「ほら手上げて、垂直よ垂直」
「はい」
「も少しピシッと上げなさい、あんたは今だけ案山子よ」
あたしに浴衣を着せられてゆりさんに髪を結われながら、名前はぼんやりとあたしの手元を見下ろしている。「首もうちょっと上げられる? 名前ちゃん」ゆりさんの言葉には大人しく従って上を向く。あたしへの礼儀が足りないんじゃないかと思うけれど、可愛い後輩だから許すわ。あたし心広いから。
8月末の夏祭り、行きたいと言い出したのはあたしだ。理由としては単純明解、名前の浴衣が見たかった。もう3年の付き合いになるのに、あたし達は夏祭りも花火大会も一緒に行ったことが無かった。任務があるとはいえ、折角の夏休みなのにと思ってしまったのだ。
迅が宿題を終えれば晴れて玉狛全員、終わらなければ迅はお留守番だったのだけど、迅は普段どこにしまってるのか問い質したくなるほどのやる気で一週間を走り抜いて、見事終わらせてみせた。最初からそのくらいがんばりなさいよ、とあたしが言う前に名前が「もっと早くからがんばればいいのでは」と冷たくしていた。その調子よ。
名前は中3で受験を控えてるけど、成績も良いしみんな心配はしていない。しっかりした子だもの。あとは志望校を星輪にしてくれるだけで完璧だわ。
「わたし、浴衣着るの初めてです」
髪を引っ張られているせいか神妙な顔の彼女が呟く。「良かったわね、可愛いのが人生最初で」白地に紫陽花柄の浴衣はきっと絶対間違いなく完璧に似合うと思ってあたしが選んだ。迅が変な抜け駆けをしないように髪飾りも帯留めも揃えてやった。こういうことをするのはあたしも初めてで、実は帯留めをレジに持っていくとき緊張してたなんて、絶対言ってやらない。
あたしより背がのびちゃって、大人っぽい顔ですましてるけど、この子はあたしより年下であたしより子供っぽい。知ってるんだから。誰も三段飛ばしで大人にはなれないこと。迅だって子供だ。レイジさんはちょっと大人になったけど、ゆりさんがいるとやっぱりまぁって感じ。
「よしよし、いい感じね」
「小南先輩も浴衣着ますか?」
「勿論。あんたはあたしと並んで歩くのよ」
「ふむ。じゃあわたしの浴衣、小南先輩にお似合いですか?」
袖を広げて見せながら、何てことなさげに恥ずかしいことを言う。彼女は自分が浴衣を着ることより、あたしと浴衣姿で並んで歩けるのを喜んでしまう。そういうところがいつもちょっと悔しくて、でも嬉しかったりする。あたしは一人っ子で、准が副と佐補をバカみたいに可愛がるのがあんまりよくわからずにいたけど、なんとなくわかってきた。目に入れたら痛いけど、それでも許せるくらい可愛い。
浴衣を着て髪を結って、ふふんと彼女の前に出れば想像より遥かにきらきらした目で喜んだ。「すっごく可愛いです。いつも可愛いんですけど」「当たり前でしょ、もう、いつも言いなさいよね」「言っていいんですか? うるさくなると思いますけど」輝くような瞳がすぐ近くであたしを見る。面と向かってこういう顔をされると照れくさい。
「楽しみです」
「楽しいわよ、当たり前じゃない」
□
いつからか迅が名前のことを気にしているのに気がついてはいた。明確なきっかけを手繰ろうとしても思い出せないから、本当にふと発見したのだと思う。迅は好きな子をあからさまに目で追ったり贔屓したりしない。だから気のせいと言えばそれで済むような違和感だったし、それはとても偶然だった。
名前も迅のことが好きだろうけど、それは多分迅が欲しいような、あたしが欲しがるようなものとは違うこと。そっちは簡単にわかる。神様ってオブラートで丁寧に包まれた感情は、キスしたいとか抱き締めたいとかいう欲を絶対に漏らさない。彼女はあくまでも迅に対して、よく出来た信者の偶像みたいだった。迅はそれが不満なくせに何も言わないから、当然上手くいくはずがない。
