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いつか一緒に 番外編
それぞれの音 02
「音羽、今年もよろしく。」
「蓮、いらっしゃい。蓮パパも蓮ママもいつもありがとう。」
「何を言ってるの、音羽ちゃん。音羽ちゃんはうちの子みたいなものなんだから、そんなに気を遣わないでちょうだい。」
大きな荷物を運び入れながらそれぞれが口にする言葉に、音羽は嬉しそうに微笑む。
両親がいなくなってしまっても、こうやって月森一家が頻繁に来てくれる。
自分の祖父母も常に気にしてくれているし、何よりハープを続けられている。
音羽は今の生活に、十分に満足していた。
「また音羽の学校について行っていいだろうか?」
「もちろんよ、蓮。あそこにいるだけで刺激をいっぱい受けるもの、毎日通っていても飽きないわ。コンサートにもたくさん招待してもらっているし、一緒に行こうね。」
「ああ、ありがとう。」
「あらあら、すっかり蓮に音羽ちゃんを取られちゃったわ。それに音羽ちゃんもリサイタルが控えているのでしょう?」
「うん。チケット、後で渡すから聴きに来てね。3人分、ちゃんと用意してあるの。」
「ありがとう。楽しみにしているわ。」
荷物を置くとすぐに外へ出てしまった2人に、月森の両親は苦笑しながら顔を見合わせた。
月森と音羽が会えば、必ず合奏をする。
夕飯を終えると直ぐに練習に入る様子は、幼い時と何ら変わりはなかった。
今も2人して部屋に籠って楽譜をさらっている。
けれどいつもなら音羽が少しでも気を逸らすと注意する月森が、心ここにあらずと言ったかんじで譜読みをしている。
音羽は気になったが声をかけるのを躊躇っていた。
するとしばらくして意を決したように月森が音羽に視線を向ける。
彼の真剣な表情に音羽が持っていた楽譜を置くと、月森はずっと気にかかっていたことを口にした。
「…音羽、一つ聞いてもいいだろうか?」
「うん、何?」
「幼い頃、音羽は俺の音が『こわい』と言ったが…覚えているか?」
「『こわい』?あ…うん。」
「あれはどう意味なのだろうか?」
音羽に言われた『こわい』。
両親に言われた『技術ばかりではいけない』。
先生に言われた『聴いていて面白くない』。
父親のように、母親のように…甘くやさしく、惹きつけるような音を出せていないのだろうか?
何が足りないと言うのだ。
「…分からないことばかりだ。」
「蓮…」
眉を寄せて俯いてしまった月森に、音羽は困ったように近寄る。
幼い頃の言葉でそんなに悩んでいるとは思わなかった。
あの時は褒めたつもりでいた。
あの『こわい』は…
「蓮の演奏ね、楽譜をしっかり読みこんでいて正確で…音は1つずつしっかりとしていて、完璧で怖い。綺麗だから怖い。泣きたくなるくらい綺麗だから怖いの。」
「…綺麗だから、怖い?」
「蓮の音、気高くて透き通っていてダイヤモンドみたい。蓮が一人で弾いている時は完璧を求め過ぎているんじゃない?初めて蓮の音を聴く人の中には、完璧だからこそ『冷たい』とか『鋭い』とかって思う人もいるかもね。だけど私は…私に合わせてくれる音を知っているから。」
「一人で演奏する時と音羽と一緒の時は違う…のか?」
「うん。引っ張ってくれて、私の音を拾ってくれて…優しいなぁって思うよ?蓮と一緒に弾くと、私もいつもより柔らかい音が出せるの。だから一人の時の音も一緒の時の音も、私は蓮の音が好き。」
「俺の音が好き?」
「うん。蓮の音、大好き。」
「…そうか。」
ニッコリと笑う音羽に、月森も表情を和らげる。
その日の練習はいつも以上にはかどった。
「とてもいい『タイスの瞑想曲』だったわ。」
パチパチと惜しみなく拍手をしながら浜井が2人に声をかける。
