9
セラ嬢を部屋まで送り届けると、扉の前で彼女は足を止める。
壁際に灯された燭台の明かりを受けた彼女の瞳が、まっすぐ僕を見上げた。
『総司様、今夜はどうもありがとうございました。総司様のおかげで、とても楽しく過ごせました』
律儀だなと思う。
それから、やっぱり可愛いな、とも。
夜会の最中もずっと隣にいたというのに、こうして別れの時間が来てしまうと、どうしても名残惜しくなる。
もう少しだけこの顔を眺めていたい。
そんなことを考えている自分を悟られないよう、僕はいつもの調子で軽く微笑みながら、彼女を見つめた。
何か、自然な口実はないものかな。
しばらく考えた末、思いついたのは馬車の中で交わした会話だった。
「少ししたらまた来てもいい?長居はしないからさ」
『はい。ですが、どうかされたのですか?』
「馬車で話してたあの本、久しぶりに見たいなって思ったんだ」
他に適当な理由が見つからずに、そう告げてみる。
すると思いの外セラ嬢は、嬉しそうにその顔を綻ばせた。
『勿論です。本を用意して待っていますね』
セラ嬢は昔の僕達の話をしている時が一番嬉しそうに笑ってくれる。
今もにこやかに微笑み、僕の提案を受け入れてくれていた。
「じゃあ、寝支度を整えたらまた来るね。寝ないで待っててよ」
『わかりました』
自室に戻り、夜会のために整えていた衣服を脱いで、バスルームで身を清める。
ようやく一日の緊張がほどけていくような気がしたものの、身体の疲れとは裏腹に、僕の足取りは軽かった。
今夜は千たちも夜会の後に催される宴席に招かれているから、あの三人が戻るのはまだしばらく先になるだろう。
屋敷の使用人たちもすでに夜の務めを終え、それぞれの持ち場から離れているらしい。
僕は周囲に人がいないことを確認しながら彼女の部屋へと向かい、控えめにその扉を叩いた。
「はい」
扉を開けたのは、セラ嬢付きの侍女であるエイミーだった。
僕を見ると、驚いた顔をしつつ、慌てて深く頭を下げた。
「入っても平気?」
「はい、大丈夫でございます」
「君はもう休んでいいよ。あとは僕が付き添うから」
「ですが、まだ薬などは飲んでおりませんが……」
「それも僕がやるから問題ないよ。いいから、君は下がって」
毎朝僕のところに来ては、セラ嬢の食事や体調、その日の予定や交わした会話まで事細かに報告する責務を負っている彼女は、僕がなぜそこまでセラ嬢のことを気にかけているのか、薄々疑問に思っているのだろう。
僅かに瞳を揺らしたものの、それ以上は何も尋ねず、小さく頭を下げた。
「……かしこまりました」
それだけ言うと、彼女は僕の脇を通り、静かに部屋を出ていった。
入れ替わるように僕が室内に足を踏み入れると、優しい花の香りが僕の心を癒していく。
ドレッサーの前にいたセラ嬢は、僕に気付くと、ふわりと微笑んでくれた。
『総司様、お待ちしておりました』
そう言って立ち上がったセラ嬢は、僕の前まで歩いてきたところで、ふと何かを思い出したように目を瞬かせた。
「どうしたの?」
声を掛けたものの、彼女はくるりと踵を返し、部屋の奥に置かれた机まで小走りで向かっていく。
やがて机の上に置かれていた絵本を大事そうに腕に抱えると、また僕のところまで戻ってきた。
その様子がなんだか微笑ましくて、思わず笑みがこぼれる。
「読む気満々だね」
『ふふ』
彼女の顔には化粧気はなく、幼い頃の面影をそのまま残した、あどけない可愛らしさがある。
下ろされただけの髪も、薄い夜着の上に少し大きめなカーディガンを羽織った姿も、たまらなく愛おしく思えた。
「どこで読む?」
『ソファーにしますか?その方がお隣に座って読めますよね』
「じゃあ、そうしようか」
