「だって迅さんの気持ちが一番じゃないですか」
と、言ってくれる彼女がこのあとすぐおれを追って海に入っちゃうことを知っていた。鮮明に見えるほんの数十秒数分後の未来。彼女はおれの気持ちを信じると言ってくれて多分これは本心だけど、おれが一目散に入水しようとすれば止めに来る。
走り出すまではよかったけど、砂に足をとられて転びそうになるし海に入った瞬間ズボンが信じられないくらい冷たいし、おれは既にシリアスな顔を保てそうになかった。一方の彼女はスカートがびしょ濡れにも関わらず真剣な顔でおれを呼ぶ。「おれの気持ちが一番なんじゃないの?」なんて、言ってからやめておけばよかったなと後悔した。彼女の表情がこんなにガタガタになるのを初めて見たからだ。あの日だっておまえは大人しかったのにね。そんな顔させてごめんねとは言わなかった。
「死にたいんですか?」
「全然」
彼女の頭を撫でる。柔らかい髪だ。好きになってしまえばこういう一つ一つが誰よりも綺麗に良く見えるものだった。彼女よりもっと可愛い女の子もいるし、強い人もいる。そんなことはわかりきっているけど、あばたもえくぼだ。古来から人はそういう感情のフィルターに振り回されているのだ。
海に走り出したのはおれなのに、笑ってしまいそうなほど気持ちも心臓も穏やかだった。勿論死ぬ気なんてない。おれは自分が死のうと思えば死ねてしまう生き物なことを自覚してる。当たり前のように生身ではいられない。トリオン体であるという安全の証明がおれには必要だった。
でも風刃を手放して、トリガーを置いてやって来たこの海は、綺麗な最果てみたいだった。彼女がずっとトリガーを置いてきていたということに、今更重たいほどの信頼を感じてしまった。
「おれは死なないよ」
「……はい」
「おれは簡単に死んじゃうから、絶対死なない」
彼女はおれを見上げて、まじまじとおれの声を聞いている。思い出したようにさっきから彼女が掴んでいる手首が痛い。どんな力で握ってればこんなに痛むんだ?
息を吸って、吐きながら笑う。
彼女の海みたいな瞳を真っ直ぐ見て。
「おれは神様にはなれないからさ」
この言葉は期待だし、決別だ。
彼女が今ここで噛み砕かなくたっていいけど、言っておきたかった。失望なんてされてからでは遅い、そんなことは有り得ないだろうと思うけど、なんだって可能性はゼロじゃない。
おれが冗談でも「死にたい」と言えば、ボーダーのみんなは止めてくれるだろう。おれの目がないと困るから。勿論人心もある。ただこれは悲観とか諦観ではなく、おれの目がおれの意向ひとつで失われたらみんなが困るのだ。一人の体じゃないってやつ。通常よりも更に重たい意味になってしまうけどそういうことだ。
嵐山やザキさんやイコさんは、おれの言葉を叱って「何かあったのか」と聞いてくれるかもしれない。友達ってそういうものだ。おれはそれに安心を貰ってるし、安っぽい言葉で表せば一人じゃないって思える。でもどんなに良い友達がおれのことをおれとして気遣ってくれても、おれの身体や生死は自由じゃない。みんなのために生きていかないといけない。光栄より先にあーあって感じだ。おれはカッコつけたりするの好きだけど英雄とかは向いてない。
名前は4年半前に友達も家族もなくしてボーダーにやってきて、「みんな」と近い考えをしてておかしくないけどそうじゃない。ずっと前から知っている。彼女はおれを神様みたいに見てるのに、おれが死にたいならそれでいいと言うし、でもおれが死のうとしたら追いかけちゃうのだ。それってどんな救いだと思う? 傲慢で良いじゃないか、おれはすごく嬉しかったんだ。
風刃を返して、見える遠くない未来はなかなかにしんどそうで、でも入水希望すれば追いかけてくれる女の子がいるなんて、死ねないなと思わざるを得ない。嘘、冗談抜きに死ぬのなんてろくでもない。別にボーダーにおれが必要なことは悪でも憐れでもない、おれが一人で全部守れる訳じゃないんだからおあいこだ。一人の身体だったらとっくに人生悲観して身を投げてたかもしれないし、おれは生きる理由をくれる人達にそれなりの感謝を持っている。
それと恋とは別だけど。
おれは非常に人間なので、こうやって願ってしまう。
何にも理論的じゃない、冷静でもない、この女の子の矛盾ばっかりあふれた感情がここに向けられること。
同時に彼女が幸福であれと思う。不幸なんてなければいいと思う。これ以上何も失わなければいい。世界を閉めきって傷つくことも楽しむこともせずに生きるより、嬉しいことを喜んで、哀しいことには蓋をして、それなりに人生を謳歌して欲しいと思う。
そして人間のおれの隣にいて欲しい。
「ホテル寄ってっていい?」
「……はい」
「服びしょびしょだろ? おれも名前も」
「迅さんのせいです」
「ごめんって」
おれはみんなが幸せならそれで良いとか、カッコつけなのでそういうことも本心で言っちゃうけれど。
今はこの手が触れている女の子ひとりが、おれを人間だと思ってくれるだけでいい。みんなの幸せを考える迅悠一はお休み、明日のロシアンプレゼントルーレットまでは自分の幸せだけを追求する迅悠一をお届けします。
頭を撫でていた手をおろして、おれの手首をいつまでもゴリラ握力で掴んでくる細い指をほどく。おれの骨が林檎の真似事をするまで放してもらえないのではと不安になっていたけど、案外すぐほどいてくれた。
「神様じゃなかったら、迅さんは、」
彼女は何を続けるか悩んだ様子で、しんと黙る。しかも少し俯いて神妙な顔になってしまう。うーん、ここで悩んじゃうのか。先が長いな。
「みんなと一緒だよ。腹も減るしお尻も触るし恋もする普通の迅さん。湖に落としても金とか銀にはならないし女神役もしない」
「恋するんですか」
「そこ食いつく? するする」お尻のくだりで殴られるかと思ってた。
恋、例えばおまえにしたりする、とは言わない。
彼女が追いかけてきてくれたことで、とりあえず良しとしましょう。
「もうホテルって飛び入り出来る時間?」
「……さすがにまだかなと」
「あー、早すぎたか」
読み逃しちゃったな。
19歳と16歳/12月 (double)suicide error
(11/13)
→To Be Continued