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埃っぽく湿った空気が充満する石造りの建物の中。
地下へと続く細い階段を下りると、奥まった一室に数人のならず者たちが集まっているのが見える。
木箱の上に置かれた粗末な蝋燭が、揺れる炎と共に歪な影を壁に映していた。

……ああ、そういうことか。
僕は胸の奥で、小さく息を吐く。
軽い気持ちでこの仕事を引き受けたけど、その内容を察した今、判断を誤った気がしてならなかった。


「さて……そろそろ公爵家からの連絡が来るころだ」


中年の男がニヤリと笑い、木箱の上の銀貨を指で弾いた。


「今回もここまでは楽勝だったな、これでしばらくは安泰だ」

「だがこの小娘、案外大人しいじゃねぇか。今までの令嬢みたくもっと泣き叫ぶかと思ったが」


もう一人の男が薄笑いを浮かべ、隅の檻をちらりと見やる。
けれど檻に閉じ込められた少女を見た瞬間、僕は思わず息を呑んだ。

人形のような……いや、それすらも超えるほどの儚く愛らしい少女がそこにいた。
ドレスの裾は汚れ、長い睫毛は不安そうに揺れていたけど、現実のものとは思えないくらい美しい容姿をしている。
彼女はただ震えるだけでなく背筋を伸ばし、端正な顔を上げていた。


「こんな場所でも、貴族らしくいようとするのかね?」

「ああいう気位の高い子ほど、折れる瞬間が楽しいもんさ」


男たちはいやらしく笑い合う。
その様子を僕はただ黙って、少し離れた場所から見ているだけだった。


「おい、そこの新入りが今回の見張り役か?」


僕に向けられた数人の男達の視線。
無言のまま会釈したものの、詳細を知らないまま引き受けたこの仕事が、まさか誘拐の片棒を担ぐことだとは考えてもみなかった。

以前までヴェルメル大公国の大公子だった自分が、ここまで落ちぶれるなんて予想すらしていなかったけど。
大罪を犯した両親が処刑され、反逆者の息子として国を追われることになった今の僕には、こんな仕事すら貴重なものだった。
なぜなら一日を生き延びる為には、形振りなんて構っていられない。
盗みや犯罪紛いのことにも手を染めるようになった今、僕は疎まれ蔑まれるこの世の逸れ者となっていた。

でも僕が遠く離れたこのアストリア公国に来たのは、決してこんな生活を望んでいたからではない。
剣の腕に自信ある者は、身分を問わずアストリア騎士団に入団可能だという話を聞いたからだった。
僕が自慢出来るものは何一つないけど、厳しい父親の元で身に付けた剣術だけには自信がある。
だからこそ、その話は僕にとって唯一の希望だった。

けれど入団試験に出向くも、僕には完全に場違いだったらしい。
騎士団長には見窄らしい身なりを馬鹿にされた挙句、試験さえ受けることが出来ないまま門前払いを喰らわされる羽目になった。

入団することに賭けてここまで来た僕には、もう銀貨一枚すら残っていない。
結果としてもう一度悪に手を染めることになり、このまま落ちるところまで落ちていくのだと思っていた。
そんな時、たまたま知り合った一人の女に誘われたのが、大金を手に入れることが出来るという見張りの仕事。
勿論、合法じゃないことは分かり切っていたけど、それでも構わないと思ってしまったのは、僕がとっくに真っ当じゃなかったからだ。


「見張りって……まさかこの子のですか?」


部屋の隅に置かれた檻に入れられている彼女は、身なりからして相当な富裕層だろう。
檻の隅に膝を抱えて静かに座っている様子は、あまりに儚く見えた。
クリスマス聖夜に誘拐されるなんて、この子も不憫極まりない。


「そうだよ。アストリア公国の公女だから、こいつを使ってゆすれば身代金は相当貰えるはず」


目の前でそう言った女は、つい先日窃盗の際に共謀した相手だ。
彼女はここ一体で悪事を働いている組織の一員らしい。
父親がその組織の幹部らしく、彼女も一緒になって悪事に手を染めているそうだ。

そして僕に与えられた役目は、この少女の見張ること。
誘拐の計画には加わっていなかったものの、大金が手に入るという言葉に釣られ、何も聞かずにこの場に来た自分が恨めしく感じられた。


「なに?まさか人質の見張りだとは思わなかった?」

「そうですね、正直驚きましたけど」

「大丈夫よ、相手はこいつ一人なんだし」

「でも身代金が手に入る保証はあるんですか?失敗したら相当なリスクですよね」

「大丈夫、うまくやるから任せて。今までだって一度も失敗してないんだから」


話を聞けば、このアストリア公国の領主である近藤公爵の一人娘らしい。
相手が上位貴族なだけに、万が一にも捕えられでもしたら死刑確定で間違いないだろう。
でも何の巡り合わせか、アストリア公爵家は僕が入団を希望していたあのアストリア騎士団を統率している家柄だ。
正直気乗りする仕事ではなかったけど、あの時の鬱憤を晴らせると思えば、断る理由はないと半ば無理矢理自分を納得させた。


