レムデーカン・レム・27の日――1月の中旬に当たる今日、セントビナーに食料の配達を請け負う男はエンゲーブに戻ってくるなりひどく興奮した様子で、井戸端会議に勤しむ村人が集まっていた広場へと駆け込んだ。ぎょっと目を見開く村人の様子も気にかけず、男は息が整う暇すら惜しいと言わんばかりに言葉を発した。
「おい、ちょっと聞いてくれよ!」
これから確実に騒動になるであろう、その発端を担ったのは、特別目立たぬ男の第一声だった。
「マルクトとダアトの軍人が民間人を盾にして戦ってたんだ!」
「「「はあ!?」」」
とんでもないことを言い出した男に注目が集まる。男の言葉を脳内で反芻し終えた村人は頬を引きつらせて空笑いを浮かべた。そんな、まさか、ありえない――村人の顔に浮かぶ表情が、男の言葉を否定している。村人の表情に疑心が浮かぶ瞬間を目の当たりにした男は「本当なんだって!」と些か語気を強めた。
「エンゲーブに戻る途中、タルタロスが見えてさ。そのタルタロスがただの平野で停止してたから、何かあったのかと思って、馬車を止めて様子を見てたんだ。そうしたらその中から出てきたのは誰だと思う?」
「そりゃ……マルクト兵だろ?」
「それが聞いて驚け。六神将のリグレットとオラクル兵だったんだよ! 俺は一度リグレットを見たことがあるから間違いない」
「はあ!?」
男の話口調につられて、話に混じった村人はさらなる驚愕を味わった。マルクトが誇る最新鋭の陸上装甲艦タルタロスの中から、ローレライ教団の神託の盾騎士団兵が出てきた。その異様さに気付くと、村人は、男の話に耳を澄ませた。
「俺は思わず目を疑ったね。なんでオラクル兵がタルタロスの中から出てくるのかと。こりゃただごとじゃねえと思って、馬車を森の中に隠して、遠くの方から双眼鏡でタルタロスの様子を見てたんだ。するとどうだ、オラクル兵はイオン様を護るように四方を固めてるじゃねえか。そのまま見てると、タルタロスの中からマルクト軍人が現れてオラクル兵に切りかかったんだ。そのマルクト軍人は一人で、協力していた奴らは二人いたんだけど、一人はオラクルの軍服を着てたからオラクル兵、もう一人は赤い髪の民間人だった。マルクト軍人がリグレットに武器を突きつけてマルクトが勝ったと思いきや、そこに妖獣のアリエッタが現れて……あ、魔物連れてたからアリエッタだと思ったんだぞ。根拠もなくこんなこと言えるか。んで、話を戻すが、マルクト軍人に協力してたオラクルの女が足を引っ張ってマルクト軍人が危ない目にあったんだよ。そのあと、民間人がタルタロスの上から降って来て、事なき終えたんだけど、そのあとどうしたと思う? オラクル兵をタルタロスの中に閉じ込めたんだよ。あれマルクトのものなのにどういうつもりかと思って見てたら、そのままマルクト軍人は協力者連れてタルタロスから離れちまってさ。思わず呆然と奴らが視界に消えるまで見てたんだが……マルクト軍人とオラクルの女、魔物やオラクル兵がかかってきたら、その赤い髪の民間人と、タルタロスの上から降ってきた民間人を前に押し出して後ろで戦っててさ……」
「なんだそりゃ……」
まくし立てるように男が喋る所為で、すぐに話を飲み込めない村人が多かった。それに一重に信用するには、あまりにもおかしな話だった。
「……嘘だろ?」
「こんな嘘ついてどうするんだよ!」
信じようとしない村人に、男は焦れたように怒声をあげる。男が嘘をついている様子はなく、また、彼の人となりを知る村人たちは嘘だとこれ以上一蹴することも出来ずに固い表情をした。しばしの間、沈黙が横たわる。身じろぎしたくなる沈黙を破ったのは、生唾を飲み込んで口を開いた村人の一人だった。
「……それ、軍に言ったほうがよくねえか? もしそれが本当なら、攻撃し合うくらい仲が悪いオラクル兵をタルタロスの中に閉じ込めたってことだろ? その中にいるマルクト兵、無事なのか? しかもマルクト兵とオラクルの女が民間人を盾にしてたってことは……オラクルはどうでもいいが、マルクト軍の名誉にもかかるんじゃ」
