取り分けられたコースメニュー
同じ学年に芸能人がいる、という噂を聞いたのは大学の入学式のことだった。
マンモスとまではいかないけれど、それなりに学生数の多い大学のそれなりに大所帯の学部だったので、あの人だ、なんてはっきりと見つけることはできなかったのだけれど。
何でもモデル・アイドルとして活躍していて、高校在学中にCDデビューも果たしている人だとか。
普段インディーズのロックバンドくらいしか聞かないわたしは、アイドルというものにてんで疎かったのでその名前を聞いてもいまいちピンとは来なかった。
ただ、瀬名泉という名前の響きはとても美しいな、と思ったことを覚えている。
そこから1年と少し経過して、わたしはとあるおじいちゃん先生のゼミに入った。
1年生のときに気まぐれにとった講義がことのほか面白くて、授業後毎週話しかけているうちに、この人が熱心に研究している分野を知ることで少しでも同じ世界を見たいと思うようになったのだ。
さすがに丸1年、前期も後期もストーカーばりに話しかけた成果かわたしの顔を覚えていてくれて、ゼミの適正面接ではわたしが自己PRをするよりも先に教授自らゼミ長さんたちに紹介して下さったほどだ。
面接も論文も太鼓判を貰い、意気揚々とゼミ室に初めて足を踏み入れた瞬間、わたしの体に衝撃が走った。
実際何かあったわけじゃない。ただ、目の前に立っていた男の子を視界に入れた瞬間、びりりと全身が痺れて動くことができなくなった。
彼の名前が瀬名泉、という名前だということを知ったのは、それから20分後、同期全員の自己紹介の場でのことだった。
「え、それしか食べないの?マジで?」
わたしが彼に初めて話しかけた言葉である。
歓迎会でたまたま隣に座ることができた瀬名くんの食事量を見て発した。色気もへったくれもない言葉。
ただ単に先生の近くに座りたかっただけなのだが、先生は先生で瀬名くんのことをいたく気に入っているようで自然と席が近くなってしまったのだ。
2年生なので大体の学生がビールやサワー、カクテルなんかを頼む中、瀬名くんはウーロン茶。
取り分けられたコースの料理のうち、手をつけたのはサラダのドレッシングが掛かっていないところと、海老とアボカドのタルタルと、生春巻きくらい。少食なのかな?と思ったけれど、空腹を耐えるようにウーロン茶を飲んでいるからもしかしなくても食事制限なのだろう。
人間誰しも空腹時は機嫌が悪くなるものなので、仕方ないことだとは思うのだが当然わたしは瀬名くんにギロリと睨まれた。
「うるさいなぁ。体型キープも仕事のうちなの。何も考えずにばくばく食べられるあんたと一緒にしないでくれる?」
言われた内容は至極尤もなことだったので、不機嫌そうに眉間に皺を寄せるその顔すら格好良いんだなぁと思ってしばらく見惚れていると、ちょっと慌てた様子で瀬名くんが口を開いた。
「もしかして俺のこと知らない?それはそれで信じらんないけど…俺、モデルやってんの。だから食べ過ぎたらだめなわけ。」
「あ、うん、ごめん。名前と噂は知ってたよ。だからそんなに格好良いのかなぁと思って見惚れてたの。」
「は、あぁ?知ってて…っていうか見惚れて…ああ、もう!調子狂う!」
耳を赤くして髪を掻き上げるその仕草もとても絵になっていて、芸能人ってすごいなぁとまた見惚れていると、すごく渋い顔で「間抜け面」とデコピンされた。
わたしがいたっと小さく声を上げると瀬名くんは愉快そうに笑って、その笑顔がとても可愛かったので、わたしはもう一度間抜け面になるほかなかったのだ。
その日の夜、お風呂でお酒と煙草の匂いを洗い流して自室に戻ると、携帯に通知が25件。
ゼミのLINEグループで、今日はお疲れ、ありがとう等々と会話が続いていた。
タイミング逃したなぁ、と思いつつ【お風呂入ってタイミングずれましたが、今日はありがとうございました。これからよろしくお願い致します。】と送って髪の毛を乾かしていると、ベッドの上で携帯が震える。
【後期、授業何とってんの】
登録のないアカウント。素っ気ない言い回し。
友達追加を承認して、返事を送る。
【どなたですか?】
【ちょっともう名前忘れたの?】
すぐに来る返信に声を上げて笑った。
【冗談だよ。あとで時間割写メって送るね。】
ドライヤーの電源を入れなおして、てきぱきと髪を乾かす。
帰るなり無造作に置いたトートバッグから手帳を取り出して、時間割のページを携帯で撮って送ると、また返事が来た。
【月曜のマクロ
水曜全部
木曜の会社法と文学史T
金曜のマーケティング論T
俺も取るから仕事の日の内容よろしく】
ゼミは火曜の4限だから、このスケジュールだと、もしかしなくても毎日一緒にいることになる。
入学式時点であれだけ噂になっていた男の子だ。女の子からの集中砲火は避けたい。
【待って他に友達いないの】
【いたらあんたに頼んでない】
【去年どうしてたの】
【なるべく頑張って、休んだ日のレジュメは適当にその辺の女にコピーさせて貰ってた】
なんと。
今日の飲み会で薄々感じてはいたけれど、瀬名くんには友達がいないらしい。
あんなに綺麗なら女の子がいくらでも寄ってきそうなものなのに。
もしかして、高嶺の花とか思われちゃっているのだろうか。男には僻まれている、というのはまぁ納得できなくもない。
後日聞いたことには、明らかにギラギラした目付きで彼女の座を狙ってくる女が嫌で拒否して拒否して拒否していたら同じ大学の人間の連絡先を1人も知らないまま1年が経過していたそうだ。
さすがに友達がいない状態で仕事をしながら大学に通うのは至難の業だ。わたしはそれを突き放せるほど非道な人間でもない。
大学初の友達がわたしでいいのかは甚だ疑問ではあるけれど、渋々返事を打つ。
【仕方ないから、週に1回アイス奢ってくれたらいいよ。冬は肉まん。】
返ってきた【デブ】の返事に、彼の友達になったことを早速後悔した。