生きているものを神様とするのは暴力だ。
例えばおれたちもそうだし、嵐山さんもそう。どれだけ強くたって綺麗だって、同じ人間同士で信仰のやり取りをすべきじゃない。と思う。人間と人間の関係で、信じられた分だけ渡せるわけがない。そんなに大きなものになれないよう出来ている。造りの話だ。
おれが彼女に信じてもらっていることは、名前を開いてあげるなら信頼と信用と親愛だ。信じられる根拠があって、理由もあって、この人ならばと思う愛情がある。誰についても好意を向けられていると言い切る傲慢じゃないけれど、おれは彼女に好かれていると思うし、信じられていると思う。
おれの友達の女の子。
ひとりの人間をずっと信仰している。
生きているものを神様にするのは暴力だって、思うけどおれはずっと言わないでいる。人に言われて思想を矯正しても、上手くいかなくて歪むのが精々だ。変わろうと思っていない友人にきついことをぶつけたくはない。
彼女の心を大切にしたい。
出来れば多く、より多く大切にされてほしい。
人間を神様とすることで、彼女が傷つくより先に幸せになるなら、それを無理に正すようなことはしたくない。
おれは間違っていないと思う。
おれは彼女を信頼している。誰かの言葉がなくても幸せになれるひとだ。だから、言わないことは間違っていないと思う。
「とっきーと同じクラスだといいんですが」
「名前、本当にいいの?」
「何がです」
「三門第一志望で」
「とっきー、六頴館に行くんですか?」
「逆だよ。名前が六頴館じゃなくていいのかって。星輪でもいけると思うけど」
「わたしはとっきーと同じ高校に行きます」
すぐそこに受験を控えた年末、冬休み前の自習時間は少しピリピリしていた。ボーダー推薦でどうとでもなるおれたちと違って、普通受験の子達は自分の力ひとつで結果が変わる。こんな能天気に話をしているのも、クラスではおれと名前と佐鳥くらいのものだ。
前後で席が並んでいるおれたちは教室の真ん中で会話をしながらプリントに勤しみ、佐鳥は廊下側の寒い席で震えている。女の子に話しかけているばかりでプリントはやってない。
彼女は成績が非常に良く、おれや佐鳥をはじめとしたみんなが六頴館か星輪に行くと思っていた。尊敬している奈良坂先輩がいるし六頴館、いやでも小南先輩がいるし星輪か、って、少なくともほとんどの人は彼女が三門第一に願書を出すなんて考えていなかったと思う。その理由が「とっきーがいるから」なことにおれは頭を抱えてしまいそうだった。抱えないけど。責任が重いな。
多分、学費のこととかいろんなことを気にしているんだと思う。身寄りがいなくてボーダーが家族のような彼女は、これでいて結構遠慮がちな性格をしている。おれと一緒であるという文面が丁度都合良いのなら、そういうことにすればいいのだ。少なからずおれや、あと佐鳥が行くことも関係はしているのだろうし。それが嬉しくないわけじゃない。
「迅さんは何も言わなかったの?」
「何も、……そうですね、言ってません」
「そっか」なら、そうか。止めても止めるだけ、ってことか。
彼女はシャーペンをカチカチと鳴らして「芯が」と呟く。小さくため息をついて筆箱からシャー芯を取り出す。彼女の愛用は0.3でおれは0.5なので、何も役には立たないから黙って見ていた。
シャーペンの頭についてる小さい消しゴムを彼女は使わない。佐鳥は使う。おれは使わない。彼女が使わないのは芯を入れるとき消しゴムを外してそこに芯を入れるからで、佐鳥が使うのは頭を長押ししてペンの先から芯を逆流させるからだ。必要がない。佐鳥のそれを初めて見たとき、意味がわからなくて彼女とふたり顔を見合わせた。不便じゃない? と何回も訊いた。
第一次侵攻以前の彼女を詳しく知る人はとても少ないけれど、そういうところに彼女の昔の残骸がある。変わっていない些細な習慣が、彼女の輪郭をぼんやりと認識させる。
「迅さん、止めたりとかはないですけど」
「うん」
「名前はなんでも似合うよって言われました」
「制服?」
「でしょうか。詳しく聞いてません」
彼女が語る『迅さん』の輪郭も、おれが思うよりぼんやりとしている。嵐山さんと同い年で、風刃を持っていて、ぼんち揚が好きで、玉狛支部にいるS級隊員。彼女が酷いほど信じている人。人間。
第一次侵攻で彼女が生き残った理由はとても簡単で、迅さんが見つけたからだ。誰かが庇った、誰かが助けた、そういうんじゃなかった。迅さんは見つけた女の子に『持っていたもの』を放してついてくるよう言った、女の子は言われた通りに手放してついていった。
そしたら迅さんは女の子の神様になった。
笑える話だろうか。おれはぞっとしなかった。
半分は彼女から聞いた。起きたことについて。放したものが母親の遺体だったことも。もう半分は嵐山さんが「そうだろう」の体で話してくれた。迅さんをどう思っているかについて。突拍子もない予想の割に、おれはその通りだと納得した。嵐山さんは迅さんとも親しいし、彼女とも知り合って長いし、おれは彼女と親しいから。
見ているものがそれを正解だと言うのだ。
二人の間には信仰がある。
「制服じゃないかな、三門第一ならセーラー服だから」
「あぁ、そうですね。着たことない」
「きっと似合うよ」
「とっきーも学ラン似合うと思います」
楽しみですね、とうっすら微笑む。彼女の表情をわかりやすいと思うほどには親しい。
彼女が、その信仰を不健康に腐らせてしまわないうちは何も言わないつもりだ。おれの持論をぶつけなくても、彼女はいつか自然と幸せになれると思う。信仰も、勝手になんとか出来ると思う。迅さんがどう思っているかは知らないけど、おれは迅さんと親しくないからそこまで考えを回さない。
プリントを最後まで終えた彼女が、窓の方を見る。雪が降りそうな灰色の重たい空に、珍しく「寒そう」なんて呟く。
「そう思うならマフラーくらいはした方がいいよ」
「首もとが煩わしいのは悪夢じゃないですか?」
「自然なことだよ。名前の身体の方が余程不思議かな」
そうでしょうか、と僅かに首を傾げる。
そうだよ、とおれは頷く。わからなかった問題の答え合わせをしたいと申し出ると、いいですよとプリントをひっくり返してくれる。優しい女の子だ。きっと昔から優しかっただろう。迅さんが助ける前から。
迅さんが助ける前からずっと生きている彼女に、迅さんを信じることをやめろと言えない。
信仰の陰にあるものを想像したら、つい口を閉じてしまう。膨大な可能性と感情のことを考えると、おれがどうこう言うべきではないという結論に行き着く。
「ここはこう解けばいいんだね」
「教科書にはなかったです。問題集に似た式がありました」
「そうなんだ、あんまり見てなかったな」
雪が降りそうな空、すきま風、シャーペンの先が紙を擦る音。今日の任務、受験。そういうものを彼女と共有出来るのは迅さんのお陰かもしれないけど、おれは迅さんが神様だとは思わない。
あの人はすごく人間だから。
すごく、神様としては贔屓屋過ぎるほど、名前のことが好きだろうから。
□
翌日、雪は降っていなかった。
彼女は学校に来なかった。
春頃からたまにある、誰も知らないけどいない日。
おれは勝手に迅さんといるんだろうと予想していた。
今日は佐鳥と二人で弁当食べるのか、とだけ思った。
18歳と15歳/12月 不揃いな掌
(3/13)
→To Be Continued