一人が言葉を紡ぐと、きっかけを待っていた村人が次々に口を開いた。
「そう、だな。おまえ、目撃者なんだからセントビナー行って、軍に言ってこいよ!」
「ああ、そう、だな」
「わ、わかった。行ってくる!」
村人の話を聞いた男は急いた様子で村の出入り口へ駆けていく。セントビナーに向かうべく慌しく出立した男を見送り、村人たちは事の重大さに心胆を冷やしながらも、元の日常に戻ろうとした。
――その夜、エンゲーブの村人と名乗る卸者の男から齎された情報に、セントビナーに駐留しているマルクト軍は上も下も大きく揺れることとなった。
*
国境の砦、カイツール――今まさに国境を隔てている検問所がある場所に足を踏み入れようとした一行は、喧騒に気付いて、ピタリと足を止めた。
「何かあったのでしょうか?」
随分と騒がしい。大地の上を踏締める無数の足音と怒声に似た話し声が飛び交っている。空気に乗って流れてくる声と足音に物々しさを感じて一行は警戒した。
「まさか六神将が……?」
ティアの言葉は一同の脳を占めていた思考だった。六神将率いる神託の盾騎士団兵に襲撃を受け、辛くもタルタロスから脱出した一行は紆余曲折の末、カイツールにたどり着いた。度重なる妨害を受けて、六神将との対立が目に見える形で明らかになっていく中、それでもなんとか一行は検問所に到着したのに、また妨害を受けることを懸念して立ち止まってしまう。
「どうします?」
「様子を見てみましょう」
一行の旅の指針を努めるジェイドがそう言うと一同は頷き、カイツールに足を踏み入れた。そして、一同は瞠目した。
辺り一面に夥しい数のマルクト軍人がいた。その中に混じる、ヴァンの姿と、アニスの姿もあった。アニスは身を縮ませていて、ヴァンも苦々しい表情をしている。二人はマルクト軍人に取り囲まれていた。
「な、なんだよ、これ!? ヴァン師匠!?」
「アニス!」
何が何だかわからないが、物々しい様子にとんでもない事態になっていることだけはわかる。ルークとイオンはヴァンとアニスの元に掻け寄って行く。二人の背を追うようにガイとジェイドとティアが足を一歩踏み出すと、彼らもマルクト兵に囲まれた。
同じマルクト兵に物々しく囲まれる――明らかに尋常ではない。ジェイドは気分を害したように顔を顰めながらマルクト兵を順に見回す。視界を埋め尽くす濃紺の軍服ばかりが目に付く中、此方に向かって歩いてくるグレン少将を見つけた。
ジェイドが彼に気付くと同時に、グレン少将もジェイドに気付いたようだった。グレン少将は憤怒を堪えきれぬように眉間を狭めて、きつい眼差しをジェイドに注ぐ。鋭い眼光を浴びせられて、何事かと勘繰るのもここまでだった。
「ジェイド・カーティス」
「グレン少将、いったいこれは何事ですか」
「――貴様の部下はどうした?」
「っ?」
「第三師団の部下はどうしたと聞いている。私の質問に答えろ、ジェイド・カーティス」
ジェイドの質問に返されたグレン少将の言葉は思いがけぬものだった。ジェイドは息を飲んでしまう。そんな彼の態度は周囲に動揺を知らしめるには充分すぎた。グレン少将の眼は暗く澱み、それでいて研ぎ澄まされた刃物のような鋭さを持つ。
「――そうか。あの話は真実だったのか」
「あの話……?」
「来い」
「待ってください、この状況の説明を先にしてください。何故あなた方は武装して私たちを取り囲んでいるんですか。これではまるで我々が、」
罪人のようではないか――ジェイドは自らの脳裏に過ぎった言葉を飲み込む。常ならばくだらない懸念だと一笑して脳から追い出す言葉が、無数のマルクト兵から向けられた視線の厳しさによって、引き止められていた。
薄々と自らの置かれた立場の悪さに気付きつつあるジェイドと違い、槍玉に挙げられている一人であるティアは今だ状況が飲み込めずに怪訝そうな顔をしていた。
「私たちがいったい何を?」
ティアの言葉に不快気に顔を歪め、グレンは溜息を吐くとジェイドとティアをどこかに連れて行くことを諦めたかのように二人と向き合った。
「貴様が民間人を盾にしたオラクルの女か」