この絵本は、僕にとって思い出深い大切な一冊だ。
どこか半信半疑だったけど、本当に大切に残しておいてくれたのだとわかると、胸の奥が疼いた。
僕との思い出をすべて忘れたがっていた君が、どうしてこの本だけを残してくれたのか、その理由はわからない。
それでも今、こうしてまた一緒にこの本を開けることが嬉しかった。
『では、今夜は私が総司様に読み聞かせをして差し上げますね』
「セラ嬢が読んでくれるの?わーい、嬉しいな」
『ふふ。わーいなんて、子供みたい』
「絵本を読む時くらい、童心に帰りたいじゃない」
『そうですね、総司坊ちゃま』
「ちょっと。その呼び方はやめてよ」
くすくすと笑うセラ嬢を見ていると、昔のことが重なって見える。
あの頃も、僕の隣でこんなふうに笑っていた。
今もまた僕の隣で笑ってくれていることが嬉しくて、僕は彼女の柔らかな声に耳を傾けながら、その笑顔を見つめていた。
『夜空にきらきら光る大きな月がありました。その月のお城には、とてもかわいらしい月の王女さまが、やさしいお父さまとお母さまと一緒に暮らしていたのです。王女さまには星空の神さまから授けられた、ふしぎな力がありました。人からもらったやさしい気持ちを、小さな月の欠片にかえて胸にためていける力でした』
幼い頃、大好きだった絵本を、今こうしてセラ嬢に読んでもらっている。
そんな未来があるなんて、少し前までの僕は考えたこともなかった。
彼女を失ってからの五年間、毎日はひどく長かった。
眠る前には必ずその姿を浮かべ、優しい眼差しや、僕に向けられた声を記憶の中から拾い集めるようにして、一日を終えていた。
そうして目を閉じれば、明日にはまたセラ嬢に会えるような気がしたけど、朝になれば彼女はいない。
その当たり前の現実だけは、どれだけ時間が過ぎても受け入れられなかった。
だから今、僕のすぐ隣にセラ嬢がいることが、夢の続きのように思えてならない。
手を伸ばせば届く距離にいて、僕の隣で笑って、思い出の本を読んでくれている。
そのことが、僕には奇跡みたいだった。
もう失いたくないという思いが溢れる中、その一瞬一瞬を、二度と失くさないように心の奥に刻みつけていた。
『悲しい時は、呼びかけてみてください。王女さまがあなたに、月の欠片をわけてくれるかもしれませんよ。……おしまい』
「ありがとう、読んでくれて」
『どういたしまして。何度読んでも、悲しくて温かいお話ですね』
絵本の最後には、幼い頃の僕が何度も眺めた月の王女さまが描かれている。
淡い月明かりの中で、小さな月の欠片を両手に包むように差し出し、まるで泣いている誰かを慰めるような優しい笑みを浮かべている王女さまの絵だ。
昔から思っていたことだけど、こうして改めて見ると、やっぱりセラ嬢によく似ている。
柔らかな色合いも、どこか儚げな佇まいも、相手を疑うことを知らないようなその微笑みも、不思議なくらいそっくりだった。
何も持っていなかったあの頃の僕に。
誰かに優しくしてもらえることが、どんなものなのかすら知らなかった僕に、何も求めず手を差し伸べてくれたのは、この本とセラ嬢だけだった。
だからなのだろう。
今になってこの本を眺めていると、胸の奥にしまい込んでいた遠い記憶まで鮮明に蘇ってくる。
「懐かしいな。君がまだ持っていてくれて、嬉しいよ」
『私も、総司様とこの絵本を一緒に読めて嬉しかったです。総司様の大切な絵本を、ずっとお預かりしたままになってしまってごめんなさい。これは、総司様にお返ししますね』
僕たちの縁なんて、とっくに途切れてしまったものだと思っていた。
それなのに僕の知らないところで、大切にしまわれ続けていた。