「それならいいですけど」


まあ、いざ状況が悪くなればここから逃げればいい。
僕は要領は良い方だし、足も速ければ体力もある。
そして右腰の懐に備えている短剣が僕の最大の武器だ。


「それで、何日間見張ればいいんです?」

「三日後引き渡し予定だから、今日入れて四日かな」

「四日間も?なんでそんなに時間かけるんですか?」

「足が付かないように色々準備もあるんだよ。それに時間がかかれば相手側も動揺してこっちの要求通りに動いてくれるでしょ」

「ああ、なるほど。でも四日は流石に長いですね」

「私達は上の酒場で待機してるから何かあれば声をかけて。あ、今日の分のパンと毛布ね」


笑顔でそう言ってパンを渡してきたその女は、何故か僕の隣に腰を下ろし僕を真横から見つめてきた。


「私もここにいてあげようか?」

「いえ、一人で大丈夫ですよ」

「総司一人じゃ退屈でしょ?私が話し相手になるよ」


身体を寄せてくる女をさり気なくかわし、冗談じゃないと心中で舌打ちをする。
そもそも攫ってきた子の前で、軽々しく僕の名前を出すあたり相当頭が弱い。
これで身元がバレでもしたら最高に迷惑なんですけど。


「平気なので上に戻って下さい。今夜は冷えますし、こんな場所いたら風邪引きますよ」

「えー?でも私はいたいな」

「それより、この子の分のパンはどこです?」

「そいつには水だけで十分でしょ。普段良いもの食べてるんだからさ」

「四日間もあるのに平気ですかね」

「死んだら死んだでいいじゃん。なに、まさか罪悪感とか感じてるの?」

「いえ、まさか」

「だったらそんな奴のこと、気にかけないでよ。そいつは私達が金を手に入れるための餌でしかないんだから」


その女は背後にいる少女を睨み付けるなり、気分を害したかのように立ち上がると、地下の階段を登りそのまま戻ってこなかった。

アストリア公国の公女。
つまり、僕がかつて門前払いされた騎士団を所有する公爵家の大事な一人娘。
騎士団の奴ら、今頃焦ってるんだろうな。
そう思えば、少しは溜飲が下がる。
それに仕事内容を知った今、断ることは不可能だから引き受けるより他はない。
そう自分に言い聞かせても、どこかまだ心の奥がざわついていた。


「おい、新入り」

「はい、なんですか?」

「見張りは任せたぜ。あとはお前の自由だ」


残っていた男達も、女に続いて酒瓶を片手に笑いながら部屋を出て行った。

部屋には二人きり。
静寂が包む中、僕は檻の中の少女を見た。

やわらかなミルクティーブランドの髪はふわりと揺れ、静かに波打っている。
その細い肩にかかる様子が、まるで綾絹のようだった。
長いまつ毛が影を落とす大きな碧瞳は、吸い込まれるほど澄んだ青。
頬も、唇も、血色の良い桃色で、白い肌はまるで上等な磁器細工みたいに整っている。
触れれば消えてしまいそうなほど儚げで、不思議な透明感と、常軌を逸した愛らしさがあった。

思わず見つめていると、大きな瞳が不意に僕を見上げた。
ただそれだけのことで、胸の奥を静かに撫でられたような感覚が広がる。
理由は分からない。
分からないのに、妙に落ち着かない。

どうしてだろう。
綺麗な顔なんて、今まで何度も見てきたはずなのに。
それなのに、こんなふうに視線を外せなくなるなんて初めてだ。
視線が絡んだまま、逃げ場を探すように彼女の瞳がふるりと揺れるその様子があまりに無防備で。

……可愛い、なんて。

自分の中に生まれた感情に気づいて、内心で舌打ちをした。
冗談じゃない。
僕がこんな感情を抱くなんて、自分でも信じ難い。
だから何事もなかったみたいに視線を逸らしたのに、一度意識してしまった存在は簡単には頭から消えてくれなかった。

それに、気になるのは見た目だけじゃない。
怯えていてもおかしくない状況のはずなのに、彼女は涙一つ見せず、どこか誇りのような光を瞳に宿している。
たった一人でこの状況に耐えようとしているその健気さが、胸の奥に静かな苛立ちを落とした。
こんな子を傷つけるつもりなのか……そう思えば、さすがに穏やかな気分ではいられなかった。


