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次の日も、地下の空気は湿っていて、鼻を刺すような酒とカビの匂いが充満していた。
かすかな明かりが灯るだけの暗い空間の中。
酒場から降りてきた数人が地下室に来るなり、檻の中を満足そうに見下ろした。

こいつらの話によれば、この子の誘拐は入念に計画されていたらしい。
買収された公爵邸の侍女は、長い何月をかけてこの子の信頼を得ていたという。
昨日の昼頃、侍女は「公爵様へのクリスマスプレゼントを見に行きませんか?」と甘く誘った。
この子は侍女に上手く言いくるめられ、護衛をつけずに外出。
けれど馬車が裏路地へ入ると、待ち伏せていた男達が一瞬で侍女を取り押さえ、この子を連れ去ったという。

侍女は口封じのためにすぐに殺された挙げ句、彼女の遺体はまるで山賊に襲われたように細工され森に放置された。
騎士団は山賊による犯行と判断し、今はまた森の奥ばかりを捜索しているという。
その間にこの子は、城下町の地下にある密輸人の隠れ家へと運ばれていた。
ここは表向きは普通の酒屋だけど、地下には秘密の部屋がある。
こいつらはこれまでにも何度か貴族の子女を誘拐し、巧妙に身代金を奪ってきた悪の組織だった。

そんな彼らのやり方は単純だった。
誘拐直後は目立たない場所へ潜伏し、捜索が激しくなる前に公爵家へ脅迫状を送る。
そして捜索が広範囲になりかけたタイミングで、街の貴族の屋敷に仕える裏の人間を使い、身代金を受け取るのだ。

今回も騎士団の目を欺くため、指定した受け渡し場所は町の外れにある教会だった。
金を持ってくるよう命じられた公爵家の使者は、誰が受け取るのか分からぬまま、一人で金を置き、立ち去らなければならなかった。
受け取り役は、教会に仕える少年。
彼は何も知らずに預かった金を、町のパン屋の主人へ届けた。
その金を受け取ったパン屋の主人が代金として、さらに別の商人へ渡し……と何度も仲介を経ることで、金の流れは完全に見えなくなる仕組みだった。


「早く金貨様を拝みたいぜ」

「ああ、そしたら酒もたらふく飲めるってもんだ」


くだらない話を聞くなら一人でいた方がマシなのに、お酒が入っているせいか止まる気配がない。
うんざり気味に檻に寄りかかると、少しだけ服の裾が引かれた気がして僕は後ろを振り返った。


『あの……』


僕にだけに聞こえるような少し掠れた声。
言い難そうにしながら一度僕を見上げるも、直ぐに視線は逸らされた。


「どうしたの?」

『……お手洗いに行かせて頂けませんか?』


……当たり前にそうなるよね。
何時間もここに閉じ込められていれば当然だ。

彼女は長いこと言い出せずに我慢していたのか、少し余裕のなさそうな表情の下の顔色は青白かった。
それが彼女の美しさを際立たせるかのようで、蝋燭の光の下の愛らしい様相を目の前に、また罪悪感を感じてしまう。
乱雑に置かれた殺風景な檻の中、この子がそこに入るだけで絵になると言えばいいのか、まるで箱庭の中に閉じ込められた人形のようだった。


「すみません。この子、用を足したいみたいなんですけど、この檻開けてもらえます?」

「檻を開けるだと?んなこと出来るわけねえだろが」

「でも、まさかここでするわけいかないですよね」

「そこに桶があんだろ?」

「見ててやるから俺らの前でしてみろよ」


げらげらと下卑た笑い声が響かせる男達の嫌な視線を受けて、檻の中のこの子は言葉を失ったように瞳を揺らす。
タチの悪い低俗な振る舞いに呆れつつ、こんな奴らと共謀している僕も結局は同じかと、乾いた笑いを溢した。


「やだな、お兄さん達からしたらこんな子ただの子供でしょ」

「は?」


この子にそれを強要するのは流石に気の毒に思えてしまう。
だからこそ、まずはこの場にいる連中をどうにかして地下から追い出す必要があると考えた。
今、地下室にいるのはただの酔っ払い数人。
彼らに命令することはできないけど、誘導くらいはできる筈だと僕は言葉を続けた。


