「おまえ、もうすぐ後輩が出来るよ」
10月の頭に出来たバーガー屋の細いポテトを齧りながら、迅さんはそう言った。海水浴の時期にオープンすればもっと盛況だったろうに、もう泳ぐ人がいない海沿いの店は閑散としていた。今日はあたたかいからと迅さんが指したテラス席にはわたし達しかいない。
揚げたての魚が挟んであるフィッシュバーガーと、迅さんの言葉を咀嚼する。シャキシャキしたレタスがみずみずしい。迅さんの言う「後輩」とは高校の話だろうか。11月にもなると体育祭や文化祭なんかの学校行事にも区切りがついてきて、受験のことがぽつぽつと話題にあがる。大抵は3年生の先輩方のことだけれど。
黙ってバーガーを食べ続けるわたしに、迅さんは「うちの支部に新しく来るよ。数人」と続ける。その言葉で初めて新鮮な驚きというものを得た。
「数人。玉狛第2とか出来るんですか?」
「うーん、どうだろう。おまえが先輩風吹かしてるのは見えるんだけど」
「……わたしもいよいよ高慢ちきな先輩キャラに」
「いや、そんな嫌みっぽくはないかな」
迅さんの目にもそれは曖昧らしく、口で説明するには悩むような景色らしい。わたしの後輩、というのは年齢にしてもそうだがボーダーの経験的な話らしい。わたしがトリガーを持って無表情で何か説明しているのが見えるとか。
そう遠くもない未来だけど、今日明日の出来事ではないらしい。「用心とかしとく必要はないから、先輩風の練習しときな」と、言ってから迅さんはアイスティーを最後まで飲んだ。ズココと水が鳴る。
後輩、という言葉について緊張があるかといえば、そんなことはない。ポジションは違えど駿はわたしが本部に行くたび何かと話しかけてきたし、水上先輩が「名字の方が先輩やし」と射手の弾について尋ねてくることもあった。二宮さんや出水先輩に聞いてもわからないし怖い、と言っていた水上先輩は、わたしの教えがあまりにも言語的でないので終始眉を寄せており、結局通りかかった蔵内先輩が一番頼れるということになった。
もう、あの日から4年は経つ。
いつの間にか人が増えて、扱えるものも増えた。わたしも射手になって半年が過ぎた。そろそろ合成弾を練るのも慣れてきたと思う。変化は日々数えきれないほどあって、わざわざドキドキするような出来事は少ない。
「食べ終わった?」
迅さんは「ゆっくりでいいけど」と付け足して、頬杖をついている。中身をなくした包み紙やナプキンがひらひらと揺れている。テラス席は海風が強いけど、今日は秋にしては陽射しがあたたかくて困っていない。ここからも眺められる海には人が少なくて、迅さんも歩きやすいだろう。
「終わりました。いけます」
バーガーの包み紙を折り畳んでいた手を止めて、迅さんは「堅いよ」と笑った。
わたしが射手になって半年過ぎたということは、迅さんがボーダーの為だけに動ける人間になってからも半年過ぎたということだ。トリオン体の迅さんを見かける割合は当然増えたし、支部に帰って誰かに訊いても、どこにいるのかわからない日が多くなった。みんな「どこかで暗躍してるんじゃないの」「何かあれば連絡を寄越すだろ」と心配はしていない様子で、わたしもそうだ。
何かあれば迅さんは言ってくれる。わたし達にも、本部の上にも。みんなそれを頼りにしていて、迅さんは以前より、例えば1年前よりも確実に頼らせてくれる。風刃を抜きにしたって、未来が見えることは彼を凡庸から程遠くさせた。
「何回目だっけ」
わたしの少し前を歩く迅さんは、一人言のような声音で呟きながら波の際を蹴った。「覚えてないですね」きちんと数えれば言えるだろうけど、自信を持てるような鮮明な記憶は多くない。卒業式の翌日とか、墓参りに行った後とか、覚えやすいポイントがあれば違うけれど。基本頭に浮かぶのは迅さんの背中だけだ。
同じ海に何度も何度も来てるのに、わたし達は来るたび海沿いを歩くだけだった。特別何か買って帰ったこともないし、最初の一回以来、近くの水族館に入ってもいない。ただゆっくり、普段は叶わないような速度で歩いた。急かされたり止められたりしない、自由な速さで。本当はいつもそうやって歩けたらいいのかもしれない。
「おれもあんまり覚えてない」
「そうですか」
「残念?」
「どうしてわたしが?」
「いや、おれ残念だったから」
「自分も覚えてないのに」
「そうなんだけどさ」
ばらける髪を押さえながら、「傲慢ですね」と冗談めかした。彼の薄い上着が海風に大きく揺れているのを眺めていた。
迅さんは「名前は許すでしょ」と言ってから、わたしを振り返る。
空色の目は明るい声に似合わず静かで、思わず脚が鈍くなった。一歩分、迅さんとの距離が余計に開く。
「……すみません」
「なんで謝ってんの」
「酷いことを言ったかもしれないと思って」
言い訳と一緒に足を止めてしまう。思って、だなんてなおのこと酷い言葉だ。自覚があってもその通り口にした。
「冗談なことくらいわかるよ」
迅さんも足を止める。細められた目は笑顔のせいだろうけど、何故か少し眩しそうにも見える。
「傷つけたら冗談でもだめです」
「はは、優しいな」
迅さんがこちらへ足を踏み出す。
びしゃり、と踏まれた波が飛沫を上げて、迅さんが持っていたビニール袋が濡れる。つい、中の靴は大丈夫だろうかと考える。裾を折ってたくし上げた迅さんのズボンは結構前から濡れていた。
迅さんの瞳に視線を戻す。
すぐそこで彼は笑っている。
「……おれといるとどう?」
「……どうとは」普段、そんな曖昧な質問をしない人だ。
「なんか、安心とかする?」
「します」
「名前も不安とかなるんだ」
「なります。……あんまりないですけど」
ぶは、と吹き出した顔が空気の抜けた風船のようだった。胸にたまった嫌な息を吐き出す。あ、これが安心だと思ったのは1秒数えてから。わたしが安心を把握したのと同時に迅さんは「全然意味ないじゃん」と笑う。ぐしゃぐしゃとその両手に頭を撫で回される。髪が酷い有り様だし、迅さんが手首にかけているビニール袋が時折頬を叩いてきて痛い。
掌が、とても広いこと。わたしと比べて。手を繋げば一番簡単にわかるけど、わたしの頭を包めてしまいそうなふたつの手に、やっぱり広いなと思う。わたしはこの人の目ではなくて掌を最初に信じた。「行こう」と言われた4年半前。あの日の迅さんの歳をいつの間にか追い越してしまった。わたしは何も変わったつもりなんてないまま時間ばっかり過ぎていく。
ばらばらと乱れる前髪の隙間から見る迅さんの目は、いつになく明るく真っ直ぐな空の色をしていた。撫で回す手を少しだけ和らげて迅さんは上機嫌な声をあげる。
「また今度、水族館行こう」
「あそこの?」
「そうそう」
「いいですね」
今度、と迅さんが言うときは大抵その「今度」は近くない。すぐ叶えたいなら明日、3日後、何日にと口に出す人だと思っている。多分これから忙しくなるんだろう。言っていた「後輩」のこともあるのかもしれない。
きっと、「全部平和になる日よりは先に行こう」というそれだけだけど。
すぐにそんな日が来ないだけ、わたしは安心するんだと思う。
迅さんが生きているということだから。
19歳と16歳/11月 繰り返し咲くもの
(9/13)
→To Be Continued