「君さ、怖くないの?」


つい、口を開いてしまった。
少女は少しだけ目を見開き、それから小さく首を振った。


『怖いです……けど……』

「でも泣いたりもしないんだね」

『それは……泣いても帰れるわけではないですから』


彼女の声は震えていた。
けれど高くて聞き心地の良い声すら愛らしく思えてしまうから、僕はより苦い気持ちになった。
それにこんな場所に閉じ込められて、柄の悪い男達に囲まれて怖くない筈がない。
くだらない質問をした自分に嫌気がさして、しばらく何もしないまま、ただ部屋の隅で座っていた。

でも、それからどれくらい経った頃だろう。
くしゃみの音をきっかけに檻の中に視線を移すと、蝋燭に照らされた端正な顔が目に入る。
改めて見ると年齢は多分、僕より二つ三つ下くらい。
冬なのにやたら薄着なのは、さっきあの女が着ていた似つかわしくない毛皮のコートが、この子から奪い取った物だったからだろう。
俯きながら肩をすくめ、必死に寒さに耐えている様子だった。


「これ、使う?」


別にこの子がどうなろうが知ったことじゃない。
ただ体調を崩されでもしたら、僕の手間か増えるから渡すだけだと自分の中で言い訳じみたことを考えていた。
でも少し驚いた表情を浮かべた彼女は、暫く僕を見つめた後、檻の中に差し出された毛布を恐る恐る受け取った。


『使わせていただいても宜しいのですか……?』

「どうぞ」

『ありがとうございます……』

「あと、これも」


貰った大きめのパン一つ。
迷った末にあげることにしたのは、こんな僕でも弱者から物を取り上げるような輩にだけはなりたくなかったからだった。
勿論社会的弱者は彼女ではなく僕の方。
でも捕えられている今、僕の目に映るこの子は自分より年若い非力な女の子に過ぎなかった。
僕が生い立ちを選べなかったように、彼女だって好きで公爵家のご令嬢になったわけでも、誘拐されたわけでもない。
そう考えると、この子に牙を剥いたところで自分がより惨めになるだけに思えた。
でも檻の隙間から彼女にパンを渡してみても、困った表情を浮かべているだけで受け取ろうとはしなかった。


「君の食事はいつ貰えるか分からないよ。食べられる時に食べておかないとまずいんじゃないの?」 

『ですが……』


彼女が戸惑っている理由が、こんな得体の知れない奴からの食べ物なんか口に出来ないと思っているからなのか、そもそも庶民の食べ物なんて食べる気がないからなのかは分からない。
可能性の一つとして、たった一つしかないパンを自分一人が食べることに申し訳なさを感じている、ということもあるけど、一向に受け取ろうとしない彼女に痺れを切らし、パンを半分にちぎってその一つを再び差し出してみた。


「はい」

『あ……、ありがとうございます。いただきます』


思いの外、二度目はすんなり受け取った彼女を見て、可能性が低いと思っていた予想が正解だったことを知る。
綺麗な所作でそれを食べる彼女を横目に、僕も檻に寄りかかりながら美味しいとは言えない固いパンをちぎって口に入れた。


『おいしいです』


小さく漏れたその声を聞き、思わずその少女の方へ振り返る。
初めて彼女の瞳を真正面から見つめて、胸の奥で小さな何かが軋んだ。


「このパンがおいしいとはとても思えないけどね」

『お腹が空いてたからおいしいです。あと一つしかないパンだったのに、半分も分けて頂いたので……』

「僕に媚びを売っても、僕はここの組織の一員じゃないし、檻の鍵すら持ってないんだ。君を逃してなんかあげられないよ」

『はい、分かっています。ただお礼を言いたかったんです。パンと毛布、ありがとうございます』


ほんの一瞬だったけど、彼女はふわりと微笑んだ。
その笑顔を見た瞬間、僕の心が確実に大きく揺れた。

この子はあの騎士団を所有する公爵家の娘。
僕を拒絶した世界の一部だ。
それなのに、この子の瞳にはどこか言いようのない温かみを感じてしまう。
そんなこと、あるはずもないのに。


「もっと食べれば」

『いえ、もうお腹は満足しました』

「ちゃんと食べておかないと元気に帰れないよ。いいから食べて」


彼女の瞳が僅かに揺らいだけど、檻の隙間からパンを入れれば、少し震えた指先が伸ばされる。


『ありがとう……ございます……』


僅かに微笑んでから、今度は少し悲しそうにその瞳は伏せられる。
その様子は、自分が無事に帰れるかどうかを不安に思っているように見受けられた。
でも見張りの立場である僕が、何を言っても気休めにすらならないだろう。
眠るに眠れない夜はとても長くて、その後は一言も言葉を交わすことのないまま、静かな一日は終わっていった。


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