あと大きな声出さないで。目立つ」

太宰と中也は鴎外の云った任務先へと車を走らせ、パーティー会場へと潜入していた。
この華やかな催しの裏で取引される情報、物の数は知れない。椿はその内の一人の男の持つ情報と命を奪う任務の為にこの場所に来ている筈だった。
不審がられない程度に辺りを見回す。余りに人が多いと云えど、椿の姿が全く見つからない事に太宰は焦りを感じた。

(既にターゲットと接触したか…?)

中也も其れは感じ取ったのか、鋭い目を太宰に向ける。接触後であれば尚更探すのは難しい。パーティー会場とは別にこの施設にある個室を虱潰しにしていく事は蜂の巣をつつく行為だ。
どうする、と考えあぐねている時、女の高い声が会場外から響いた。

野次馬が外へと流れる。
真逆、と中也と目を合わせ波を見ていると、一人、その波に逆らうようにして巧みに人の隙間から出てきた人影が見えた。

すかさずその腕を捕らえると、女は驚いたように目を丸くして太宰と中也を見た。椿だった。
スリットの入った胸元を強調したドレスを纏い、その顔には化粧をしていた。髪は無防備に項を晒して一部を垂れさせている。
キョトンとした顔は幼さを感じさせるが、椿からは女の香りがした。

「…迎え?」
「あー…」
「まぁ、そうだねぇ」

何事も無かったかのように聞く椿に、太宰と中也からはどっと力が抜けた。
ハァ、と溜息を吐くと「帰るよ」と云って、3人はそのままパーティー会場を後にしたのだった。


「確かに、確かに教えたけどさぁ…………君に其れは必要ないよ」
「む…使えるものは使うって云ったのは太宰でしょ」
「手前かよクソ太宰」
「いや、まぁ、うん…違わないけど…でも早くない?」
「? 普通の任務よりは楽だった」
「あのなぁ………………」

帰りの車の中で椿は双黒2人に何やら心配しただの肝が冷えただの文句を云われていた。中也は運転席でハンドルを握り、太宰は後部座席で椿の腕を掴んでいた。椿は何か間違っただろうか、と任務内容を三葉繰り返したが、特に問題は無かった。

「…今度からは断りなよね。森さんも、君には無理強いはしない」

キュッと手に力を込める太宰を見る。断るも何もこの方法を教えたのは太宰だ、と云えば、太宰はスッと目を細め、椿の腕を引いた。

「今の君にはする必要のない事だったんだ。分かりなよ、椿」
「…」

ひやりと椿の背中を震わせたのは車の中の空気でも、太宰の手でもなく、彼の目そのものだった。
空いた方の手で椿の耳に髪を掛け、その耳に口を寄せると、太宰は聞いた。

「どうやって触られた?」

太宰の手は下へと降りて行き、椿のスリットの隙間から太腿を撫でる。ゾワ、と背中を何かが走り抜けた。咄嗟にその手を掴みそれ以上の侵攻を阻もうそするが、其れも見越して手ごと絡め取られる。

「キスはされた?」
「………挨拶に。両手の甲」

そう云えば太宰は直ぐさま椿の両手の甲に口付けを落とした。
異常事態だ。太宰の行動に少なからずの恐怖を抱いた椿は中也のいる運転席、ミラー越しに助けを求めるように其方を向く。然し直ぐに「何処見てるんだい」と太宰の手によって顎を掴まれ、元の位置まで戻された。鼻と鼻が触れ合いそうなほど近くに太宰の顔がある。

「赤いね。口紅?」
「……そう、だけど」
「ふふ、似合わないよ。君には」

そう云うと太宰は、べろ、と唇を舐め、驚いた拍子に開いた椿の口ごと食べた。体重まで掛けられ椿の背中がシートに着く。手で太宰の肩を押して必死に抵抗した末に、漸く口が離れた。折角塗った口紅は綺麗さっぱり取れてしまっている。ただでさえキスの苦手な椿は性急だった其れに肩で息をした。

太宰が椿の上から避ける気配は一向に無かった。目は相変わらず冷たくて、その秀麗な顔には一切の感情が無い。

「太宰、」

太宰の手が椿の顔の横に置かれる。近付いてくる太宰の体、ドクンドクンと大きく鳴る自分の鼓動の音だけが支配している空間に一筋の光が差し込んだ。


「車ん中で盛ってんじゃねぇッッ!!」


くんっと首根っこを引っ張られ太宰が蛙の潰れたような声をあげながら視界から消える。
いつの間にか車は止まっていたらしく、中也が太宰を引き剥がしてくれたようだった。

「ったく…アジト着いたぞ。手前もさっさと降りてその窮屈な服着替えて来い」

手を差し出す中也の手をとる。
ギッと強く掴まれた手を見た後に中也を見れば、「心配させんなこのクソ弟子が」と悪態をつかれたのだった。


其れから太宰が鴎外に直談判し、以降任務で椿にハニートラップは回って来なくなったらしい。