その気持ちに答えを告げた
赤井の声に反応し、ゆっくりと振り返る皐。
しかし、振り返った彼女と視線が合った一瞬。赤井は、今の自分では彼女を止められないと確信する。長年、仕事で培ってきた感が、赤井にそう告げるのだ。
――揺るがぬ決意。死への理解。絶望と共に覚悟を決めた、人間の瞳。
昔から、窮鼠猫を噛むと言われてきた。追い詰められたネズミは、時に追い詰めた猫に襲い掛かるという。
穏やかで優しい彼女。自身の立場を理解し、立ち回る姿は、常に自分よりも他人を優先させていた。
誠実な女性。聡明な女性。
ゆえに、譲れないモノについては半端な言葉では揺るがない。実際、彼女の家族でさえも、それを揺るがす事は出来なかった。
――ならば、こちらも本気でいかせてもらおう。
答えの決まらぬままであれば、彼女を止められない。迷いの一瞬をつき、彼女は踏み出してしまう。
今はもう亡き愛しい人と同じように、赤井の心に、癒えぬ傷を残して。
だから、何も感じなかった心に答えを告げた。ずっと見ぬふりをしていた、皐を愛しいと思う気持ちに。
そうして心に出来た大きな穴を塞ぎ、彼女だけを真っ直ぐ見つめる。
過去を捨てる事は出来ない。立ち止まる事もしてしまう。遠い日の思い出を振り返る事もあるだろう。
それは得てして、全ての人が背負う定めのようなもの。けれど、前に進む事で救える人がいるのであれば。
――俺は、前に進む。
決意をすれば不思議と視野が広がり、対峙する皐に向かって一発。放たれた弾丸は、見事に命中した。
「皐」
名前を呼んで、引き止める。
一歩一歩ゆっくり近寄れば、皐は静かに涙を流し始めた。進もうとした道を塞ぎ、逃げられなくなった彼女は、音もたてずに首を横に振り続けている。
「…………ぃで」
慎重に、丁寧に。弱っていても、警戒している標的と距離を詰める。
手を伸ばし、頬を触れようとした、その瞬間――
「触らないで!!」
それでも、最後の足掻きとばかりに皐は叫ぶ。ボロボロと涙を流し、触れられる事に怯え、強い拒絶を出しながら。
「もう、終わりたいの」
真っ直ぐにコチラを向く瞳は、もう決めたのだと叫んでいる。
よくよく見れば、泣いている彼女は疲れ切っていた。それは、主張の少ない皐の小さな本音だろう。
そうやって己の意思をさらけ出せばいいと、赤井は思う。
しかし彼女は、そうする事を怖がっていた。言葉を選び、遠回しに表現する。
何が皐にそうさせるのか。憶測ではあるが、彼女の身体が薄らぐこの現象に秘密が隠されているのだろう。
「すまんが、それは出来ない」
自分よりも小さく、華奢な身体。押せば簡単に倒れてしまいそうな背中に、どれほどの重荷を背負っているのか。
周りはそれに気づいている。人によって程度の差はあれど、皐にとってこの世界が生き辛い事を知っている。何人もの人間が、彼女の負担を和らげようとした。今もそれは変わらない。
「お前が終わりを望んでいても」
だから、皐もそれに答え続けていた。
二十年。
彼女はずっと、頑張り続けていたのだろう。優しい人達と共に過ごし、支えてくれた彼らを悲しませたくない。ただ、その一心で。
けれど、それも限界に達した。
「俺にはお前が必要なんだ」
古い鎖が千切れてしまうのなら、新しい鎖で繋いでしまえばいい。そう思いながら、赤井は皐に触れようとした。
赤井に触れられる事に怯えているようで、皐は強く目を閉じ、自身の身を守るように自分を抱き締めている。
「心配するな、お前は俺が守る」
耳元で囁けば、皐は少しだけ力を抜いた。
「皐」
そっと触れれば、皐の身体が大きく震える。
しかし、赤井の手が皐の身体を通り抜ける事はなかった。わずかに伝わる熱が、彼女がまだここにいる証。
「だから、消えるな」
赤井が流れる涙を優しく拭えば、皐は目をゆっくりと開き、頬を触れる赤井の手に自分の手を重ねた。
「…………っ」
触れた事に安堵したのか、皐は身体に込めていた力を抜く。無意識に詰めていた息を吐き出し、鈍い動きで座り込んだ。張りつめていた糸が切れる様に、全身が脱力した。
「……ゆっくり休め」
抱き止めた赤井が囁くが、皐からの返答はない。どうやら、気が抜けて眠ってしまったらしい。
腕の中で眠る皐を見つめていれば、徐々に彼女が形作られていく。
――間に合った、のか……
微かな熱が、確かな温もりへと変化する。
皐は無事だった。
その事実に赤井は大きく息をつき、眠る彼女を強く抱き締めた。
その気持ちに答えを告げた
(言葉にならない「愛してる」)
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