
Main
いつか一緒に 番外編
焦れる想い
「音羽ちゃん、リハーサルはこれくらいにして休憩にしましょう。」
「はぁい、蓮ママ。」
浜井のコンサートの当日、早く会場入りして2人は本番で使うピアノで最後の練習をした。
「本番もこれくらい楽しく弾けるといいわね。」
「うん。…でも緊張してきたな…」
「何を言ってるの?音羽ちゃんなら大丈夫よ。ま、でもそんなに緊張していてもいい音でないし…まだ時間あるから、外の空気を吸って来たら?」
「うー…そうする。」
浜井に言われて、音羽は会場の裏手に向かった。
客演とはいえ、音楽の道に復帰することになるのだ。
いやが上にも緊張は膨らんでくる。
深呼吸を何回かして、その場に腰を下ろす。
空をぼんやり眺めていると、聞き覚えのある声が遠くからした。
「あっ、いたいた。」
「…本当に来たんですね。」
困ったように笑いながら音羽は声のした方を向く。
金澤をはじめとしたコンクールメンバー、それに加地も何故か来ていた。
「加地くんまで…」
「日柳さんの音が聴けるなら、僕はどこへでも行くよ。それにしても今日もまた一段と素敵だね。」
ニコニコ笑いながら赤面ものの言葉を綴る加地に、音羽は自身の格好を見下ろしながら曖昧に笑う。
濃紺サテン地で作られたAラインのストラップロングドレス。
バックの腰の部分に大きなリボンを結んでいる。
ダイヤのラインの耳飾りとネックレスをつけて、毛先を遊ばせて纏めた髪にも同じような飾りをつけていた。
「今日は蓮ママ…浜井さんのコンサートよ?私はおまけみたいなものなんだから。」
「それなら、そこまで緊張しなくてもいいだろう?」
「うっ…蓮の意地悪。」
涼しい顔で厳しいことを言う月森を、音羽は睨んで抗議する。
けれど、彼の容赦ない一言で気持ちが幾分か楽になったのも事実だ。
音羽はふぅと息を吐き出すと月森にニッコリと笑った。
「…蓮ママなら楽屋にいると思うよ?」
「ああ、挨拶してくる。」
「月森、俺も行く。チケットのお礼も言いたいからな。」
「それなら皆で行きませんか?本番前に申し訳ないですが…」
金澤と柚木の言葉に、全員で浜井の楽屋に向かった。
楽屋で寛いでいた彼女は、嬉しそうに出迎えてくれた。
「まあ皆さん、お揃いで。」
「こんなにたくさんのチケットをありがとうございます。ご厚意に甘えて、大勢で押し掛けてしまいました。」
柚木の流暢な社交辞令にも浜井は嫌な顔をせずに微笑む。
「どうぞ楽しんでいってくださいね。あっそうそう音羽ちゃん、最終確認したいことがあるの。ちょっといいかしら?」
「もちろん。何?」
「では、僕達は客席に行こうか。浜井さん、演奏楽しみにしています。」
柚木の言葉で、彼達は楽屋を後にした。
ステージでは、浜井が曲間にマイクを持って軽く解説をしていた。
音羽は袖で何度か深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
その耳に、ハードルを上げるとしか思えない言葉が聞こえてきた。
「さて、次は今回のコンサートの中で私もとても楽しみにしていた曲の一つです。2台のピアノを使っての連弾、一緒に弾いてくれるのは日柳音羽さんです。皆さんは音楽プレイヤーのCMを見たことはありませんか?」
浜井の言葉に、会場がザワザワと反応する。
「知っている方もいるようですね。あのハープを弾いていた彼女です。彼女の本業はハーピストですが、ピアニストとしての彼女もとっても魅力的なんですよ…」
浜井が話を進めている中、月森が呟く。
「…だから音羽をCMに出演させたのか。」
「どういうことだ?」
その呟きに、金澤が反応を示す。
「母なりの気遣いです。いきなり無名の若手と共演するほど、『浜井美沙』の名は甘くはない。コネだとか取り入っただのとかあらぬ噂が飛び交ってしまうでしょう。だから一度CMを使って世間に顔出しすることで、彼女の知名度をそこそこあげておいた…と言うことです。」
「クラシックファンなら名前を聞けば思い出す、が…」
「はい。音羽は名前が変わっていますから。」
「あのCM、すごい反応だったんだって。国内だけじゃなくて、海外からも『あの子は誰だ!?』って問い合わせがすごかったらしいよ。」
火原の言葉に、メンバーは納得する。
「…では、モーツァルト作曲『2台のピアノのためのソナタ』です。」
浜井がマイクを置くと、ステージ袖から音羽が登場した。
2人は並んでお辞儀をすると、それぞれのピアノに分かれる。
グランドピアノをはさんで顔を見合わせると、軽く合図を送り合って演奏が始まった。
聴こえてきたのは煌めきが見えるような音。
「…華やか〜!」
思わず火原が声を漏らす。
