どこかの国が近々攻めてくる。
と、いうことを迅さんは殆ど確定の未来として語った。遊真や千佳ちゃんの入隊が済んでから数日後のことだ。
C級まで駆り出して行ったあの小型トリオン兵の回収も関係しているらしい。レプリカ先生や遊真を呼びつけ、本部では何らかの情報をやり取りして出来る限りの対策を練っているようだった。わたしまで降りてくる情報は整理された簡潔なもので、迅さんはそこに幾つかの注意を付け足した。
恐らく「その瞬間」が来ればすぐに普段との違いがわかる。そうなったら単独行動はしないこと、なるべくならどこかの部隊にくっついて動くこと。玉狛第1よりもわたしの方が本部に近い位置にいると思われるので、本部の部隊と一緒にいる可能性が高いこと。「直接の命令がおれか林藤さんから行くから、無理にレイジさん達の援護にこだわらなくていい」と、迅さんはぼんち揚を齧る。表情や声は落ち着いているけど、迅さんがわざわざわたしにまで何か言うことは珍しい。そんなに規模が大きいことが起こるのだ。実感は薄くとも理解は出来る。
「……強いトリガー使いなんかは」
「来るけど、おまえは多分対峙せずに済むよ」
「そうですか」
「怖い?」
「いいえ」
そっか、と笑う迅さんの目にはあらゆる可能性が見えているのだろう。珍しくわたしの部屋に来てまで注意を促す割に、多くを語らない。
恐怖や緊張はどこかに置き忘れたように気配すら無く、迅さんが持ってきたミルクティーを飲む。迅さんにはきっと選びたい未来があるのだろう、時折静かな顔で沈黙を挟んでいた。その確率の高さ低さをわたしが知る由はない。どちらにしたってわたしは動けるから必要もない。
「これがあってしんどそうにしてたんですか?」
「あー、まぁ、それもある」
「大丈夫ですよ。迅さんがこうして話してくれるんですから」
「おまえは本当におれへの信頼が尖ってるよね」
「迅さん以外も信頼してますけど、そうですね」
あの日だって迅さんの言葉に助けてもらった。
彼のお陰にはなっても、そのせいにはならない。信頼は夢でも幻想でもないのだ。
□
言われた通り「その瞬間」は判断し易かった。
空に走った亀裂の数は普段と比にならない。
隣にいたとっきーが「来たね」と呟く。わたしに返事を求める呼びかけではないと理解した上で、小さく頷いた。迅さんが言っていたのはこれだ。気味の悪い感覚が肌を刺す。本部上空はおよそ真昼と思えないほど暗い。
ソロ隊員のわたしは収集されるべき部隊がないけれど、迅さんの話を聞いてからはどこかしらの部隊につくよう努めていて、今日は嵐山隊のおまけをしていた。忍田さんの命令を最後まで聞き終えてから、嵐山さんがわたしを振り返って「名前は俺たちに随伴する形でいいか?」と確認してくる。1秒の間もなく首肯する。
「迅さんから単独行動はしないようにと」
「言われてるのか。それなら早い」
迅さんはここにいない。林藤さんからの通信もない。わざわざ直属の命令について言及があったということは、忍田さんの命令を受けることで不利益になる未来もあり得るのかもしれない。何れにせよここからの選択はその時々にしていく他無い。悩む時間がそれだけ手足を遅くする。
悠長なことは誰もしていられない。現場に向かいながら、こちらに一歩寄って「狙撃用トリガーは何を入れてる?」と尋ねる嵐山さんに答える。
「イーグレットのみです。バッグワームは入れてませんがシールドを2つ入れてます」
「充や木虎の援護として動いてくれ。都度指示はしない、イーグレットは自己判断で使っていい。名前が前に出る場合は賢が援護する」
「了解です」
暗い空。あの日を思い出す。
わたしの近しい人がいなくなったことは、わたしのせいでもなく誰のせいでもない。何度も優しい大人達が言ってくれた。わたしだってボーダーのせいだとは思わないし、自衛隊なんかのせいにはしない。好きな人達と一緒に死ななかったことが罪悪だとも言わない。せめて、今戦える人間が多かったことを肯定するくらいだ。
それでもあんな景色を見たいとは思わない。
だって気分がよくない。泣いてる子供と壊れた街と死んだ人間の山なんて。スプラッタやサスペンスを好むのとは違う。
(迅さんはそんな未来ばっかり見てるのかもしれない)
わたしは自分の身を守れないといけないし、嵐山さん達の身を守る役にもたたないといけない。ボーダーが育てたいのはそういう人間で、わたしは普通の人達よりボーダーに世話をかけてきた。身寄りがいないとか根本的なところも含めて。
蹴る地面が時折鼓動のように揺れる。やっぱりいつもとは比べようもない数だ。地面の揺れも小刻みで強い。ただ目標の地域に向かうだけでこんなにトリオン兵に遭遇するものか、と思わず眉をしかめたくなる。バムスターやモールモッドを見つけたそばから倒しつつ進む。第一次侵攻の数倍は力のこもった侵攻だと確信出来る。
――現着、戦闘開始。――部隊合流。――地域に多量のトリオン兵が出現。絶え間なくどこかから入る通信を聞きながら、とっきーがスコーピオンを向けるバムスターに両手分のアステロイドを撃ち込む。すべてが着弾するより一閃が先だ。