それだけのことなのに、まるで切れてしまったと思っていた細い糸が、まだどこかで僕たちを繋いでいたみたいに思えてしまう。
そう考えると、この本を僕が持つより、彼女の手元に置いておくほうがいい気がした。
「この本はこれからもセラ嬢が持っていてくれる?」
『え?でも……総司様の思い出の絵本なんですよね?』
「うん。だから君が持っててよ。僕が持っていると、なくしちゃいそうだからさ。それに君の手元にあるほうが、この本もきっと喜ぶんじゃないかな」
セラ嬢は僕を見上げたまま、しばらく何かを考えるように唇を結んでいたけど、やがてふっと表情を和らげた。
『わかりました。私が責任をもって、この本を大切に保管しておきます』
「ありがとう。じゃあ、よろしくね」
もう少しだけ、このままでいたい。
何か話すことはないかなと考えていると、隣にいるセラ嬢がさりげなく視線を逸らし、穏やかな笑みを浮かべた。
『では……そろそろ寝ましょうか』
今は決して、僕の思惑を悟らせるわけにはいかない。
だからこそ、もう立ち去ったほうがいいと分かっているのに、なぜか身体は素直に動いてくれなかった。
夜会でメルディック殿と踊っていた時のセラ嬢の姿が脳裏に浮かぶたび、心に靄がかかるようだった。
長い間、南部に出向いていたあの男が、セラ嬢に害をなすような人物だとは思っていない。
それでも、馬車の中で彼女が僕に話したことがすべて本当だったとは、どうしても思えなかった。
メルディック殿が何を話したのか。
なぜセラ嬢は隠す必要があったのか。
そしてまさかあの男が東部の誰かと繋がっているのではないかとまで、疑ってしまう。
……せっかく、少しずつ距離が縮まってきたというのに。
僕と彼女の間に余計なものを持ち込もうとする人間がいるのなら、誰であろうと気に入らない。
まして、いつも正直なセラ嬢に、嘘まで吐かせた男だと思えば、その顔を思い浮かべるだけで妙に腹立たしかった。
そんなことを考えていると、隣から控えめな声が落ちてくる。
『総司様?』
「ああ、うん。そうだね。僕もそろそろ部屋に戻ろうかな」
名残惜しさを悟られないよう、いつもの調子で笑って立ち上がろうとした、その時だった。
灯りを抑えた室内が、突然、真昼のような白い光に染まった。
ほんの数拍遅れて、窓を震わせるほどの雷鳴が響き渡る。
『……ひあっ』
隣にいたセラ嬢の手が、咄嗟に僕の左袖を掴んだ。
思いがけない感触に、僕は一度目を瞬かせる。
セラ嬢は雷に怯えながらも警戒した様子で窓の外をじっと見ていたくせに、僕と目が合うなり今度は僕に縋り付いていたことに驚いて飛び退いていたから面白い。
『あっ、ごめんなさい……』
「いいえ。別に謝らなくてもいいよ。それより、まだ雷が怖いの?」
『全然怖くないですよ』
あまりにも堂々と言い切るものだから、思わず笑ってしまう。
けれど、その強がりは長くは続かず、再び大きな雷鳴が轟くと、セラ嬢の肩がびくりと跳ね、両手で耳を塞いでいた。
「あははっ。そうは見えないけどな。さっきから随分と怖がってるように見えるよ」
『雷が怖いわけではなくて、大きな音にびっくりしてしまうんです。だから、怖いわけではありません』
「なるほどね。じゃあ今度、セラ嬢の耳元で思いきり大きな声を出してみようかな。雷より先に僕が驚かせてあげるよ」
『それだけはやめてください。驚きすぎて、総司様を攻撃してしまうかもしれませんよ』
「君の攻撃なんて、赤ん坊が一生懸命に拳を振り回しているくらいのものだろうし、僕なら別に構わないよ」
『それは私が弱いって言いたいんですか?』
「そう聞こえた?」
『聞こえました』
じっとりと睨むような視線を向けられて、僕は肩を竦める。
「そんな顔しないでよ。君が思っているより、僕は君のことを弱いなんて思っていないからさ」
