迅さんが風刃を返してから、一週間経った。

 遊真や修くん達が来てから数えても10日ほどが過ぎて、遊真も支部での寝泊まりに馴染んできた。よく食べる。千佳ちゃんも含め三人とも駿とはタイプの違う後輩で、わたしは烏丸くんと一緒に修くんの戦闘を見て改善点の相談をしたり、レイジさんが任務から帰るまで千佳ちゃんの訓練を眺めていたり、補佐と言うにも助手と言うにも半端に過ごしていた。あらぬ先輩風を吹かすまいと注意した結果、迅さんを「ぎこちない」と爆笑させる羽目になった。
 クリスマスの任務も板についてきたわたしと迅さんとレイジさんは、各々に彼女彼氏がいない隊員の愚痴を聞き流しながら防衛を済ませ、わたしはついでにケーキ屋のバイトも済ませた。嵐山さんや出水先輩が「あれ、おまえ任務なかったっけ」という顔で予約したケーキを受け取りにきて面白かった。バイトもトリオン体で行えればもっと素直に面白がれたのだけど、疲労はたまる。

「名前明日バイト?」

 お風呂からあがったわたしを振り向かないまま、ソファにかけた迅さんが尋ねる。「いいえ」と答えて台所に麦茶を飲みに行く。「そっか」と簡素な納得をした迅さんの顔を、遊真がじっと眺めていた。
 食器を洗っていたレイジさんは、わたしが何も言わないうちにコップを差し出してくれる。「ありがとうございます」早口で礼を言って冷蔵庫を開ける。陽太郎が食べきれなかったケーキが、ラップをかけられて一番目立つところに置いてあった。食べられないヒイラギの飾りまで一緒にラップをかけられている。多分すぐ要らなくなって捨てることになるけど、要らなくなるまでは大事にすればいいのだ。
 麦茶を飲み終わって一息つくと、レイジさんが「洗うぞ」と泡のついた手をこちらへ向ける。さっきと同じように礼を言って、コップを渡した。

「先に寝ます」
「おー、おやすみ」
「きちんと布団はかけろよ」
「先輩腹出して寝るのか?」

 口を尖らせた遊真が「おれですら腹を出さないようにしてる」と言う横で、レプリカ先生が「常識の範囲だ」と遊真にだかわたしにだかわからないことを言っている。別にわたしはお腹を出して寝ない、レイジさんは心配症だ。暑がりだって布団が好きなのだ。

 迅さんは穏やかな表情を浮かべていた。
 トリオン体ではない。

 □

 支部のみんなできちんとクリスマスパーティーをするのは明日、27日ということになっている。今年は3人も面子が増えたので、ロシアンプレゼントルーレットが更に盛り上がるだろう。朝早くのホームで身震いをした迅さんに「冷えますね」と呟いたら、「いや、明日が怖くて」と青ざめていた。何が見えたらそんな顔になるんだろう。
 トリオン体の軽やかな薄着はどこへやら、マフラーと分厚いコートに身を包んだ迅さんはその上でコンビニに寄り貼らないカイロを買った。支部のみんなにバレてるとわかってから、わたし達は一緒に支部を出ている。今日もそうだった。リビングのソファで一人トランプをピラミッド状に組み立てていた(一昨日烏丸くんがやって見せていた)遊真が、あまり事を理解してはいないだろうが「いってらっしゃい」と手を振ってくれた。可愛い後輩だ。

「名前何にしたか聞いていい?」
「焼き菓子詰め合わせです」
「お、バイト先の流用?」
「はい」

 じゃああれは京介か、いやあれでいてメガネくんも侮れない、とぶつぶつしながら、迅さんはカイロを振っていた。鼻の頭が少し赤い。
 出勤ラッシュよりかなり早い時間帯の電車には全然人がいない。並んだ空っぽの座席が余剰にすら思える。学生はみんな冬休みだし、こんな時間からどこまで遠くへ出勤するのかと心配したくなるスーツ姿の人が眠りこけている。迅さんも端の席に座ってすぐ「あー、寝そう」と表情を崩した。
 結局一瞬も寝ずに、二人でのぼっていく朝陽を見て眩しがっていた。

 勿論海にも人はいない。仮に寒中水泳を趣味にする強者が今日この海を泳ぐつもりだとして、こんな時間からいるわけがない。スマホを見ればまだ8時前だった。何故こんな早い時間から来たのかって、朝5時半に迅さんがわたしの部屋にやって来て「今日は早起きして」と言ったからだ。正直気合いで起きたけれど帰ったら昼寝したい。
 迅さんは「おお太陽綺麗」と満足そうに遠くを見渡した。見てみれば確かに、水平線が朝陽に光ってやたらときらきらしている。先月も見た海は1ヶ月で冬らしく侘しい色になっていたけど、太陽があたればなんでも眩しく綺麗に見えるものだ。
 水に濡れるのはさすがに寒かろうと、靴下は脱いだけれどいつもより波から離れた場所を歩いた。風も春や秋とは段違いに冷たくて鋭い。さすがにコートを着てきてよかったと思う。