「昨日誰かが言っていたんですけど、今日上の酒場に新しい女の子達が来るらしいですよ。それもとびきり上玉らしいって聞いて」


昨晩、組織の連中の一人が酔っ払いながらそんなことを言っていたのは本当だ。
こいつらの話には常に聞き耳を立てていたから、こんなくだらない情報でも役に立つものだと、口元に笑みを浮かべた。


「なんだよ、それは本当か?」

「ええ。ここで飲んでも味気ないでしょうし、新しい子達を他の客に盗られる前に酒場に戻った方がいいんじゃないんですか?」


男たちは一瞬顔を見合わせるも、男の一人が「たしかに」と呟く。


「こんなとこで飲んでたって退屈なだけだな」

「おい、お前はどうする?」

「俺も行くわ」

「おーし、じゃあ行くか!」

「行ってらっしゃい。見張りは僕がしておくのでご心配なく」


ごそごそ立ち上がった男達ににこりと微笑み、彼らが階段を上がっていくのを見送る。
ようやく地下室には静寂が戻り、僕とこの子の二人だけになった。


「さてと……」


彼女は檻の中にいて、ここから出ることは不可能だ。
用意してある桶を使うとしても、檻の中は丸見え。
そして地下室は静かすぎてどんな音も響いてしまう。
この子がこのまま用を足すなんて、耐えられるはずがないと予想した。

でも時間が経てば経つほど、彼女の苦しみは増していく。
彼女の尊厳を傷つけずに、安心して用を足せるようにするにはまずは視線を遮る方法を考えようと僕は周りを見回した。
檻の外に目を向けると、古びた木箱や樽が転がっている。
地下室にある古い布や麻袋を組み合わせれば、即席の目隠しを作れるかもしれない。


「ちょっと待ってね」


僕は近くにあった大きめの木箱を檻の前に持ってくる。
中身は空で、軽い。
次に隅に無造作に放り投げられていた古い麻袋を手に取る。
多少埃っぽいけど、この際贅沢は言っていられない。


「これを使えば、ちょっとは隠せるかな」


僕は木箱を檻の前に立てかけ、その上から麻袋を掛けた。
完全に視界を塞ぐには足りないものの、少なくとも僕の位置からこの子が見えないようにすることはできる。


「これで、僕からは君が見えないよ」

『ありがとうございます……。ですが……音が……」


やっぱりそこが気になるよね。
小さな音でも響いてしまうのが問題だ。
なら、音を誤魔化せるようにすればいい。


「……よし」


僕は手近な酒瓶を手に取ると、地下室の隅にある排水口にたてかけ、わざと中身を地面にこぼし始めた。
酒瓶は傾けられたことで、床にゆっくりと液体を垂らす。
べちゃべちゃと音が響き彼女が気にする音を紛らわせる気がした。


「これなら、ちょっとは気にならないんじゃない?」

『はい……』


あとは、僕がちゃんと気を遣えばいい。
僕は背を向けたまま、何気ない口調で言った。


「僕はしばらく、こっちで遊んでるから。終わったら教えてね」


そう言って僕は別の酒瓶を手の中で転がしながら、檻からさらに距離を取る。
決して彼女を覗かず、何気なく振る舞いながら、できる限り彼女の恥を和らげようとした。


『あの……終わりました』

「じゃあそっち行っても平気?」

『はい……』


麻袋を外し木箱を退かせば、檻の中の彼女の頬は真っ赤だった。
慣れない環境でこんな状況になってしまったことがどれほど恥ずかしかったか考えるまでもないけど、再び罪悪感が湧き上がる気がした。


「じゃあ、あとは僕がどうにかするね」

『え……?』

「その桶、貸してくれる?」


地下室はそこまで広くない。
時間が経てば、嫌でも臭いが充満してしまう。
それに酔っ払いどもが戻ってきたとき、妙な臭いに気づかれたら厄介だと思ったから、今のうちに処理するしかないと考えた。
でも僕の言葉を聞いた彼女は、目を見開き、慌てて首をふるふる横に振った。