(あたしの方がよっぽど上手くやれる)
好きになるのも、好かれるのも。
未来が見えることは迅を有利にしない。
ここらへんで一番大きな神社だから、夏祭りにはちらほらとボーダーでよく見る顔もいた。准は今日広報の仕事があって、昨日家族と一緒に回ったらしい。名前も去年は時枝と一緒に行くと言っていた。浴衣ほどじゃないけど、買ったばかりの紺色のワンピースを張り切って着ていたのを覚えてる。まるで彼氏じゃない、と思ったけど言わなかった。そういう扱いを彼女は嫌がるから。
提灯が薄ぼんやりと照らす通路は人でごった返していて、酷く蒸し暑い。せっかく結んだ髪も汗で額に張り付きっぱなしだった。
彼女は入ってすぐ買ったわたあめをちまちまかじりながら、「浴衣だと気分が違いますね」と嬉しそうにしていた。みんなは仏頂面とか真顔族とか好きなことを言うけど、あたしからすればわかりやすい。綺麗な浴衣で歩く夏祭りにわくわくしているのが、顔に書かれているみたいにわかる。
手をとって「何か飲みましょ」と言えば、彼女は頷いた。後ろでボスが「あんま離れるなよー」と声をかけてくる。レイジさんに抱っこされている陽太郎が、人形焼きをクローニンにせがんでいた。隣で「とりあえず焼きそばとお好み焼き食べていいですか?」と聞いてくる彼女は5歳児と大差無い。
迅はボスと話していて、無闇に目線を動かすことはなかった。人混みで見るつもりのない未来が溢れることは少なからず息苦しい。あいつの視界を誰も代わってはやれないから、ボスがさりげなく会話を続けてやっている。視線を泳がす必要のないように。
「小南先輩」
「何よ」
「あとでフルーツ飴食べましょう」
「いいわよ。あたし苺か林檎ね」
「わたしは葡萄がいいです」
残ってるといいな。
呟いた彼女の横顔は穏やかだった。
繋いだ手に汗が滲む。しなやかな指はあたしより少し長くて、悔しい。
(あたしの方が上手くやれる)
あたしは神様なんて御免だ。生きている通りに人間でいたい。でも仮に神様だとして、そうなってしまったとして、そんなことでぐしゃぐしゃして彼女の目を塞ぎたくない。眩しい存在だと言うなら厭きがくるまで眩しくいてやる。
無い物ねだりばっかりしない。
「名前」
ぱっ、と彼女があたしから気と視線を逸らす。薄いTシャツ姿の迅が笑っている。「何持ってるんですか?」と尋ねる名前の手を離さずに、あたしも迅の手元を見る。紫と青の綺麗な風車が、微かな風に回っている。
「風流だろ」
「良いですね」
「おまえにあげるよ、帯とかに差しな」
「ちょっと、あたしの分は?」
「ボスが今買ってる」
言った通り迅の後ろからにゅっと顔を出したボスが、にこにこ真っ赤な風車を渡してくれる。綺麗な赤だ。名前のと並べるとすごく可愛い。
「わたしも迅さんに何か買いましょうか」
「いいよ、お代は綺麗な浴衣姿ってことで」
「何か買います」
「ごめんって」
端から言葉を冗談に組み替えていく迅に、彼女はどうしたって嬉しそうな顔をする。繋いだ手が遠くなりそうで、引き留めるようにあたしは力を込める。妹のような女の子をとられたくないっていう安い嫉妬なのは自覚してる。ずっとみんなのものでいてほしいだけ。
名前はよく出来た信者の偶像。
そんなわけはない。バカでもわかる。
名前は迅を信じてるし、頼ってるし、神様みたいに思っている。残酷なくらい鮮明な信仰を持ってる。
好きって気持ちより先に信じていたいだけだ。
信仰が分厚くくるんだ感情の真ん中に、憧れみたいな恋みたいな気持ちがある。
玉砂利を踏む下駄の鼻緒が少し痛かった。
18歳と15歳/8月 心臓は空中分解する
(8/13)
→To Be Continued