SS1
*「本好きの下剋上」IF
*ヴィルフリートの処分にフェルディナンドが納得しなかったら
*結果的にフェルディナンド×ローゼマイン
「……それだけでは甘い」
フェルディナンドは米神を指先で叩き、鋭い眼光をヴィルフリートに浴びせた。幼い子供に向ける目とは思えなかったが、これまでヴィルフリートから向けられた敵意と罵詈雑言とは比較にならない。
ジルヴェスターの子供でなければ、早々に切り捨てていたものを。フェルディナンドは、この期に及んで問題を起こした子供につくづく愛想が尽きた。
「フェルディナンド」
ジルヴェスターが顔色を変えて、フェルディナンドを咎めるように名前を呼んだ。領主夫妻とシャルロッテは、ローゼマインが提案した処分に、納得の色を見せていた。それに意を唱えれば、咎めたくなるのも道理だろう。
だが、フェルディナンドからみれば、それはヴィルフリートを助けたい一心でローゼマインの提案に縋っただけに見える。
「わかっているのか? この処分で納得するのは、ヴェローニカ派だけだ。ライゼガング派は納得しない」
フェルディナンドは、ヴィルフリートから、ジルヴェスターに標的を変える。これまで思うことは度々あったが、すべて飲み込んできた。肉親の情が飲み込ませていた。――だが、それでは何の問題も解決しない。
「ライゼガングの姫の洗礼式を邪魔し、領主命令に背いた愚か者の処分を、ライゼガングがその程度で納得すると思うのか?」
フェルディナンドの美麗な声から放たれる一言一句が、場を凍り付かせる。
「ライゼガングがこれまで飲まざるおえなかった煮え湯を思えば、そのような甘い処分が許されるわけがないことは理解しているはずだ」
「……ヴィルフリートはまだ子供だ」
「しかし、ヴェローニカの教育を受け、領主命令に背いた子供だ」
フェルディナンドの口角が皮肉げにつりあがる。
「ヴィルフリートは知らなかったのだ。母上が罪人であることを……」
「そうだな。それは、教えなかったそなたとフロレンツィア様に責任がある。――だが、周囲に口止めしていたわけではあるまい。ヴィルフリートに向学心があれば、簡単にわかったことだ。そなたたちがすべてを庇うには無理がある」
ジルヴェスターの口が閉じる。だが、ヴィルフリートの救済を諦めているわけではない。何か手はないかと考え込む領主夫妻に、フェルディナンドの機嫌がますます下降していく。
「……ライゼガングとの溝を深めたのはそなた自身だ、ジルヴェスター。そなたがライゼガングの娘を娶らなかったことで、ヴェローニカ派の優位になった。そして次期領主に、ヴェローニカの教育を受けたヴィルフリートを推した。……ライゼガング派が、軽視されていると思うのは無理もあるまい」
「フェルディナンド、そなた……!」
ジルヴェスターは席を立ち、フロレンツィアは血相を変える。
本来、領主は領内の派閥の娘を第二夫人にする。それは領内を取り纏めるためだ。ジルヴェスターは領の派閥を均衡に保つために、本当は、ライゼガングから第二夫人を娶らなければならなかった。
フロレンツィアしか妻はいらないというのは結構だ。人によっては純愛だというのだろう。
しかし、ジルヴェスターは領主だ。領内を二分する派閥の母を持つ、息子でもあった。個人の情を優先させることで、かろうじて拮抗していた二つの派閥は、一方が優位に立ち、一方は苦しい立場に立たされた。
幸い、第一夫人のフロレンツィアと、ライゼガング派筆頭であるエルヴィーラは仲が良い。それはエルヴィーラの温情と領内の平穏を取り持つために成り立っている友好関係である。
エルヴィーラは本来なら領主の第二夫人がやるべきことを、自ら買って出てくれているのだ。領主夫妻はその温情と厚意に報いらなければならなかったのに、実の娘であるローゼマインの洗礼式を、次期領主と内定したヴィルフリートによって台無しにさせられた。
「そなたはフロレンツィア様たちを守るために、ライゼガングと関係を悪化させるわけにはいかないはずだ」
領主として、正しい裁断をくだせ――言外に告げるフェルディナンドに、ジルヴェスターは言い返す言葉を持たない。
だが、我が子の窮地を見過ごすこともできない。
ジルヴェスターは救いの手を求めて、周囲に視線を走らせる。ぴたりと視線が止まった先には、ローゼマインがいる。一度は救済の手を差し伸べたローゼマインならば、きっと。自分たちには思いつかない提案をしてくれるはず。
「ローゼマイン……」
ローゼマインの顔色が青く染まる。さもありなん。まだ洗礼式を迎えた直後――貴族としてだが――の子供の身には、領主夫妻の縋る視線は重たすぎる。
