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ニコラ様の葬儀から一週間ほどが過ぎ、私の今後が公に告げられる日も、あと数日に迫っていた。
北部の冬は厳しく、窓の外では朝から雪が降り続いている。
部屋から見える庭園は白く染まり、木々の枝に積もった雪がさらさらと音を立てて落ちていた。
そんな午後、扉を叩く音がして顔を上げると総司様が姿を現した。
いつもなら浮かんでいる柔らかな笑みが、今日はどこにもない。
エイミーがお茶の支度を済ませて部屋を出ると、総司様は私の向かいに腰を下ろし、やがて静かな声で話し始めた。


「明日、君には僕と一緒に皇帝陛下の謁見に来てもらうよ」


陛下にお会いするということは、きっと私の今後が決められるということだ。
それとも以前メルディック様が仰っていた、私をアストリアに戻す件について何か動きがあったんだろうか。
胸の奥がざわつき、私はできるだけ平静を装いながら尋ねた。


『わかりました。明日は、どのようなお話を?』

「さあね。ただ、王太子が君の同席を望んでいるらしいんだ。あの男が何をしに来るか、君だってもうわかってるでしょ?」


アルディオン公爵邸に薫様がいらっしゃった時、私の返還を求めて動いていると仰っていたことを思い出す。
そして、舞踏会の夜にメルディック様から託された言葉も、鮮明に蘇ってきた。
必ず私自身の意思を確認する流れに持っていくつもりだから、その時は迷わずアストリアに戻りたいと伝えてほしい、そう言われていた。
もちろん、総司様はそのことをご存じない。
けれど私を気遣ってくれる総司様に何も告げず、別の方と約束を交わしているような今の状況は、どうしても胸を苦しくさせた。


『もしかして、薫様は私がアストリアに戻れるよう、はからってくださっているのでしょうか?』

「そうだろうね。明日はおそらく陛下に君の返還を要求してくるはずだ。どんな手を使ってくるのかは知らないけどね」


相手は大陸最大のタルタリア帝国。
自ら突きつけた講和条約の内容を、簡単に変えるとは思えない。
それでも、薫様の性格を考えれば、勝算もないまま動く方だとも思えなかった。
落ち着かない気持ちで目の前のティーカップを見つめていると、頭上から穏やかな声が降ってきた。


「セラ嬢は、今もアストリアに戻りたい?」


顔を上げると、総司様は片頬に手を添え、小首を傾げるようにして私を見ていた。
威圧するような様子はなく、ただ私の気持ちを聞きたいから尋ねているように見えた。


『戻れるのなら、戻りたいです』

「そっか。それは、どうして?」

『待っていてくれる人がいるからです。父にも会いたいですし、友人やお世話になった方々とも、またお話ししたいと思いますから』

「そう。じゃあ、もし君のことを待ってる人が誰もいなかったら?」

『……え?』


思いがけない問いに、私は目を瞬いた。


「そうだな。例えば今、東部で大きな災害が起こって、君の親しい人達が皆、命を落としたとする。それでも君は、まだアストリアに戻りたいと思うの?」


総司様は相変わらず穏やかな微笑みを浮かべているから、きっと今の言葉に深い意味なんてないのだろう。
そう思う心とは反対に、もしこの言葉に何か別の意味が込められていたらと考えてしまえば、身体の奥がぞくりと冷えた。


『そんな怖いことを仰らないでください。そのようなことは考えたくないです……』

「あはは、そうだよね。ごめん」


総司様はそう言って、いつものように柔らかく笑った。
その笑顔を見ていると、さっき感じた恐怖さえ自分の考え過ぎだったんだと思えてくる。
だけど心の中に残った小さな不安だけは、どうしても消えてくれなかった。


「セラ嬢の気持ちはわかるよ。東部で過ごしてきた君からしたら、やっぱりよく知った場所の方が落ち着くだろうし、知っている人達がたくさんいる場所の方が心強いだろうからね」


総司様の言葉を黙って聞いていると、不意にエメラルド色の瞳と視線が重なった。
私と目が合った途端、その瞳は柔らかく細められたけど、心なしか淋しそうな色が浮かんでいるように見えた。