『それなら、最初からそう言ってください』
「うん。じゃあ訂正しようかな。セラ嬢の雷が鳴るたびに耳を塞いじゃうところが可愛いと思うよ。子供みたいで」
『……もう、総司様は意地悪です』
そう言いながらも、セラ嬢はまた窓の外を気にしている。
そして、空の向こうで低い雷鳴が唸った途端、小さく肩を揺らして、耳を塞いだ。
僕はそんな彼女を見つめながら、つい口元に笑みを浮かべてしまう。
さっきまで胸の奥を覆っていた苛立ちさえ、今は少し薄れていた。
『奥様方、まだ宴席の途中ですよね?このお天気の中、お屋敷まで帰ってこられるでしょうか?』
「大丈夫じゃない?もし夜道を進むのが難しいようなら、そのまま宮殿で夜を明かすこともできるだろうしね」
『でも、やっぱり心配ですね』
全くもって心配なんてしていないけど、それを言葉に出すとセラ嬢に僕の人格が疑われてしまうから黙っておく。
そんな僕の横では、セラ嬢が立ち上がり、僕に控えめな笑みを向けた。
『私、そろそろ寝ようかと思うんです。総司様もそろそろお休みになられた方がよろしいのではないですか?』
ようは、そろそろ部屋から出て行って欲しいということか。
僕達の関係上、仕方ないこととは言え、こうして遠回しに距離を取られるたび、胸の奥には小さな痛みが残った。
周囲の目がある以上、今すぐ彼女を僕の側室として迎えることは出来ないとは言え、どうにももどかしい。
正式に僕のものにしてしまえば、誰の顔色を窺う必要もなく、彼女の隣にいることも、手を伸ばすこともできるんだから。
まあ、そんなことを考えているなんて、本人には知られたくないけど。
「そうだね。でも、雷はもう平気なの?」
『大丈夫ですよ。眠ってしまえば、きっと気になりません』
「そう。じゃあ、雷の悪魔に連れていかれないように気をつけてね」
ソファーから腰を上げると、セラ嬢はぱちりと目を瞬かせ、それから口元に指先を添えて、くすりと笑った。
『ふふ。雷の悪魔のこと、覚えていらっしゃったんですね』
「覚えてるに決まってるじゃない。あんな話を聞いたのは初めてだったし、あんな子供騙しを本気で信じてる子がいるんだって衝撃だったよ」
『あの頃はまだ子供でしたから、子供騙しに引っかかってしまう年頃だったんです』
「そうなんだ。でもセラ嬢のことだから、まだ雷の悪魔の存在を信じてるかと思ってたんだけどな」
『総司様は私を子供扱いし過ぎです。もう十七歳になったんですよ。立派なレディです』
そう言って胸を張る彼女を見ていると、思わず笑みが零れた。
その仕草が妙に愛らしくて、僕は幼い頃の彼女を思い出してしまう。
あの頃より背は伸びて、顔立ちも以前より大人びて、もう子供と呼ぶには相応しくない。
それでも、僕が好きだった彼女の愛らしさは、少しも失われていないように思えた。
とは言え、少なからず変わった部分も沢山あるんだろう。
その証拠に、幼い頃の彼女なら、僕にあんなふうにすらすらと嘘を吐くことなんてできなかったはずだ。
もちろん、あの時の彼女には僅かな動揺があった。
だから彼女が何かを隠していることにはすぐ気付いたけど、嘘を吐かれたことへの苛立ちよりも、その嘘を僕に吐かなければならないほど、彼女との間に距離ができてしまったことのほうが、ずっと苦しかった。
昔なら僕に何でも話してくれたのに、今はそうじゃない。
その事実を突きつけられたようで、胸の奥が鈍く痛んだ。
「本当に……大人になったよね」
良くも悪くも、僕達は成長した。
あの頃のように、ただ真っ直ぐセラ嬢の幸せを願えていた僕はもういない。
そして、僕を信じてくれていたセラ嬢も、もうどこにもいないのだろう。
