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愛=煩悩

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それから数年。
絵梨はサンライズ・レジデンスを出た。
もともと大学を卒業したら1人暮らしをすると麟太郎と約束していたし、要と付き合うことになったのでけじめをつけるためでもあった。
要は自分が出ていこうと言ったのだが、絵梨が兄弟なのだしあのマンションには要がいたほうがいいと反対した。
絵梨はバイト先にそのまま就職し、音楽教室の講師をしている。

「せんせー、さよーならー!」
「はい、さようなら。また来週ね。」
「はーい!」

教え子に手を振ると、絵梨は急いで帰り支度をした。

「室長、今日はこれで失礼します。」
「なになに?今日はデート?」
「ふふっ…さあ?」

機嫌良く挨拶をして電車に乗る。
向かった先は初めて要とクリスマスを迎えたホテルだった。

「絵梨。」
「要さん!ごめんなさい、お待たせしました。」
「いや、大丈夫。」

小走りで駆け寄った絵梨に手を差し出すと、素早く肩を抱いて彼女のおでこに唇を落とす。

「…っ、ちょ…」
「ははっ、行こうか。レストラン、予約してあるんだ。」

いつかのように彼女の手を自分の腕に絡ませると、要はスマートにエスコートした。

「要さん。明日はお仕事、お休みなんですか?」
「うん、久しぶりにね。」
「最近、ずっと忙しそうでしたもんね。お疲れ様です。」
「ありがと。」
「それにしても…私、要さんのお仕事がこんなふうに続くとは思っていませんでした。」
「うん?それ、どういう意味かな?」
「要さんが毎日会社勤めだなんて、以前までのイメージと全然違いますよね。」
「おーい、俺ってどんなイメージだったの?」
「どんなって…朝から晩までへらへらしてて、いつお仕事していつ寝ているのかさっぱり分からなくて。四六時中、女の人のことばっかりで…」
「うーん、手厳しいのは相変わらずだね〜。」
「ふふっ。でも…ちゃんと『お坊さん』でしたよ。傷ついた誰かを救える、立派なお坊さん。」
「…はは、参ったな。いつからそんなふうにフォローしてくれるようになったの。きみが優しいと、ちょっと調子が狂うね。」
「なんですか、それ…。でも今更ですけど、どうしてお坊さんをやめられたんですか?」
「ん?簡単なことだよ。もう僧侶ではいられないなあって思ったんだ。だってこの先、一生ついて回りそうな煩悩が俺にはあるからね。」
「煩悩…?」
「…わかんない?それはね…きみだよ。」
「っ…!」
「きみだけが、俺に嫉妬心や焦りを抱かせるんだ。そして、その先にあったのが強烈な独占欲だったなんて…これじゃあ僧侶失格。…でも、別に惜しくない。きみといられるなら。それからね、俺が一番変わったところはさ…いつまでもふらふらしていられない、って考えているところじゃないかな。」
「え?」
「俺もそろそろ、落ち着いてもいい年齢かな〜。って。」
「…もう充分、落ち着いたと思いますけど?浮気しない、女の子に声掛けない、外泊もない。ちょっと前の要さんを知っている人が見たら、びっくりすると思いますよ。」
「そうでしょう、そうでしょう…って!!そういう意味じゃなくて!」
「…?」
「俺も、きみとの未来をちゃんと考えてるってこと。」

要が真剣な瞳で絵梨を見つめる。

「これ…受け取ってくれないかな?」

そう言ってテーブルの上に静かに置かれたのは、小さな箱だった。

「…これから先、きみを怒らせたり、不安にさせたり、たまにはケンカすることもあるかもしれない。それでも、ね。約束するよ。…絵梨を一生離さない。」
「っ…」
「俺と結婚してください。」
「…はい。」
「ありがとう、いい返事だね。」

ずるい…
こんな不意打ち、胸が壊れてしまいそう…

でも、今なら言える。

「…要さんのこと、信じてます。ずっと、ずっと…!」

絵梨の言葉に要が目を大きくする。
それでも、すぐに穏やかな笑顔を浮かべた。



何よりも強いものは愛だけど、それは煩悩の始まりでもあった…なんてね。
きみ以外に俺をこんな気持ちにさせる人はいない。
…愛しているよ、絵梨。


2015.01.29. UP




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夢幻泡沫