「……え?なんで?」

『そんな……、だって……汚いですから……』


この子からしたら排泄物を見られるのも辛いらしい。
若干涙目で僕を見つめるから、また気付きたくもない変な心情にさせられる。


「気にしないでいいよ。別に汚くないし、人間みんなするものでしょ」

『でも……』

「そのままおいておくと、臭いとか出ちゃうよ。その方が君だって嫌じゃない?」


僕を見ないまま唇をきつく結び、彼女は懸命に考えている様子だった。
そして数秒後、少し震えた手で檻を持った。


「じゃあ少し借りるね」


檻の端、下の方に小さな扉があった。
食事や飲み物を渡すためのもので、普段はほとんど使われることはない。
その扉を開けて、少量の液体が揺れる樽を受け取った。


『申し訳ありません……』


この子が謝る必要はないのに、心底申し訳なさそうにそう言われてしまえば僕の方が苦笑いするしかない。
地下室の隅の排水口にそれを中身を捨てて、念のため空になった桶に酒を少し垂らし、匂いを消しておけば完璧だ。


「これで、もう大丈夫だよ」


僕の様子を檻の中から見ていた彼女は少し驚いた様子でいながらも、安堵したように微笑んでくれた。


『ありがとうございます……』


桶を受け取った彼女の頬はまだ少し赤いままだったけど、先程よりかは緊張が解けたように見える。
僕も僅かに胸を撫で下ろし、一つ問題が解決したことにほっと息を吐き出した。



それから一日目、二日目と終わり、僕はたまに仮眠を取りながらも彼女を見張った。
僕達の間にはほぼ会話のやり取りはなく、ただ食事や水を渡すだけの関係だった。
でも僕が何かを差し出せば、檻の中のこの子は必ずお礼を口にする。
そうするよう育てられたんだろう、その言葉には心が篭ってないわけでも、他意があるわけでもなさそうだった。
そして三日目の夜になり、あと少しだと伸びをした時、酒場から出てきたあの女が地下の部屋へと入ってきた。


「見張りお疲れ様。あと少しだね」

「どうも」

「思ってたんだけどさ、総司ってまだ若いわりに背も高いしカッコいいよね。前の国でもモテたんじゃない?」

「まさか。このご時世、地位も権力もない男がモテるわけないと思いますけど」

「そんなことないって。ねえ、私と付き合ってみない?」


明日が身代金の受け渡し日だっていうのに随分お気楽なものだ。
内心でうんざりしながらも、どうでも良い揉め事は面倒なだけだと、無理矢理口元に笑みを作る。


「んーお姉さんからのお誘いは嬉しいですけど、僕あんまり女の子に興味ないんですよね」

「え?まさか男が好きなの?」

「……いや、違いますから。今は毎日の食事と寝床を探すのに手一杯ってことですよ。女の子はいなくても生きていけるけど、お金は絶対必要でしょ」

「あー、確かに。分かるよ」


本当に分かっているのかは知らないけど、取り敢えずうまく断れたからよしとする。
でも彼女は直ぐに後ろを向くと、僕達の後方にある檻の中を見つめて言った。


「私達が幸せになれないのって、こいつら貴族のせいだよね」


その言葉に自分のことだと気づいたんだろう、檻の中で静かにしていた彼女は、僅かに肩を揺らした。


「ねえ、それ高そうだね。私にちょうだいよ」


伸ばした女の手が檻の中に入り、少女の首にかけられているペンダントを握った。
鈍い音と共に切れたけど、それを追うように伸びた細い手は女の手首を掴んでいた。


『それはだめですっ……』

「は?離せよ」

『お願いします、大事な物なんです……!』


今までは絶対に歯向かうことをしなかったその子の必死な様子を横目に、二人を止めようと近寄る。
けれど逆上した女は、直ぐ近くの果物のナイフを取るなり彼女の掌を斬りつけた。


『……っ……』

「ちょっ、なにやってるんです?」


ナイフを持つ腕を拘束したものの、斬られた少女の手から溢れた鮮やかな血液は腕を伝って流れ出す。
刺したり刺されたりは僕達の世界で珍しいことではないけど、この無計画さには眉を顰めずにはいられなかった。