「religiosoがよく表されていたな。この手の曲はあまり得意とするところではないと思っていたが…蓮、やるじゃないか。」
「音羽ちゃんも。穏やかな流れを保って旋律を盛り上げていたわよ。」
賞賛の言葉に、月森と音羽は顔を見合わせた。
嬉しそうに表情を緩める2人に、月森の両親も笑顔になる。
音羽は嬉しそうに月森を見ると確認を取るように彼の目を覗いた。
「ね?蓮の音、優しかったでしょ?」
「…そうだろうか?」
「うん。自分で分からなかった?すっごく伸びやかで優しい音だったよ!ねえ、蓮ママ?」
「そうね。とてもいい音だったわよ、蓮。」
「ありがとうございます。」
母親の褒め言葉に、月森がはにかむ。
それをニコニコと見ている音羽に気が付くと、咳払いをして照れを隠すように話題を変えた。
「ハープが伴奏だと大分違うものだな。」
「和音よりアルペジオの方が多くなりやすいからね。確かにピアノとは違うけど、『タイス』はハープもいいと思うよ。」
「ああ。」
「さあさあ、2人とも。だいぶ遅くなってしまったし、今日はこれぐらいにしましょう。」
「え〜っ、まだ弾きたい。」
「また今度ね。」
すかさずもっととねだる音羽に、月森も頷いて賛成する。
その反応を分かりきっている浜井が『また今度ね』を口にすれば、聞こえてきた決まり文句に月森と音羽は顔を見合わせてクスリと笑った。
「…音羽ちゃんの音が変に歪まないでよかった。」
「ああ、そうだな。まだ子供なのにあれだけのことを乗り越えて…音羽ちゃんは立派な音楽家だよ。」
「ええ…。私達で助けられることがあるなら何でもしてあげたいわ。」
「もちろんだ。」
大きなホールの中で一人奏でる音羽をジッと見つめながら浜井が言えば、彼女の夫も当たり前だと同意する。
外国で暮らしている音羽に会えるのは年に数回しかなく、会う度に成長していく姿に溜息が漏れた。
周りの大人に助けられながらも一人で暮らしている彼女はどんな気持ちなのだろうか?
辛くないだろうか?
苦しくないだろうか?
…寂しくないだろうか?
本当にハープが好きだと一目で分かる微笑みと、天賦の才とも言える優雅で華やかな音に何度救われただろう。
年齢や経験を重ねるごとに煌めきを増す音羽の音は、ますますヨーロッパの人々を魅了した。
彼女のリサイタルはいつも満席で、拍手が鳴り止まない。
コンクールにも数多く出て、タイトルを総なめにしている。
このまま成長すれば…と夢は膨らむ。
「本当に音羽ちゃんは女神に愛されているわ。嫉妬してしまうわ。」
「おいおい、美沙。」
「あら、本気よ。一人の音楽家としてあれだけの才能見せつけられたら複雑な心境だわ。だけど、将来がとても楽しみ。」
「…ああ。きっと綺麗なお嬢さんになるだろうね。」
「そうね、心身共に綺麗な…やっぱり嫉妬するわ。」
クスクスと笑う浜井に、夫は肩を竦めた。
まだ中学生の音羽。
これからどこまで伸びるのだろう。
どのような演奏をするのだろう。
彼女の音はどんな風に変わるのだろう。
我が子を見守るような慈愛の眼差しの先には、スタンディングオベーションに応えるように深々と頭を下げている音羽がいる。
ニッコリと笑いながら『ありがとうございます』と口を動かす彼女に、会場は更に拍手に包まれた。
それからたった1年後、音羽は突然姿を消した。
ヨーロッパから。
月森一家から。
音楽の女神の前から…。
さらにそれから1年後。
月森の目の前に現れた音羽は、聴いたことのない音を演奏するようになっていた…。
2013.08.26. UP
『いつか一緒に』月森と夢主の昔話。
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夢幻泡沫