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愛=煩悩

19



大学の卒業試験も終わり、のんびりとした平日の午後。
目的なくブラブラと気になる店を覘いていた絵梨に、前から歩いて来た2人が手を振って近づいてきた。

「椿さん。」
「絵梨ー!ただいまのギュー★」
「人通りだからね、椿。」
「お疲れ様です、梓さん。」
「ありがとう、絵梨。キミは何していたの?」
「雑貨屋さんに寄っていました。かわいい文房具があったので、ついいっぱい買っちゃって。梓さん達は?」
「僕達は仕事が珍しく早く終わったから、服を買ってたんだ。」
「そしたらさー。ちょっと面白いもんを見つけたんだよねー。…絵梨は見といた方がいいと思うぜ?」
「え…?私ですか?」
「ほら、そこの並びにカフェがあるだろ。窓際の席、見てみろよ。」
「窓際…?」

椿に指された方向には確かにオシャレなカフェがあった。
言われた通りに素直に窓際を見た絵梨の目がある一点で釘づけになる。

「あ…」
「あれ、かな兄だね。…向かいに座っている美人は誰なんだろう?誰だか知らないけど、相変わらずだよね。」
「いつもの『檀家』サンじゃねーの?…最近、かなにーの様子が少し変わったかと思ってたけど、俺の気のせいだったみたいだな。…なあ、絵梨?」

呼び掛けられたがうまく返事ができない。
唇が冷たくなるのが分かってキュッと噛みしめた。

信じていたのに…
あの人の言葉を、気持ちを…信じていたのに…

頭が真っ白になっていく。
周りの音も、なんだかよく聞こえない。
それなのに、ドクンドクンという心臓の音だけが…
やけにうるさく思えた。

「絵梨。かなにーはいい奴かもしれないけど、あーいう男だよ。キミ1人だけを大切にしてくれる男じゃないんだ。絵梨、それでもいいわ…」
「椿…っ!絵梨…大丈夫?」
「…」
「…絵梨?」
「すみません…ちょっとショックですけど…。椿さん、教えてください。」
「あ…ああ?」
「…私の知らないところで、要さんはああやって女の人との付き合いをずっと続けていたんですか?」
「それは…」
「…ごめんなさい。分かっていたつもりだったんですけど…どこかでもしかしたらって、期待しちゃってたのかな…」
「絵梨、薄々は感じていたけど…かな兄とは…」
「…たぶん、梓さんの考えで合っていますよ。でも…まだ私、大人になれていなかったみたい…」
「…ごめん、絵梨。つらい思い、させた。…かなにーには、俺が話をつける。キミをそんなふうに泣かせる男を、俺は許せねーからな。」
「いいんです、椿さん。そんなことしないでください。」
「でもっ…」
「…それなら…慰めて…」
「絵梨?」
「要さんのこと、忘れさせて…」

椿の手をきつく握り締めて俯いたまま、震える声でポツリポツリと言う絵梨に双子は顔を見合わせた。
けれど小さく頷き合うと、椿は絵梨をぎゅっと抱き締める。
そのまま肩を抱いて繁華街を歩き、一つ奥まった道を入っていった。



その一件以来、絵梨は要を避けた。
マンションでもなるべく兄弟とかち合わないように、時間をずらして行動するようにしている。
この日もみんながいない時を見計らってリビングに行こうとした。
その時、どこかから大きな声が漏れ聞こえた。

「いーかげんにしろって。彼女をもてあそぶのは、兄貴といえども許せねーんだよ。」
「椿には関係ないよ。それに、もてあそんだ覚えもないけどね。」

次に聞こえてきた声にハッと目の前にある部屋を見た。
…間違いない、要の声だ。
椿、要…彼女。
きっと椿がこの間のことを要に詰め寄っているのだろう。

「へえ?でもさかなにーみたいなフラフラしっぱなしの男が、彼女を奪おうとする資格なんてねーんだっつの。」
「ずいぶん、ひどい言い様だね。そもそも人を好きになるのに、資格なんて必要だったのかな?」
「そういうことじゃねーよ!かなにーには、絵梨じゃなくても他にいくらでも女がいんだろ!?中途半端な気持ちで、絵梨を傷付けんのはやめろよ!!」
「…誰が中途半端だなんて言った?」
「ああ?」
「違う…。俺は、本気で…」
「違わねーよ。兄貴が今まで付き合ってきた女と違って、絵梨はなかなか振り向かねーから。ムキになってるだけだろ?かなにーがやってることは全部、子供が高いおもちゃを欲しがって、駄々こねてるようにしか見えねーっつの!」
「うるさい…。」
「あ?」
「うるさいって言ったんだ!!」

要も椿も互いの話にイライラしているようだ。
怒鳴り声が廊下にまで響いている。

「…ふん、都合が悪くなったらキレんのかよ。とにかくもうこれ以上、彼女を混乱させんはやめろ。絵梨は…俺がもらう。」
「…悪いけどな。」
「は?」
「誰にも絵梨を渡すつもりはないよ。もちろん、お前にもな…椿。俺が中途半端な気持ちじゃないことぐらい、簡単に示せるからな。」