『ふふ、そんなふうに改まって言われてしまうと、なんだか少し恥ずかしいですね。でも、総司様も本当に変わられましたよ。昔よりずっと背が高くなって、それに……騎士として鍛えられたからでしょうか。立派な体格になられて、以前より更に頼もしく見えます』
「まあ、男の成長期は女性より遅いっていうからね。君に会えなかった間が、ちょうど僕の一番成長した時期だったのかもしれないけど」
『昔は、一年お会いできなかっただけでも、次にお目にかかるたびに驚いていたんですよ。少し背が伸びたとか、前より大人っぽくなったとか。それが五年ですものね。お互い、変わってしまって当然なのかもしれません』
その言葉が落ちた途端、まるで彼女の言葉を肯定するように、窓の外で激しい雷鳴が轟いた。
セラ嬢の肩がびくりと揺れ、反射的に耳を塞ぐ。
その様子も昔と変わらなくて、僕は堪えきれずに笑ってしまった。
「ははっ。そういうところは、昔から全然変わってないね」
『……もう。笑わないでください』
少し唇を尖らせて抗議する姿まで昔のままで、僕はますます可笑しくなった。
「でも、変わってないところは他にもあるよ。例えば、よく笑うところとか、心配になるくらいお人好しなところとかさ」
『総司様だって沢山ありますよ。優しいのに意地悪なところとか、実は可愛らしい一面があるところとか、案外繊細なところとか』
「案外繊細ってなんなの?君こそ、案外図太いところあるよね」
『図太いとはなんですか?私だって繊細です』
セラ嬢は眉を少し吊り上げて抗議してきたけど、その後は二人して顔を見合わせて笑ってしまった。
でも、僕の中では同時に淋しさも込み上げていた。
こうして僕のことをよく知ってくれているのは、君しかいないのに、僕達の距離はまだ遠い。
結局、僕は彼女をただ傍に置いておくだけでは満足できないのだろう。
会えなかった五年間を思えば、こうして彼女の笑顔を見られるだけで十分幸せなはずなのに、それだけではどうしても満たされない。
もっと近くにいたい。
もっと僕だけを見てほしい。
僕はどうしても、この子からの愛情が欲しくて堪らない。
胸の奥に残った空白が、彼女と一緒にいる時ほど鮮明になり、欲を持て余すほど心がじくじくと痛んでいた。
「さてと、じゃあそろそろ行こうかな。ほら、君は薬を飲んで」
エイミーから、先程まだ薬を飲ませていないと聞いていたから、何気なくそう促した。
けれど、セラ嬢の瞳がわずかに揺れて僕を見上げた。
『あの、総司様……このお薬、まだ飲まないといけませんか?』
「どうして?」
『依存性はないと仰っていましたけれど、私はもうすっかり元気になりましたし……あまりお薬に慣れすぎてしまうのも、よくないのではないかなと思って』
以前、僕が休暇を取って彼女の部屋で過ごしていた頃、一度だけ錠剤の数が合わなかったことがあった。
その時は、どこかに落としたのか、それとも僕の数え間違いなのかと思って、それ以上気にも留めなかった。
けれど今になって、ふと引っ掛かる。
このタイミングで、セラ嬢が妙に薬を飲みたがらないこと。
今夜のメルディックとの会話。
王太子やはじめ君が、卓に置かれたままになっていた薬を持ち帰り、調べている可能性は十分にある。
それらを一つずつ繋ぎ合わせていくと、どうにも嫌な予感が拭えなかった。
メルディックはここ数年、帝国を離れ南部にあるアカデミーに通っていた。
その間に誰と関わっていたのかも、僕には分からない。
ルヴァン王国の王太子が近年、南部との交流を深めているという話まで思い出せば、考えたくもない可能性が、いくつも頭を過ぎっていくようだった。
本当なら、今夜くらいは久しぶりに眠るこの子の傍でゆっくり過ごしたかった。