「名前さあ」
「はい」

 迅さんはわたしの前ではなく、隣を歩いている。歩幅を揃えてもらっているようで、ペースがずれることはない。海側を歩くわたしから見ると、迅さんに太陽があたってとても綺麗だ。
 わたしの顔を見下ろして、迅さんは笑っている。

「おれが死にたいーって言ったら、止める?」
「え、死ぬんですか?」思わずコートの端を引っ張る。
「いやいや死なないけどさ、例え例え」

 ビニール袋を持ってない手を振りながら「考えてみてよ」と言う迅さんは、その表情からも冗談半分なのだろうと思える。掴んでいた迅さんのコートを放した。冗談半分ということは、半分は本気かもしれないと言うことだけど。
 風刃を返してしまったことが少なからず迅さんをナイーブにさせているのだろうか。日頃口にも顔にも出さないけど、迅さんは結構喜ぶし落ち込むし不満には不満と表す人だ。そして安心にはきちんと安心する。
 顎に手をあてて、ふむ、と考える。
 死なないと決まっているなら、そういう言葉に焦ることはなかった。

「迅さんがどうしても死にたい、それで楽になりたいと言うなら止めません」
「えー、止めてくれないのか」
「死んでいいって訳じゃないです。迅さんが死にたいのにわたしのエゴで止めるのもどうかなと」
「なるほどね、おれの気持ちを優先してくれるわけだ」
「だって迅さんの気持ちが一番じゃないですか」

 偽りなくそう思う。迅さんがいなくては成り立たないことがボーダーには溢れかえっている。防衛という形をとるわたし達にとって、迅さんの目はあまりにもわかりやすい天からの恵みで加護だ。でもそれが迅さんの自由意思を奪う理由になってはいけない。
 わたしは迅さんが死にたいならそれも信じたい。
 薄情かもしれないし、考えが浅いかもしれないけど、迅さんが死にたいとか生きたいとかを自由に選べもしない三門なんて、わたしには多分要らない。

 迅さんは微笑んでいて、何を考えているのか察するのは難しい。
 黙ったままの笑顔が少し心配で、名前を呼ぼうと思ったとき、

 迅さんは不意に海へ走り出した。

「え、」

 わたしが声をあげたときにはもう波を踏み始めていて、そのまま脇目もふらず進んでいく。引いていく潮を追いかけるように。うねって返ってきた波がその爪先やズボンを飲む。
 迅さんが何を思ってそれをしているのか、疑問や予測をたてるより先にわたしも走った。ふかふかと砂が指の隙間に入って走りにくい。「迅さん」自分でも珍しいと思う大きな声だった。振り返らない迅さんの背中ばかり見ていた。
 とても長い距離を走ったような気がしたけれど、腕を掴んだとき迅さんはまだ膝下までしか浸かっていなかった。それでもズボンはずぶ濡れだしわたしもスカートの裾が海に潜り込んでいるけど、なんだかもう、喉まで海に入り込んでいるようなつもりでいたのだ。止めないと頭のてっぺんまで海が飲み込んでしまうんじゃないかと。

「迅さん」

 心臓がこんなにうるさいのはいつぶりだろう。
 近界民を初めて見たときだって、こんなにどきどきしなかった。潰れた家やおかあさんの骨壺を見たときにも、鼓動の音を気にしたことなんてなかったのに。
 ようやくわたしに顔を向けた迅さんは、恐ろしいほど自然ないつもの笑顔だった。

「おれの気持ちが一番なんじゃないの?」
「……死なないって」
「嘘、そうだよ。おれは死なない。名前が止めてくれるって知ってたし」
「死にたいんですか?」
「全然」

 迅さんは片手でわたしの頭を撫でる。安心させるような、優しい掌だった。「泣かないでよ」と言われて、自分がどんな顔をしていたのか頬を触る。涙は流れていない。心臓は一向におさまらない。自分がしたことと迅さんがしたことと迅さんが言ったことが、まるで整理できないでいる。

「おれは死なないよ」
「……はい」冬だというのに額から汗がこぼれる。
「おれは簡単に死んじゃうから、絶対死なない」

 見上げた彼のほうがよほど泣きそうだった。

「おれは神様にはなれないからさ」


19歳と16歳/12月 seaside blue


(10/13)

→To Be Continued