「でも、僕は君に帝国にいて欲しいな。せっかくこうしてまた会えて、話だってできるのに、君が東部に戻ったら、もう会えなくなっちゃうでしょ?」


胸の奥で、とくんと小さな音がした。
それは私自身も心の片隅で同じことを考えていたからだ。
アストリアに帰りたい。
懐かしい故郷の景色をもう一度この目で見て、皆と笑い合いたい。
その気持ちに嘘はないし、薫様をはじめ、私の帰還を願って動いてくださっている方々の気持ちを思えば、一刻も早く戻りたいと思う。
でも……もしアストリアに帰ることが叶えば、総司様とはもう会えなくなるのだと思うと、心に小さな影が差してしまう。

二度と会えないと思っていた人と、こうして再び言葉を交わせている。
それだけでも十分すぎるほど幸せなことなのだと、自分に言い聞かせる。
この先まで望んではいけないし、薫様達が私のために力を尽くしてくださっているのに、自分だけが総司様との別れを惜しむような気持ちを抱くなんて、あまりにも我儘だ。


『そうですね。でも、私がアストリアに戻っても、いつかまたお会いできるかもしれませんよ』

「それ、本気で言ってる?」

『はい。私達はもう子供ではありません。昔のように、自分の意思では何も決められない立場でもありませんし……離れて暮らしていても、会いたいと思えば会えることだってあると思います』

「僕達は、理由もないのに会えるような仲じゃないでしょ。僕は結婚してるし、君だってアストリアに戻ったら、いずれ王太子妃になるんじゃないの?」

『それは、そうかもしれませんけど……』

「だったら、今みたいに僕と会う理由なんてなくなっちゃうよね。まあ、君にとっては故郷に戻ることが一番大事なんだろうし、それ以外のことなんてどうでもいいのかもしれないけど」


どうでもいいなんて、そんなふうに思ったことは一度もない。
ただ、今の私には自分の気持ちを優先できるほどの自由がない。
帝国の管理下に置かれた私に、自分の行く末を決める権利はないし、明日の謁見で陛下がどんなご決断をなさるのか、それ次第で私の未来は変わってしまう。
だからこそ、せめて自分の心だけは乱さないようにしている。
総司様と離れることが淋しいなんて、考えてはいけないんだと言い聞かせていた。


「とにかく、明日は朝食後に出かけることになるだろうから、朝食前に支度は済ませておいて」


総司様はそれ以上何も言わず、テーブルに置かれた紅茶には一口も手をつけないまま立ち上がった。


『もう行かれるのですか?』

「うん。明日の予定を急遽ずらしたから、今日のうちに少し片付けておかないとね。君はゆっくりお茶を飲んでて」


そう言って、総司様はいつものように穏やかに笑う。
けれど、その笑顔を見ていると胸が痛んだ。
ニコラ様のことがあったばかりなのに、総司様は休む暇もなく働き続けている。
もしかしたら今日は、少しくらいゆっくり過ごせる時間があったのかもしれないのに、明日もまた私のために予定を変えてくださっているのだ。
そう思ったら、総司様が扉に向かう背中を、無意識に追いかけてしまった。


「ん?どうかしたの?」


振り返った総司様と目が合う。
何か言わなければと思ったのに、喉の奥で言葉がつかえてしまった。
でも本当は、もう少し話していたい。
明日の謁見が終わったら、総司様とこうして話せる時間もなくなるかもしれないと思えば、それが少しだけ怖かった。
だから今のうちに、もう少しだけこの人の声を聞いていたい。
そんな気持ちを抱いている自分が、ひどく欲張りに思えた。


「どうしたのかな」


考え込んでいた私の頬に、ふわりと何か柔らかなものが触れた。
驚いて瞬きをすると、目の前には見覚えのある小さな人形があり、その人形を総司様が両手で動かしている。
それは私が以前、総司様に贈った小さな総司様人形だった。