「モーツァルトの明るさが前面に現れているな。これ、浜井美沙が第1パートだよな…?」
土浦が信じられないというように月森に確認を取る。
「ああ。」
「彼女にしては珍しい音じゃないか?」
「音羽が一緒だからだろう?」
月森は当然といった様子で答えた。
ステージの上にいる2人は長い付き合いだと分かる絶妙なタイミングでブレスを入れてくる。
浜井はソロ活動が多い。
けれど最初に音羽を紹介した時に言ったように、この連弾を本当に楽しみにしていたようだ。
彼女の顔から笑顔は消えそうにない。
「…お、第2楽章に入ったぞ。」
「今度は優しい感じだね。」
「でも、その中に愁いが混じっているような…」
3年の2人が静かに感想を交わし合う。
「これは日柳さんが第1パートなんだね。」
加地が目をキラキラさせて音羽を見つめる。
浜井と一緒に弾いている安心感からなのだろう、音羽の音には伸びやかさを感じる。
たまに交わされる浜井との呼吸の取り合いも、互いに信頼し合っているように一瞬で済んでしまう。
そして鍵盤の上に視線を戻す音羽の表情は、少し甘えているような柔らかいものだった。
日柳があんな顔をするとは思わなかった。
同い年とは思えない程に近寄りがたい雰囲気を持っている彼女が、幼い子供のように誰かを頼っている姿を見ることになるとはな…。
いや、月森に対しても同じか。
悔しいが日柳は月森を慕っている。
それが幼馴染みとしての思慕なのか、異性としての思慕なのか…。
…前者であってほしいな。
相も変わらず深い音を奏でている音羽を見ながら土浦は深く息を吐き出した。
「学内コンクールの時も思ったが、あいつの表現力は半端ないな。」
「ああ、ピアノで参加されなくてよかったぜ。」
脱帽している金澤の言葉に、土浦は苦笑しながら相槌を打った。
「第3楽章は、また浜井さんが第1パートですね…。」
「音羽先輩と一緒だからか…音が若いですよね、浜井さん…」
志水の感想に、メンバーはギョッとして彼を見る。
「あ…すみません、月森先輩…失礼なことを言いましたよね…?」
「いや…確かにその通りかもしれないな。」
第3楽章まで浜井と音羽は微笑みを絶やさずに弾いた。
傍から見ていても楽しそうに弾いているのが分かる。
「…これでまた、日柳の名前は広がるな。」
金澤がポツリと言った言葉が、メンバーの胸の内に様々な思いを引き起こさせた。
弾き終わった浜井と音羽は、ハグをするとステージ袖に引き上げていった。
大きな拍手がいつまで経っても鳴りやまない。
「やっぱり、ハープを用意しておいて正解だったわね。」
「でも、このアンコールって蓮ママにでしょ?私はいないほうがいいんじゃないかしら?」
「そんなことないわよ。」
ハープの位置をスタッフに指示しながら、浜井は音羽にニッコリ笑いかける。
「一曲でいいから一緒に合奏しましょう。最近、蓮ばかりと合奏してて羨ましかったんだから。」
「またそんなこと言って。」
浜井のお茶目な物言いに、音羽は堪らず吹き出した。
促されるように浜井と共に再度ステージに立つ。
「ありがとうございます。先程申し上げましたが、日柳音羽さんの本業はハーピストです。若手のハーピストの中でも、絶大な有望株と言っても過言ではないでしょう。どうぞ彼女の音色をゆっくりとお聴きください。」
言いすぎだと文句を言いたげな音羽の視線を軽く受け流して、浜井はピアノにスタンバイする。
音羽もハープを構えるといつでもいいと言うように、浜井に向かって頷いた。
浜井は微笑みを浮かべてそっと弾き出した。
「…ドビュッシーの『月の光』か。甘美だな。」
ゆったりとしたメロディに音羽は身を委ねるように瞳を伏せる。
1フレーズ終わったところで、今度は音羽のソロパートになった。
「日柳が弾くと清廉潔白な雰囲気になったな…。」
会場も教会に流れているような空気に包まれる。
2人の音が合わさると、温かい何かが纏ってくるようで、その心地よさに会場中が酔いしれた。
あいつは…日柳はまた腕を上げたんじゃないか?
連弾なら俺もあいつとしたが、ハープは合わせたことはないな。
日柳と…この音と合わせると俺の音はどう響くのだろう?
浜井美沙のように彼女を包むことはできるだろうか?
…包んでみせるさ。
俺は日柳のことが好きなんだから。
そろそろ黙ってるのも限界だな。
だが、あいつは文化祭のコンサートに国際コンクールを抱えている。
俺だってコンクールが待っている。
…待ってろよ、日柳。
いい結果を手土産に、俺の気持ちを伝えてやるぜ?
2013.10.14. UP
『いつか一緒に』浜井美沙とのコンサート、土浦視点。
← * →
(7/22)
夢幻泡沫