できることなら、もう少し近くでその温もりを感じていたかったけど、ここで薬を飲むよう無理に勧めれば、セラ嬢に余計なことを考えさせてしまうかもしれない。
そう判断して、僕は何でもないことのように微笑んだ。
「そうだね。セラ嬢ももうすっかり元気になったみたいだし、この薬はもう飲まなくていいよ」
『……本当ですか?』
思いがけなかったのだろう。
セラ嬢は大きく目を見開いたあと、張り詰めていたものがほどけたように、ほっと小さく息を吐いた。
「そんなに安心した顔をされると、僕が無理やり飲ませようとしていたみたいじゃない」
『そんなつもりではありません。ただ、もう必要がないのでしたら、そのほうがいいかなと思っただけです』
「うん、分かってるよ。ごめんね。もっと早くやめれば良かったかな」
『いいえ。このお薬のおかげで、身体が痛む時もずいぶん楽になりましたから。助けていただいたことには、本当に感謝しています』
「この薬の効き目は凄いもんね。僕も深手を負った時、痛みで眠れなかったことがあったんだけど、この薬のおかげで夜はぐっすり眠れたんだ。それ以来、常に切らさないようにしていたんだけど、困ったことに最近は急に手に入りにくくなっちゃってね」
何気ない話をするように告げると、セラ嬢はぱちりと瞬きをした。
それから、何かを言おうとしては躊躇うように視線を彷徨わせ、やがて意を決したらしい。
遠慮がちな声音で尋ねてきた。
『ですが……以前、総司様はお医者様から出されたお薬だと仰っていませんでしたか?』
「うん。あの時は、余計な心配をさせたくなくて、そう言っただけなんだ。本当は少し特殊な経路で手に入れている薬でね。効き目は確かなんだけど、眠気が強く出ることがあるから、昔は悪いことに利用された例もあったらしい。それで今では普通に処方される薬ではなくなったんだ。とはいっても、正しく使う分にはきちんと効果のある薬だから、君が心配するようなものではないよ」
『そう……だったのですね』
「ごめんね、黙ってて。でも、依存性がないというのは本当だよ。最初から余計なことまで話したら、君が薬そのものを怖がってしまうかもしれないと思ってさ。もう飲む必要もないみたいだし、今なら話してもいいかなって思ったんだ。それに、君が眠っている間も、僕だけじゃなく護衛の騎士達やエイミーが君の身を案じていたから、そこは安心していいよ」
あえて、そう伝えた。
メルディックから薬について何か聞かされていた可能性もあると考えれば、僕の口から先に話してしまった方がいい。
隠し立てする必要などないという顔をしておけば、それだけで僕が何かを企んでいると思われる可能性は低くなる。
この部屋で何があったのか。
僕が眠るこの子に何をしたのか。
それを知っているのは、僕自身だけなんだから。
『総司様、ありがとうございます。そんなに貴重なお薬だったとは知らずに、毎日のように飲んでしまってすみません』
「気にしなくていいよ。薬なんて、必要な時にきちんと使うためにあるんだから。それに、君が少しでも楽に過ごせていたなら、それで十分だよ」
先程まで薬のことを気にしていたセラ嬢の表情から、ようやく緊張がほどけていく。
安堵したように柔らかく微笑む顔を見れば、変に警戒されていることはなさそうだったから、僕も一つ息を吐いた.。
「じゃあ、この薬は持って行くね。おやすみ、セラ嬢」
『おやすみなさい、総司様。今日もありがとうございました』
その微笑みを脳裏に焼き付けるように見つめ、僕は彼女の部屋を出る。
拳の中にある薬を握りしめながら、苛立ちのまま瞳を細めた僕がいた。
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