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セイレーン 番外編

 むしろ俺にとっては好都合かもしれない 



初めに見た顔は、ただただ驚いていた。
それが段々と眉を顰めたかと思うと、最終的に彼は怒った顔に変わった。

「…何でいんだよ?」
「何でって…」
「こんな時間まで何で学校に残ってんだよ?」

昇降口でばったり出会った渚に、三井が低い声で尋ねる。

「今までどこにいた?」
「図書室。」
「図書室で何やってたんだよ?」
「何って、受験生がすることなんて一つでしょ?」
「…塾は?」
「今日はない日。」

事細かに聞いてくる三井に渚は肩を竦める。

「三井君は?部活終わったの?」
「あ?そうだよ。」
「お疲れ様。気をつけてね。」
「おう…って、なに一人で帰ろうとしてんだよ?送ってく。」
「え?いいよ、そんなに遠くないし。一人で帰れるから。」
「馬鹿野郎!女が夜に一人歩きすんじゃねえ!」

乱暴に下駄箱を開けて革靴を取り出した三井は足につっかけると、渚に早くしろと顎で促した。



「今までもこんな時間まで学校にいたのか?」
「ん〜…たまにね。勉強の区切りがつかなかった時とか。」
「マジかよ!?何で黙ってた?」
「黙っていたって言うか、時間はあまり気にしていなかったかな。だって塾の方が時間的にも帰りは遅くなるし。」
「危ねーだろ?」
「大丈夫よ。路地裏を帰るわけじゃないし、街灯だって明るいし。」
「渚は女なんだぞ?少しは考えろ!」

あっけらかんとしている渚に、三井はブチブチと文句を言い続ける。
その言い草があまりに聞き覚えがあり、渚は苦笑しながら隣を歩く三井を見た。

「三井君、お父さんみたい。」
「おまっ…言うに事欠いて…っ!!」
「でも、お父さんと同じこと言うんだもの。」
「ぐっ…!」

自分の彼女から父親みたいと言われて喜ぶ男はいるのだろうか?
三井も盛大に眉間の皺を深くしながら渚を睨んだ。

思いがけず渚と一緒に帰れることになったのは嬉しい。
だけどな、無防備過ぎんじゃねえの?
こいつ、男がどんな生き物か分かってねえな…。

はぁ…と深く溜息を吐き、三井は渚の手を握った。

「お前、男を甘く見過ぎ。」
「え?」
「試しに俺から逃げてみろよ。逃げ切れたら渚の言い分も聞いてやる。」
「三井君?」
「ホラ、早く逃げろよ。」
「…三井君?なに言って…」
「ホラ、早くしろよ。」
「…」

冗談でしょと見た三井の顔が笑ってなく、段々と渚から笑顔が消えていく。
三井は真剣な目つきで彼女をジッと捕らえたまま手を放さずにいる。
渚はキュッと唇を噛みしめると握られた手を見た。

「…それなら手を放して。」
「『はい、そうですか』って手を放す奴がいると思うか?」
「…」
「振り切れよ。俺は力なんて入れてねえぞ?」
「…いや、放して。」
「だから力づくで逃げろっての。」
「や、だ…」
「こんな夜に一人で帰っても平気なんだろ?早く証明しろよ。」
「…三井君…怖、い…」

俯いた渚の声が震える。
三井は空いている手でガシガシと頭を掻くと、渚と近くの公園に入った。



足元しか見ない渚をベンチに座らせる。

「飲みモン、買ってくるわ。」

荷物をドサリと彼女の脇において財布だけ取り出すと、三井は入口にあった自動販売機で適当にペットボトルを2本買った。

「茶でよかったか?」
「…うん。」
「飲めよ。」
「ありがとう…」

三井が差し出したペットボトルを受け取って、渚はコクリと喉に流し込む。
立ったままその様子を見ていた三井も、一息つくようにゴクゴクと喉を鳴らした。

「…ごめんなさい。」
「あ?」

ポツリと言った渚の言葉を聞き取れず、三井は柄の悪い反応してしまった。
それにビクリと彼女の身体が反応を示す。
そこまで怖がらせてしまったのかと、顎の傷を指で擦りながら三井は渚の目線に合わせるように身体を屈めた。

「悪かった。」
「…ううん、私こそごめんなさい。あれが三井君じゃなかったらと思うと…怖い。」
「だろ?マジで全然力なんて入れてなかったぜ、俺。」
「甘く見ていたつもりなんかなかったんだけど…」
「それが甘いっつうの。男なんて美人を見かけりゃ、いろんな事想像するんだぞ?」
「…」
「…何だよ、その目は。」

思わずジトリとした視線を投げつけた渚に、三井は妙に自信を持って続ける。

「それが男ってモンだ。何にも想像しない奴の方が、同じ男として心配だぜ。」

つーわけで、と渚の顎に骨ばった指を添えて三井は覆いかぶさるように唇を合わせた。

「…俺も男だし、健康そのものだし。これでも我慢した方だからな。」
「三井、君…」
「だからそんな目で見るなっての。」

真っ赤な顔と潤んだ瞳で見上げてくる渚に、声を大にして言いたい。
その顔はダメだ。
煽ってるとしか思えねぇ、と。

「健全な男子高校生をナメんなよ?」

三井は添えたままの指に力を入れて渚の顎を固定すると、もう一度その柔らかな唇を味わった。



「これからも遅くなりそうなのか?」
「分からないけど…多分残るとなったら、これからの方が遅くなるかな。受験勉強も本格的になってくるだろうし。」
「ふーん。じゃあこれからは俺の部活が終わるまで図書室で勉強してろよ。一緒に帰ろうぜ?」
「でも…」
「『でも』じゃねえだろ?お前、もう忘れたのか?」
「忘れてないけど。三井君だって部活で疲れているのに…」
「渚を送ることくらい何でもねえよ。分かったな、一緒に帰るぞ。」
「…ありがとう。」
「おう。」

さっきまではこの大きな手を怖く感じた。
繋いだことある手を男の人の手だと認識してしまい、必要以上に意識をしてしまった。
今も男の人の手だと感じている。
だけど温かく包み込むこの手は三井の手。
…私の好きな人の手。

渚がきゅっと握り返せば、また少し力を入れて握り返された。
繋がれた優しい大きな手に渚がニッコリと微笑めば、三井はプイとあらぬ方向を見る。
その頬が薄く染まっていることに渚はクスクスと笑いを零した。
彼女の笑顔が自然なもので、三井は気づかれないようにホッと息を吐く。
やりすぎた感のあったあのやり取りは、どうやら心配なさそうだ。
こうやって触れることを拒否されないのだから。

…むしろ俺にとっては好都合かもしれない。
渚と一緒に帰る口実が出来た上に、実行できそうなのだから。


2013.10.23. UP




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夢幻泡沫