「え? ……民間人を盾にした? 私が、ですか? そんな、言い掛かりです。私は今まで民間人を盾にしたことなんて一度も――」
「そこにいる男は民間人じゃないのか」
グレンはティアの背後で目を点にして呆然としていたガイに目をつける。話を振られたガイは自らを指差して、戸惑いつつも頷いた。
「え、お、俺ですか? いや、まあ、民間人って言えばそうだが……」
ガイはファブレ公爵家の使用人である。つまり民間人だ。ティアは一瞬息を止め、しかしすぐに気を取り直して、「ですが」と弁護を始める。
「こちらにいる男性は戦う力を所持しています」
「だから守る必要がないとでも? なるほど、オラクルの教育は民間人でも戦闘能力があれば守る必要がなく盾にしても構わないというわけか」
ティアの発言に嘲笑したのは一人や二人ではない。鼻で笑った者、かすかに口角をあげた者、白けた眼を向ける者、違いはあれど、ティアに向けられた感情はどれもこれも彼女を馬鹿にしていた。ティアは屈辱と恥辱が合わせ混じって赤面した。
「っそれは違」
「言い訳は無用。オラクルの教育がどうであろうと、マルクト軍は民間人が戦闘能力を持っていようと盾にして良い教育はされていない。――ジェイド・カーティス、取調べに応じてもらうぞ」
「取調べですか……それに応じる前に、グレン少将には我々に何の容疑がかけられているのか、是非ともお尋ねしたいのですが? それと、私は現在皇帝陛下より賜った一刻を争う任務のため動いています。その任務に支障をきたすような用件でしたら、取り調べも拒否させていただきます」
ジェイドが前もってきっぱり断ると、グレン少将は失笑した。表情を出さないまでも気分を害したジェイドの視線を受けながら、グレン少将は懐から白紙を取り出す。折り畳まれた白紙を広げながら翳した。読めと無言の態度で促されて、ジェイドは仕方なく視線を走らす――見慣れたサインが目に入ると同時に、血相を変えた。
「どういうことだ、これは!?」
ジェイドは慇懃無礼な常日頃の口調を捨てて問う。グレン少将は驚くこともなく、ジェイドの動揺ぶりに失望を覚える。
「貴様はすでに和平使者の任を解かれている。民間人を盾にするマルクト軍人を和平使者として他国に遣わすなど、国の汚名を自ら買いに行くようなものだからな。……国を出る前に和平使者から貴様を引き摺り下ろせてよかった」
「っ」
グレン少将に侮蔑混じりの痛烈な嫌味を投げられて、ジェイドは憤怒と羞恥で顔を歪める。すぐさま平静を装ったが、刹那に浮かべた表情は隠し切れるものではなかった。黙り込んだジェイドを一瞥して、グレン少将は周囲にいたマルクト兵に視線を送る。
「ジェイド・カーティスを連行しろ」
「……」
民間人を盾にした噂が事実であるならば、マルクト軍の名に泥をかぶせたことになる。
ジェイドの降格処分は避けられないだろう。下手をすれば追放処分だ。
「大佐……」
ジェイドが連行されていく姿を見送るティアたちは複雑な表情をしていた。
グレン少将はイオンに向き合う。
「導師イオン。タルタロスがオラクルに襲撃されたという話がマルクト軍に届いています。もしこの話が真実だとしたら、ピオニー陛下はダアトととの付き合い方を改めるというお考えを示しています」
「それは……」
真実だからこそ、善良な人間であるイオンはぐっと黙り込んでしまう。ヴァンは内心慌てながらフォローに回った。
「まさか。我々がマルクトを敵に回すようなことをするわけないでしょう」
神託の盾騎士団兵によるタルタロス襲撃事件は事実だが、ヴァンは素知らぬふりをするしかなかった。
そもそも、マルクト軍人がダアトを混乱させて導師イオンを連れ去ったことがタルタロス襲撃事件の原因である。
組織の長を拉致したマルクト軍に、ダアトは報復行為をしただけだ。本来ならばダアトの方にこそ正義があっても不思議はなかった。
それなのにそれを打ち明けずにいるのは、ダアトは表立ってマルクトと事を構える気はないからである。だからこそ、タルタロス襲撃事件の際、マルクト軍人を全員殺害して、タルタロス襲撃事件そのものを闇に葬ろうとしたのだ。グレンは疑わしそうな目でヴァンを一瞥した。
