それを見つけた時は胸が躍った。
誰にも使われずひっそりとしまってあったそれについて幸村様に訊ねると、彼のお姉様が使われていたものだとか。
お輿入れをする際に新調し、それまで使っていたそれは蔵の方へしまわれることになったらしい。
「長年使っておらぬ故、糸が古びておりまする。新しいものを用意させますぞ。」
「いえ、そんな…。初めてですので新しいものなど必要ありません。幸村様さえ良ければ、これを使いたいのですが…いいでしょうか?」
「桃殿がそう申されるなら、某は構いませぬ。」
苦笑する幸村様から許可をいただき、私は大きなそれを抱えて部屋に戻った。
柱を立て、位置を動かしながら音を調整する。
本来ならば使われない音を調弦するのは、まるで異質な私の代わりの様で胸が苦しくなる。
音を確かめては溜息をつき、音を確かめては物思いに沈み…
長い時間をかけて糸から望みの音が出るように設定して、私はふうと大きく息を吐いた。
「さて…弾けるかしら…」
目の前には調弦を終えた箏。
部屋の外では深まった秋が極彩色を放っている。
武田の色に染まった庭を見ながら浮かんでくるのは、美しい日本の秋を旋律に乗せる歌。
一度だけ体験したことのある当時を思い出しながら私は小さくくちずさんだ。
進んでは戻り、戻っては進んでいくうちに段々と箏にも慣れ、旋律が流れるようになる。
同時に視界がぼやけてきた。
音というものは関連することを鮮やかに思い出させるものらしい。
そして、秋という季節は人を感傷的にさせるものらしい。
慣れ親しんだ故郷の景色、周りにいた大好きな人々、過ごした楽しい日々…
「…戻りたいな。…帰りたい…」
自然と浮かんできたその言葉に、視界が更に滲む。
いつの間にか箏を弾くことをやめ、私は壊れた絡繰のように同じ歌を何度も口ずさんでいた。
「桃姫ちゃ〜ん、入るよ?」
なんの前触れもなく背中の襖がすっと開く。
「どうかした?さっきから箏の音が聞こえないけど…」
「なにか箏に不備でもあったのでござろうか?」
入ってきたのは幸村様と佐助さんだった。
涙は見られたくない。
咄嗟に顔を隠すようにして背けると俯いた。
それから平静を装うようにして何とか声を絞り出す。
「…い、え…」
「んじゃ、もうお終いにする?それなら俺様が片付けておくけど?」
「やっ…!…もうしばらく…」
「…調子が悪いのでござるか?声が掠れているようだが…」
「確かに。熱でもあるかな?桃姫ちゃん、こっち向いて?」
「…嫌です。」
「何で!?」
「何でもありません。大丈夫ですから、もうしばらくこのお箏を貸してください。」
「…いつもの桃殿らしくありませぬな。如何したのでござる?」
そう言いながら幸村様が素早く横に回り込んできた。
が、私の顔を見た途端に目を見開いてずさっと飛び退く。
そして佐助さんを引きずって部屋の隅まで瞬間的に移動した。
「なっ…泣いておる!」
「はあ!?何で?」
「知るかっ!佐助、どうにかせよ!!」
「えっ、ちょっ…何で俺様が!?」
「泣いておる女子をあやすのはおぬしが得意とするところであろう!」
「…な〜んか棘があるんですけど?」
「いいから早くするのだ!」
「いや〜、ここは旦那の出番でしょ。」
こそこそと交わされている会話が、他に音のない部屋に思いのほか響いていることを分かっているのだろうか。
気が抜けてしまった私はクスクスと笑いを零してしまった。
「…すみません。どうか気になさらないでください。」
「しかし…」
「少し懐郷の念が抑えきれなくなってしまって…。もう大丈夫ですから、心配をかけてしまいました。」
緩やかに笑えば、幸村様も佐助さんもほっとしたように近くに戻ってきた。
「…席を外した方がよろしいか?」
「いえ、何かご用事があったのでは?」
「う〜ん、そうじゃなくてね。桃姫ちゃんの部屋から不思議な音がたくさん聞こえてきてたから、何だろうと思って。」
「失礼ながら、その…調弦が、不得手であるのかと…。なれば、佐助にさせまするが…」
「佐助さんはそんなこともできるのですか?」
「お任せあれってね!」
「でも、これでいいんです。私が育ったところの音です。聞き慣れないかもしれませんが、私には懐かしい音遣いで。箏を奏ずるのは初めてですが、他の楽器は弾いていたのでこの音の構成がいいんです。」
「…よく分かりませぬが、桃殿が良いと申されるのならばそれでよかろう。しかし、何故また急に箏など所望されたのでござるか?」
それは…
私がいた世界では、今日が十一月三日だから。
『文化の日』という特別な日だから…。
「楽の音が好きなんです。聴くのも好きですが、弾くのも好きで…」
「なんと!それなればやはり姉上のものではなく、桃殿だけのものを新しく用意させましょうぞ!」
「あ、いえ本当にこれがいいのですが…」
「幸村よ!よくぞ申した!!」
「お館様っ!」
「し、信玄様!?」
「じゃが、そちに箏の良し悪しがわかるのかのう?」
「ぐ…ぬう…」
「どれ、儂が桃にぴたりと合うものを拵えよう。何か望みはあるか?」
「あの、本当にこれが…」
「お館様っ!新しい箏は某が贈り申す!!お館様とて横槍はお止め頂きたい!!」
「何を申しておる。幸村こそ儂の邪魔をするでない!」
「お館様こそっ!!」
「幸村こそっ!!」
「ぅうお館様ぁあ!!」
「幸村ぁぁあ!!」
「あ〜あ。始まっちゃったー。桃姫ちゃん、こっちおいで。」
「…私の部屋、無事にすむでしょうか?」
「諦めたほうが賢明…かもね…。でも、俺様がきちんと直すから。」
「ありがとうございます、佐助さん。…お疲れ様です。」
「あはは…ホントだよ、もう…」
2014.11.01. UPIT
2016.11.03. EDIT