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いつか一緒に 番外編

それぞれの音 01 



「こんにちは〜っ!」
「音羽ちゃん、いらっしゃい。」
「れんママ!れん、いる?」
「あの子は学校よ。もうすぐ帰ってくると思うけど。」
「日本の学校っておそくまであってたいへんだね。じゃあれんがかえってくるまで、ピアノおしえてほしいなっ!」
「いいわよ。さあ、こっちにいらっしゃい。」

屈託なく笑う小さな少女に、浜井は優しく目を細める。
少女の母親は浜井の友人で、もう20年近い付き合いがあった。

「コラ、音羽。美沙に甘えすぎよ!」
「いいのよ。音羽ちゃんの感性は素晴らしいんだから、もっと伸ばすべきだわ。そのお手伝いができるのなら、私としてもとても嬉しいことよ。」
「かんせい?なぁに、それ?」

キョトンと首を傾げる幼い姿に苦笑しながら、浜井は屈んで視線を合わせると子守歌を聞かせるように優しく教える。

「音羽ちゃんにはまだ難しいわね。そうねえ…音羽ちゃんの音はとっても素敵ってことよ。たくさんの音楽を聴いて、もっともっと素敵な音が出せるようになるといいわね。」
「うんっ!わたし、ハープもピアノも大好きっ!!」
「その気持ちを忘れないでね。さあ、いきましょうか。」
「美沙、ありがとう。その間に私はキッチンを借りて夕飯を作るわね。」
「楽しみにしているわ。」

ニコリと笑って差し出してきた浜井の手を、少女は嬉しそうにその小さな手で握る。
2人でニコニコと笑いながら歩き出した後ろ姿を少し呆れたように笑いながら、少女の母親は見送った。



「さて、今日はどれを弾こうかしら?」

壁一面にある本棚の前に立ち、腕を組みながら浜井は模索する。
その横にちょこんと立って、少女は懸命に背伸びをしながら楽譜を探した。

「えっとね〜…あっ、これ。ショパンおしえてほしいな、『こがらし』!このあいだからリックにおそわってるんだけど、どうしてもひけないぶぶんがあって。」
「まあ、もうこんな曲を弾くようになったの!?音羽ちゃん、凄いわねえ。近いうちに追い抜かされちゃいそうね。」
「れんママとわたしはちがうよ?れんママの音はやさしくてあったかいでしょ?リックが言ってたけど、わたしの音はキラキラしてるんだって。だからちがうの。」
「キラキラ…成程、音羽ちゃんの音は素直で華やかな音だものね。それなら、もっとキラキラするように私と練習しましょう!」
「はぁいっ!おねがいしますっ!!」

そう言うと、少女はタタッとピアノに向かった。



それからどれくらい経ったのか、二人がピアノの前で部分練習をしているとカチャリとドアが開いた。

「お母さん、ただいま。」
「あら、もうそんな時間になってしまったの?蓮、おかえりなさい。出迎えられなくてごめんなさいね。」
「だいじょうぶ、おとはのお母さんがげんかんをあけてくれたから。」
「れんっ、おかえりなさい!」
「ああ、ただいま。」

少年は同い年の少女に淡く笑いかける。
その笑みに、少女は嬉しそうにニッコリと笑い返した。

「蓮、これからヴァイオリンのお稽古だったわね。下で待っているから支度をしていらっしゃい。」
「はい。」
「れん、れんママ。わたしもいきたい!」
「いいわよ、音羽ちゃん。ねえ、蓮?」
「はい。おとは、いっしょにいこう。」
「うん。ママに言ってくる。」

いそいそと片付け始めた少女の手から楽譜を受け取ると、浜井はママに言ってらっしゃいと促す。
ぱあっと輝いた顔で元気よく返事をして、少女は部屋から出ていった。

「さっきのピアノはおとはがひいていたの?」
「ええ、そうよ。」
「ショパンの『木枯らし』か、すごいな。」
「本当に。蓮も負けていられないわね?さ、支度をしてきなさい。」
「はい。」

キュッと引き締まった顔で部屋を出ていく我が子を浜井は愛おしそうに見る。

「蓮も音羽ちゃんも、大きくなるのが楽しみだわ。」

母親として。
友人として。
音楽家として。
手早く片付けて下に降りていけば、少女は自分の母親に纏わりついて料理を覗き込んでいた。



2家族一緒に食事をする時の楽しみは、将来有望な幼子達の合奏。
本人達も楽しみにしているらしい。
練習する時間がないからと簡単な楽譜を渡せば、自分達はもっと出来ると拒否されてしまう。
一端の音楽家の気概を見て、嬉しいやら頼もしいやら…少し寂しいやら。
大人達は、それは温かく2人を見守った。
そんな大人達の気持ちを幼子達は知る由もない。
部屋に籠って練習をし、完成すればどこか自慢げに披露する。
心のこもった拍手を貰い、ヘヘッと顔を見合わせて笑い合う姿は可愛らしかった。

「れんっ、これも上手にひけたね。」
「ああ。だけど、はじめのぶぶんはここまでテンポをおとさなくてもよかったともおもう。」
「そんなことないよ。これいじょう早かったら、れんの音がこわくなっちゃうもん。」
「こわい?」
「うん。うんと…なきたくなってきちゃうかんじ?」

少ないボキャブラリーの中で適切な言葉を選び出すのは難しい。
少女は首を捻ってうんうん唸りながら何とか別の表現をしたが、少年は眉を寄せて納得できない顔をした。

「だからこれでよかったんだよ。ねえ?れんパパ、れんママ?」

困ったように大人たちの顔を順番に見る少女に、少年の父親は苦笑しながら間に入った。

「そうだな、音羽ちゃんの伴奏だったら今のテンポがよかっただろうね。美沙の伴奏ならば、蓮の言うテンポでもいいんじゃないかな?」
「あっ!じゃあつぎは、れんとれんママでひいてよ!!」
「いいわね、それ。私も久しぶりに美沙のピアノを聴きたいなあ。」
「あら、リクエストが来たわよ。蓮、どうする?」
「する。」
「わぁいっ!!」

嬉しそうにパチパチと手を叩いて母親の膝に座る少女に、父親が手を伸ばして優しく頭を撫でる。
少年は早く弾きたいとでも言うようにさっさと練習に入る。
そしてまた練習を終えると、みんなの前で披露するのだった。
大人達が時間を見て切りあげないと、2人はいつまでも弾きたがる。
『また今度ね』が合言葉になった食事会が何度開催されたことだろうか。
そんな風に過ごす時間が少年も少女も好きだった。



それから数年が経った後、少女はハープ奏者としてデビューした。
大々的につけられたキャッチコピーは『Der Prinzessin Musai liebt』。
幼い顔立ちの中に垣間見る、凛としたハープ奏者だという自負の表情。
演奏している時の嬉しくて仕方ないという愛らしい微笑み。
まだ10歳を過ぎたばかりの少女とは思えない程の優雅で華やかな音。
まさに音楽の女神が愛する姫を具現化したような少女を、ヨーロッパの人々は拍手喝采で迎えた。


2013.06.21. UP




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夢幻泡沫