「一先ず、この件は保留とさせていただきます。調査したうえで、後日改めてピオニー陛下より書簡を送らせていただきますので其方をご確認ください」
「……はい」
イオンは深刻そうに頷いた。ヴァンも苦い顔を隠せない。
マルクト軍は、タルタロス襲撃事件が本当にあったかどうか調査すると言っているのだ。もしばれたら、マルクトはダアトを警戒するだろう。
「それと、こちらを」
グレン少将は懐から封筒を取り出すと、導師イオンに手渡した。封筒を開けて、入っていた手紙を読んだイオンは表情を暗くして頷いた。
「……仲介役を頼まれたのに、お役に立てずにすみませんでした。と、ピオニー陛下にお伝え下さい」
「はい」
事情が変わったため、イオンはマルクトから和平の仲介役を断られた。
タルタロス襲撃事件の容疑が晴れないうちは、マルクトはダアトと距離を置くと言われたようなものだった。
「和平やめちまうのかよ!?」
話に横槍を入れたのはルークだった。その場で成り行きを見守っていた者達がルークを見る。注目を一身に集めながら、ルークはぽつりと言葉をこぼす。
「せっかく協力してやろうと思ったのに……」
「――彼は?」
ジェイドたちの盾にされた民間人の一人だろうか――グレン達は暢気なことを思っていた。
「ルークです。キムラスカ王国のファブレ公爵の息子で、僕たちは彼に和平の協力をお願いしました」
「な……っ」
絶句するとはまさにこのことだ。グレンはつい先ほどまで暢気なことを考えていた自分を殴り飛ばしたくなる衝動を覚えた。驚愕のあまり言葉を紡ぐことができずに、ごくりと一度唾を飲んで、ようやく声を出せた。
「ファブレ公爵とはまさか……キムラスカから保護要請が届いているルーク・フォン・ファブレ様ですか……!?」
「え?」
保護要請と聞いて目を丸くしたのは、イオンとアニスとティアだ。ルークは不思議そうに首を傾げ、ガイは苦笑を浮かべ、ヴァンは苦い顔をしていた。
「保護要請って……いったいどういうことですか?」
「……先日ファブレ公爵家に譜歌を使って侵入した賊とご子息のルーク様の間に擬似超振動が発生して、マルクトに飛ばされたという報告がありました。キムラスカから、ルーク様の保護要請が届いています」
「へえ、そうなのか」
「譜歌を使った賊って……まさか」
合点がいったと納得したような表情で頷いたのはルークだけだ。譜歌を使う音律師ならば、イオンたちのすぐ傍にいる――イオンとアニスは驚愕を顔に貼りつけて、ティアを凝視した。否定して欲しい。そんな思いからティアを見るが、彼女は真っ青な顔で黙ると俯いてしまった。ファブレ公爵家に侵入した賊はティアであると、彼女の態度を見て理解してしまう。
イオンは血相を変えながら、言葉よりも雄弁に責め立てる眼差しをティアに送った。マルクトから距離を置かれようとしている今、ティアが犯した罪はあまりにもまずい。キムラスカすら、敵に回すかも知れない。それよりも――イオンは湧き上がる感情を堪え切れずに、癇癪もちのように震えながら、ティアに怒声を浴びせた。
「ティア! あなたが……あなたがファブレ公爵家を襲撃した賊なんですね!? どうしてそれをもっと早く言ってくれなかったんですか! キムラスカに敵対行為を仕掛けるなんて……ダアトを滅ぼしたいんですか!?」
「っそれはちがいます! 私はファブレ公爵家を襲撃したつもりはありません! 私はヴァンを、」
「そんな言葉信じられません! ……いえ、仮にもしそれが本当だとして、どうして譜歌を使ってファブレ公爵家に侵入したんですか? 公爵家の皆さんを、ルークを巻き込む必要なんてなかったはずでしょう」
「それは……正常な判断ができなかったんです。あのときの私は、追い詰められていたんです」
「そんな言葉言い訳にもなりません。あなたがファブレ公爵家に害を成したせいで、ダアトはキムラスカに恨みを買ったでしょう。もしかしたら、ダアトの敵対行為と判断したかも知れません」