「僕に用があるなら、言ってごらんよ」


そう言いながら、総司様はまるで幼い子供がお人形遊びを楽しむように、小さな総司様をちょこちょこと動かしている。
その姿がなんだか可笑しくて、私は思わず頬を緩めた。


『ふふ、小さな総司様がたくさん動いています』

「当たり前でしょ?僕はいつも忙しいんだから」


そう言いながら、人形の両腕をぱたぱたと動かす。
それだけでも十分可愛らしいのに、小さな総司様はそのまま私の顔の前まで近づいてくると、今度は首筋に頬を寄せるようにして、ふわふわと擦り寄ってきた。


『やっ……ふふ。くすぐったいですよ、もう』

「えー、どうして?」

『どうしてって』


くすぐったさに身をよじりながら笑っていると、総司様はますます楽しそうに人形を動かした。


「やめてほしいなら、たまには僕を可愛がってよ」


小さな総司様は本当に甘えるように私の胸元に寄り添ってくる。
その様子が愛らしくて、私はそっと手を伸ばし、その小さな身体を両手で包み込んだ。


『いいこいいこ』


指先で小さな頭を撫でてあげる。
すると、総司様が人形を動かしていた手をふっと止めた。
腕の中の小さな総司様も、途端に大人しくなる。


「満足して、大人しくなったみたいだね」

『可愛いですね、小さな総司様は』

「なんだかその言い方だと、こっちの僕は可愛くないみたいだね」


苦笑しながらそんなことを言うものだから、私はまた可笑しくなって笑ってしまった。
総司様は昔から、実際の年齢よりずっと大人びて見える人だった。
落ち着いた物腰も、何を考えているのかわからない穏やかな笑みも、幼い頃から私よりずっと先を歩いているように感じていた。
けれど、こうしてふっと笑った時だけは、年相応の少年らしい可愛らしさが覗くことがある。
もちろん、そんなことを本人に伝える勇気はない。
私はただ、腕の中の小さな人形を見つめたあと、ちらりと総司様を見上げて、また小さく笑った。


「何笑いなのかな、それは」

『秘密です』

「ふうん。僕に言えないようなことを考えてたんだ」

『そんな大したことではありません』

「そういう時の君って、だいたい何か隠してるよね」

『隠してなんていませんよ』

「じゃあ、言えるでしょ?」


私は敢えてとぼけた様子で、首をくりっと傾けてみる。
するとそんな私の様子を見て、今度は総司様がくすりと笑った。


「まあ、いいけど。無理に聞き出すつもりもないしね」


そう言って、小さな人形を私の手からそっと取り上げた。


『この子、持っていてくださったんですね』

「うん。これを使って君をからかって遊ぼうと思ってたからね」

『この子を悪戯っ子にしないでください』


こうして笑い合っていると、淋しい気持ちも不安な気持ちも少しだけ和らいでくれる気がする。
でも総司様は不意に真剣な眼差しを向けると、私に言った。


「もし君が帝国に残ってくれるなら、僕は君を悪いようにはしないよ」


不意に投げかけられた言葉に私は目を見開く。


「君が帝国で過ごしやすいようにするつもりでいるし、今は先がわからなくて不安かもしれないけど……それだけは僕を信じて欲しい」


総司様にしては珍しく少し歯切れ悪くも感じられる言葉は、その真剣さだけは伝わってくるものだった。
きっと私の心情を考えて、総司様なりに出来ることをしようとしてくださっているのかもしれない。
その優しさは嬉しいのに心は痛くて、私は短いお礼を告げることしか出来なかった。


「じゃあ、今度こそ僕は行くよ」

『はい。お仕事、気をつけていってらしてください』

「うん、行ってきます」


去って行く背中を見つめていると、なぜだかもう一度呼び止めたくなった。
明日になれば、すべてが決まってしまうかもしれない。
アストリアに帰ることになるのか、それとも帝国に残ることになるのか。
どちらに転んでも、今のように総司様と笑い合える時間はもう続かない。
わかっていたことなのに、その日が間近に迫っていることを実感した今、心がきつく締めつけられる気がした。

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