養女となった、”我が子”に向ける目ではない。
フェルディナンドも、――周囲にいた者たちも自然と理解してしまった。領主夫妻が、ローゼマインをどんな風に思い、見ているのか。
フェルディナンドは貴族社会にローゼマインを引っ張り込んだ責任がある。我が子の過失を庇うために、養女を犠牲にしようとする。領主夫妻の姿勢を、フェルディナンドは看過できない。
「……領主の遅すぎる裁断と、教育の甘さが招いたことだ。その責任を、ローゼマインに負わすつもりではないだろうな、ジルヴェスター?」
「……ヴィルフリートを守りたいだけなのだ」
「そのために、どれだけのものを犠牲にするつもりだ」
ローゼマインか。ライゼガングか。領内の平穏か。ジルヴェスターの母は、カーオサイファだった。息子もまたそうなるというのか。
ジルヴェスターは項垂れる。しばらくして、面をあげた。その眼は、昏く、よどんでいる。
「……そんなにいうのなら、そなたが領主になればいいのだ。フェルディナンド」
「なに……?」
フェルディナンドは眉を寄せた。ジルヴェスターが言い出した言葉に、皆一様に驚愕の表情を張り付ける。
「ジルヴェスター様!?」
「私より、よほどフェルディナンドのほうが領主に相応しかろう」
兄弟しかいない場ではないのだ。公の場でいった、ジルヴェスターの言葉は取り返しがつかない。
領主を……ジルヴェスターを守るために、どれだけの人間が犠牲を払ってきたか。それすらも不要だというのなら。
「……そうか。そなたがそういうのなら、そうしよう」
フェルディナンドの瞳から、温度が消え失せる。ジルヴェスターはハッと息を飲み、フロレンツィアは口を手で隠し喉奥で悲鳴をあげた。
「私がエーレンフェストの領主になろう。――領主の椅子を退いてもらえますか、ジルヴェスター兄上……?」
意図せず幕をあげた交代劇は、あっけなくフェルディナンドの勝利で終わった。
ジルヴェスターを領主として持ち上げていたのは元よりヴェローニカ派であり、ヴェローニカが失脚した今、彼を持ち上げる者はいない。
ライゼガング派は、エルヴィーラを筆頭にフェルディナンドの後押しをした。その条件がローゼマインとの婚約だったが、領主となった以上後継者を残すのは義務であり、他の女性にくらべて忌避感が湧かなかったため良しとした。
領主フェルディナンドとローゼマインの婚約は、ライゼガングの悲願だ。
ライゼガングは瞬く間に一丸となり、ヴェローニカ派は一掃された。ライゼガングによる統制が生まれ領内の争いは一気に収まった。
前領主夫妻はギーベとして領地の一角を与えられている。領主の息子というレッテルが消えたおかげで、ヴィルフリートの罪状は当初ローゼマインが提案したもので済んだ。ジルヴェスターはこれまで領主として好き勝手に振る舞ってきたが、ギーベとなるとそうもいかず、苦労しているようだ。割を食ったのは、シャルロッテたち弟妹だった。
ジルヴェスター、フロレンツィア、ヴィルフリートに関しては自業自得の意味合いが強い。だが、シャルロッテたちはそうではない。領主一家として、最上級の教育を受け、約束された立場から追い落とされたのだ。
シャルロッテたちは両親とヴィルフリートにすくなからず確執を持ち、それは、他の弟妹もおなじだった。フロレンツィアも大領地から領主の嫁になるべくして嫁いだにもかかわらず、夫によって足を引っ張られて辟易としていた。
フェルディナンドは領主として存分に采配をふるった。これまでジルヴェスターの仕事を押し付けられていたフェルディナンドにとって、領主の仕事は朝飯前だった。
自らのやりたいこと――主に研究――に没頭するために、領主の仕事を早々に終わらせようと徹夜していると。婚約者が心配そうな顔で突撃してきた。
「フェルディナンドさま。お仕事をするのはいいですけど、ちゃんと食事取って寝ていますか?」
「……ローゼマイン。君は、君がやるべきことをしなさい。私が渡した課題はどうしたのだ」
「そんなのとっくに終わりました」
「なに……? わかった。見るから持ってきなさい」
「その前にお食事を摂って、すこしでも寝てくださいね。お顔の色、悪いですよ」
「……」
リヒャルダに似てきたな、とフェルディナンドは顔を歪める。
これ以上うるさく世話を焼かれてはたまらない。頑として引く気配のないローゼマインを見下ろし、フェルディナンドは溜息を一つ吐くと椅子から立ち上がった。机の上には、早めに仕事を終わらせようと無駄に積み上げた書類の山がある。
しぶしぶと食事を摂るべくテーブルに向かうフェルディナンドに、ローゼマインはにっこりと笑う。
「今日はフェルディナンドさまが好きなコンソメのスープですよ」