「ありがとう」「いいえ」
耳元に流れる通信は新型のトリオン兵に注意を促している。4年半も表沙汰に戦争をしてもこれだけ足りない情報がある。わたしたちが昨日までに備えて対処しきれることなど、数えるほども無さそうだ。
掌を握って開いていると、とっきーに名前を呼ばれる。彼の静かな目を見る。
「不安?」
「いいえ」
かぶりを振って嵐山さんの後を追う。近くに修くんと茶野隊がいるらしい。
「そう」と、とっきーはそれだけ呟いて一瞬微笑んだ。
茶野隊や修くん達と離れて少し、一瞬遊真を引き取りにやって来た迅さんがわたしに言ったのは「B級合同ではなく嵐山隊についていけ」ということだった。B級合同部隊への距離を一人で向かうリスクのほうが高いのだろう。二足歩行の新型トリオン兵だけでなく、人型の近界民まで出てきたと通信が入った。つまり迅さんと遊真がわざわざ出なければいけない戦闘が控えているのだ。本部に向かう爆撃用トリオン兵の後続は無さそうだけど、それも安心と言い切る材料にはならない。戦力が足りていない訳ではなく、ただただ凄まじい勢いで相手が向かってきているのだ。
修くんが死ぬかもしれない、と可能性を語る迅さんは平然として見える。幾つかの確認をする嵐山さんも声こそ張っているが焦っているのではない。とっきーやわたしも同じだ。佐鳥も顔窓の中でそうしているだろう。目の前の人が言う未来の景色を、一番に信じてやってきた。ここから先もそれは変わらない。非常事態であろうと、わたしや嵐山さんが迅さんを信じているのは確かだ。
「遊真、気をつけて」
「先輩もな。援護助かった」
遊真は修くんが死ぬという言葉に少なからず嫌な感覚を覚えているらしいが、つくる笑顔に無理をしている様子はない。
と、遊真の向こうにいた迅さんと目が合う。迅さんが軽く手をあげる。動作の意味を考えるよりも先に、同じく手を振る。
「名前、怖い?」
「いいえ」
「そう、ならいいんだ」
多くを言い残さず、迅さんは遊真と共に駆けていった。
背中が見えなくなるのを待っている暇はなく、わたし達も行かなければならない。警戒区域内の掃討というレベルまで戦いを広げるからには手早く済ませなくては。
正面20メートル程先にモールモッドが複数見える。そっちは進路だ。「左から新型が来てる」ととっきーが呟くのを聞きながら、右手にハウンド、左手にメテオラを取り出す。
実戦で使ったのは数える程度だが、自信のある手だ。
「一人で、……いけそうだね」嵐山さんの援護射撃に徹しながら、とっきーがわずかにこちらを振り返りすぐに体勢を戻す。
「えぇ」
ぐ、と2つのキューブが重なる。
瞬間僅かに固さを感じるが、数秒できちんと1つのキューブを呈する。
『援護射撃いる?』
と通信で尋ねてくる佐鳥に、「多分足ります」と返す。8分割したサラマンダーが手元を離れ、走ってくるモールモッドの身体や目玉に次々と着弾して爆風が上がる。風がおさまるより先に両手のアステロイドを片端から撃ち込んでいく。『トリオン勿体なくない?』と佐鳥が通信越しに笑った。イーグレットの音が背後から聴こえているので、軽口を叩きながらも新型側を援護しているのだろう。技量はあるのだ。何もかも軽いだけで。
「片付きましたよ」
『弾バカって呼んでいい?』
「出水先輩の特許なんでちょっと」
「よし、こっちも倒した。俺たちも行くぞ」
会話を風刃並みの切れ味でぶったぎってくれた嵐山さんの言葉に、それぞれ頷く。煙が晴れると銃創だらけで動かなくなったモールモッドが見えてくる。「最終的には南西へ向かって桐絵の加勢に入る。道中は洗いざらい倒していこう」嵐山さんが指す方へ、わたし達は地面を蹴る。着弾した場所から煙があがっているモールモッドの身体を踏みつけ、住宅の屋根上まで跳ぶ。別に恨みはないがいい台だ。
ここまで倒した個体、他の部隊が対峙した個体のデータを互いに整理しながら走る。色により攻撃や特殊性に差があること、装甲の硬さ、何よりも隊員を捕獲しようとする異常な性質。捕まった人間はキューブにされるとも聞いた。嵐山さんは「一定の距離を保つことを忘れずに」と注意した。嵐山隊は幸いにも中距離以上のトリガーを扱える人間ばかりだ。不安は薄い。
そうだ、何も怖いなんてあるものか。
死ぬかもしれない、と思ったとして、むざむざ死ぬよりよっぽど言い。戦争に備えれば平和が来るのではなく、戦争のあと遺ったものが平和をつくるのだ。
あの日わたしを助けてくれた人は、わたしを助けるためにあの場所に来たのではなかった。偶然互いがそこにいただけだ、神様でも英雄でもなんでもない。
神様じゃないと言ったあの顔が頭から離れないうちは、そんなことを考える余裕があるのだと笑っていられる。
きっとこの日は平穏に終わる。
祈りより先に信じている。
19歳と16歳/1月 汝平和を欲さば
(12/13)
→To Be Continued