すぐにバキッという何かを壊した音が続いた。

「これで文句ないだろ?今後、他の子とは一切連絡を取らない。」

連絡…それなら、さっきの音はケータイを壊したのだろうか。
いきなりの行動に絵梨の体が固まってしまう。

「か、かなにー…マジかよ?」
「これで椿に、俺の気持ちをどうこう言われる筋合いもなくなったよな?もう二度と口出しするな。」

怒りを抑えた声でそう言い切ると、椿を置いて要は部屋を出る。
そこには絵梨が呆然と立ちつくしていた。

「…っ!」
「…」
「…絵梨。もしかして、今の話…聞いてた?」
「…」
「…はあ。ちょうど良かったのかもな。…ついてきて?」

要は有無を言わさず絵梨の手首を掴むと、引きずるように歩き出した。
瞬間的に要の部屋を見た絵梨の目に椿が映る。

「…椿さん!」
「…っ!…絵梨、俺の前で他の男の名前を呼ぶなんてルール違反じゃない?」
「でも…」
「いいから。ついてきて。」

さっきより力が込められ、絵梨の顔が歪む。
どうしたらいいか分からなくて椿をもう一度見れば、泣きそうに笑っていた。



車で連れていかれた場所は要の秘密スポットだった。
サイドブレーキをかけると、要は無言のままシートベルトを外した。
絵梨も外す。
その後の音は何も聞こえなかった。
しばらくすると、ふうと大きな息を吐いて要が恐る恐るといった様子で口火を切った。

「…」
「…」
「…あのさ。」
「…」
「最近、また俺のことを避けてるよね?どうして?」
「…」
「ちゃんと教えて?」
「…見ました。要さんが女の人と一緒にいるところを。」
「え?…もしかして、吉祥寺のカフェ?」
「そうです。椿さんと梓さんも一緒でした。」
「はは、そっか。見られちゃってたのか…。」

苦しそうに要が笑う。
やるせない、重苦しい笑いだった。

「…」
「…あれはね、俺が個人的にお付き合いしていた檀家さん。」
「そう…ですか。」
「でも。そういうのはこれでおしまいにします、って最後に会って話をしていたところだったんだ。」
「…」
「幸い、大人だからね。すぐにわかってはもらえたけど、さんざん恨み言は言われたよ。女の人はなかなか怖いね…はは。」
「…」
「うそだと思う?それこそこんな話、信じられない?」
「…そうですね。」
「信じてくれなくてもいいよ…今は。」
「…」

要がどうしてそんなことを言うのか分からない。
戸惑っている絵梨を要は真顔で正面から見た。

「椿との話、聞いてたんだよね?信じてくれなんて言わない。俺が悪かったんだしね。でも、いつかは信じてほしい。俺の気持ちを。…きみを好きだと思う、この気持ちを。」
「…」
「きみが信じてくれるまで、ずっと言い続けるよ。俺にはきみだけだ。絵梨以外、欲しくない。」
「…要さん…」
「きみだけだよ。本当に、何度でも言う。それとも、やっぱり俺のことは…信じられない?」
「…信じたいです。」
「絵梨…ありがとう。」

要が横を向いたかと思うとすっと絵梨の腰辺りに長い腕を伸ばした。
絵梨の体を乗せたまま、助手席のシートが倒れる。
包み込むように覆ってきた要の唇が優しく絵梨に触れた。

「…やっとキスできた。」
「…え?」
「ほら、前にここに来た時はキスしなかったでしょ?」
「…」
「あの時の分も、させて…。」
「かな、め…さ…」
「好きだ。きみが…。絶対に…誰にも、渡さない。」

静かな車内に唇の触れ合う音が響く。
その音が止むと、絵梨の耳元で何度も名前が囁かれる。
そのたびに絵梨の身体から力が抜けていった。

「…ん、何度しても足りない…。ねえ…このまま俺のものだけにするけど…いいよね?」
「…はい。」

絵梨の返事に要は嬉しそうに微笑んだ。
けれどもその顔がだんだんと切なそうに歪む。
そのままじっと見つめて動かない要に、絵梨は戸惑ったように声をかけた。

「…要さん?」
「やばい、わかった…。」
「わかった?何がですか?」
「ああ、いや…その、これが煩悩っていうのかなって…。」
「煩悩…?」
「…狂おしい欲望に悩まされる、心のこと…だよ。きみを誰にも渡したくないと思うことも、きみのことが欲しくて仕方ないこの気持ちも…おそらく、これがそうなんだな。」
「…」
「うーん…。いいや、今は煩悩にまみれても。もう少しだけ、このままきみといたいから…ね?」
「私も…」
「ん?」
「私も…一緒にいたいです。」

うっすらと涙を浮かべて微笑む絵梨に、幸せに満たされた要が静かに圧し掛かった。
揺れる車。
軋む音。
狭い空間で重なる肌。
この場所が要だけが知っている秘密のスポットでよかった…
ぼんやりとそんなことを思った。
けれど熱に浮かされてしまえば、そんな考えはあっという間に溶けてしまう。
やけに響く自分の嬌声を抑えられない。
執拗に責め立ててくる節くれ立った手に、絵梨は逆らうことなく何度も昇りつめた。


2015.01.22. UP




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夢幻泡沫