「なんで止めるの?」

「この子は大事な人質ですよ」

「金さえ入ればこんな女どうなったっていいじゃん。そもそも傷付けないで返すなんて約束してないし」

「無意味に傷付ける必要もないと思うんですけどね」

「なんなの?毛布渡したり庇ったりして馬鹿みたいなんだけど。こいつだってどうせ、私達のことなんて虫けらくらいにしか思ってないんだから!」


喚く女の声を疎ましく思いながらも、事を荒げることだけは避けたい。
ペンダントを女の手からやんわり受け取り、落ち着いた口調で告げた。


「分かってますよ。だから今回は僕達が利用するんでしょ。だったら最後まで冷静にうまくやらないと」

「私は冷静だよ。別にこの程度じゃ何も変わらないでしょ?」

「そうだとしても、明日は大事な日ですから、身体を休ませた方がいいと思いますよ。何かあったら君だって上の人間に怒られることになるでしょ?引き渡しまであと少しですし、極力余計なことはしないに越したことはないと思いますけど」

「分かってるけど……」

「ほら、身体冷えてますよ。温かいところで休んでください」


癇癪を起こす相手に攻撃的な言葉を吐くのは逆効果だから穏やかに話しかけてみると、少し落ち着いたのか女は分かったと頷き、暫くしてようやく地下室から去ってくれた。


「さっき斬られたとこ、大丈夫?」


小さい掌には、痛々しく斬られた跡がある。
その細い線から溢れる血液を見て、僕は思わず眉根を寄せた。


「まずいな、血が結構出てる」


呆然と、震える自分の掌をただ見つめる彼女に僕の声が聞こえているのかは分からなかった。
失血量が多かったり感染症にかかりでもしたら、命に関わる。
この子は今日まで、涙一つこぼさず頑張って耐えてきたっていうのに。


「手出して」


ここには男達が残していった少しの酒しかない。
それを手にかけ消毒し、止血の為に取り出したのは僕が使っていたハンカチだった。
薄い青色のそれを均等に折り、彼女の傷を覆うように縛った。


「血を止めないといけないからきつく縛るよ」


明日の夜の引き渡しまであと丸一日。
殆ど食事も取れていないこの子が、体力的に持つのか懸念が生まれる。
そもそも、報酬欲しさにこの仕事を引き受けてしまったことを後悔しなかっといえば嘘になるけど、ここまできたらやるしかない。
余計な感情は捨てるべきだと、自分に言い聞かせることしか出来なかった。


「痛い?」

『大丈夫です』

「本当に?」


その問いに僕を見た彼女は、目の揺らぎを見せた。
でもすぐにこくんと一度だけ首を縦に振った。


「はい、これ」


取り返したペンダントは壊れていた。
でもそれを彼女に返してあげると、一度唇を引き結んでから僕を見上げた。


『ありがとうございます』


僅かに潤んだ綺麗な瞳に見上げられて、僕は思わず視線を逸らす。
湧き上がってしまう自分のもどかしい感情に目を背けるようにして、僕は再び口を開いた。


「それ、そんなに高価なものなの?」

『高価かどうかはよく分からないですけど……』

「でも取られるの、相当嫌だったみたいだね」

『これは母の形見なんです。小さい頃からずっと身につけていて、私の大切なお守りだから』


怪我をしなかった方の手で大切そうにそれを握りしめた彼女を目の前に、この子にはこの子なりの事情や苦悩があることを知る。
挙句にこんな誘拐までされて、この子の心に大きな傷が残ってしまうのではないかと心苦しく思う自分がいた。


「明日になったら帰れるから。あと少し頑張って」


誘拐を黙認して、見張りの報酬を得る予定の僕が何を言ってるんだか。
でも、僕は檻の鍵も持っていなければ首謀者でもない。
言うなれば、ここに来るまで誘拐に加担することになるなんて知らなかったただの見張り役だ。
でもそんな言い訳を心の中で並べている時点で、自分を正当化したいだけ。
いっそ完全に悪になれたら楽だろうと思いながらも、日に日に増えていく罪悪感を拭い去ることはできなかった。


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