「そんな……私はそんなつもりじゃ……」
ティアの言葉は話すにつれて尻すぼみになった。イオンから厳しい言葉を向けられて、青から白へと変化を遂げていくティアの姿は痛ましいが、自業自得だ。
「……ここでティアの犯罪が判明してよかったです」
どれほど虚しくても、イオンはそういうしかなかった。
「ティアをこのまま連れて和平仲介を続行していたら、ダアトは本格的にキムラスカの怒りを買っていた。もしかしたら、マルクトも」
もしこのままティアを捕縛することなく、彼女を連れて、和平のためにキムラスカに向かったら。
キムラスカは、マルクトとダアトが共謀してファブレ公爵家を襲撃してルークを拉致したと判断するかも知れない。
和平を申し込んでも、ルークを人質にしていると思われるかも知れない。なんにせよ、ティアを捕らえることなく和平使者一行の仲に組み込んだままでいると、マルクトとダアトに対するキムラスカの心証は決して良くはならないはずだ。
イオンがその可能性を示唆すると、ティアはハッと息を飲んだ。自分の仕出かしたことの重大性を今さら思い知り、言葉が出なくなる。
「……アニス、ヴァン。ティアを捕らえてください」
「「!?」」
「イオン様、それは」
「彼女を逮捕して、キムラスカに突きつけます。それ以外ダアトが取れる選択肢はありません」
咎めるようなヴァンの声に、イオンは固い声で返す。ティアは恐怖を覚え身を震わせた。ヴァンはとりなすようにルークを見る。
「ルーク、おまえはティアに大した迷惑をかけられていないだろう? それならば……」
被害者であるルークがティアを庇えば問題ないというようなヴァンの態度に、イオンはルークの返答を待たずに口を挟んだ。
「ルークがどうあれ、ティアの行動によってダアトは迷惑を被ってます。ダアトはキムラスカに誠意を見せなければなりません。……繰り返します。ヴァン謡将、アニス、ティアを捕らえてください」
イオンは”謡将”と強調してヴァンを呼ぶ。立場を思い出せと言われているようだと、ヴァンは苦々しい心情を吐露して顔を歪めてしまう。
誠意を見せなければならないというのは、ティアと同じローレライ教団に所属する軍人であるヴァンとアニスが、導師イオンの命令を受けてティアを捕まえることで、今回の一件は彼女の独断行動によるもので、ダアトはキムラスカに対して敵対意思はないと組織の長が行動で示すということだった。そのためには、アニスとヴァンでなければ、ティアを捕まえる意味がない。
アニスは青白い顔色でティアに近付いていく。ヴァンは動くことができずに立ち止まったまま。ティアが助けを求めるようにヴァンを見る――。
「兄さん……」
兄を殺害しようとしたくせに、ヴァンに救いを求めるティアの姿は浅ましかった。あるいは、哀れとも。
ヴァンは何とか妹を救えないか思案するが、イオンと周囲にいるマルクト軍の怪訝な眼差しに背を押されて、ティアに近付く。ヴァンが一歩一歩足を進めるごとに、ティアの表情に浮かぶのは絶望だった。
兄に見捨てられた衝撃に立ち尽くすティアの白く細長い左腕を、アニスが小さな手でそっと掴んだ。アニスの冷えた手の感触に、ティアの肌がぞくりと粟立った。生を刻む心臓の音が直接耳に届いて、警告音のように鼓膜を叩いていた。
その間にも近付いていたヴァンが、とうとうティアのもとに到達する。
ヴァンは懐をまさぐり、携帯している何かを取り出す――鎖で結ばれた、2つの丸い輪っか。
かちゃりと金属が擦れた音がした。
「……っいや……やめて……」
ティアの片方の手首に、一つの輪っかが嵌められる。
手首を圧迫しないよう、けれども取れないような、大きさの輪っかだ。
もう一方の手首にも、今まさにそれが嵌められようとしていた。
ティアの薄藍の双眸が悲痛な色を浮かべる。
「兄さん!」
がちゃんと、手錠が下りる。
その音はまるで、ティアの生を終わりに導く音だった。
END.
2013/06/29
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