07
◇
橘課長は会社から来るま10分ほどのところにあるマンションに住んでいた。それなりに広いワンルームで、あまり部屋に物がない。料理が趣味だといっていたから、キッチン周りは色んな調味料や道具が置かれている。
「どうした?ほら座れ」
上着を脱いでハンガーにかけ、ネクタイを緩ませながらソファーに座った課長が、ぽんぽん、と自分の隣を叩く。部屋に入ってから妙に緊張してしまい、上手く体が動かない。ぎくしゃくとソファーに向かい、端っこに座る。
「…遠くないか」
「察してください…」
クスクスと笑う課長に、恥ずかしさが増す。だって、酔いの勢いというか、凄い事を口走ってしまった気がして、どんな顔で課長を見ればいいのか分からないのだ。
カチコチになって俯いていると、課長が隙間をずいっと詰めた。
「か、かちょ…」
「名前」
慌てて見上げると、ほんの少し熱をもった瞳に見つめられる。
「名前、呼んでくれ。ここは会社じゃない」
「え、き、桔平さん…?」
「…あぁ」
おそるおそる名前を呼ぶと、とろりと瞳が溶けた。こんな表情の桔平さんを、初めて見たかもしれない。
「お前の家に挨拶に言った日から…妙に寂しく感じてな。たった数日だけの関係のはずなのに、お前から連絡がないことが、お前が傍にいないことが、こんなに寂しく感じるとは思ってなかった」
「え」
「少しでも、俺の事を意識してくれればいいと、最初はそう思ってたんだがな…これじゃ逆だ」
自虐気味に苦笑する桔平さん。彼の手が、私の手に触れて、指を絡め取られる。
「き、今日もそれ言ってました…意識してくれればって…」
「ああ。お前、あの一件があるまで、俺の事を男として意識した事、なかっただろう。俺だけじゃない。課にいる男たちの事も。」
「え…うーん、意識してなかったわけではないですけど…」
「それでも無防備すぎだ。いきなり恋人を作らなければならなくなった、なんて普通男に言うか?」
「う」
「自覚してないようだから言うがな、#nama2#がこの課に配属になってから男共がそわそわしてた。可愛いし、よく笑うし、仕事も速くて丁寧だしな」
「かわっ…」
「可愛いよ、お前は。そんな子に、彼氏がいない、親をごまかすために恋人の代わりを探してる、なんていわれて、舞い上がらない男はいない。…俺含めてな」
言い聞かせるようにして、桔平さんは言葉を続ける。
「危ないやつだな、って思ったよ。お前は大分焦ってたから、何も考えてなかったんだろうが。だから、少し釘を打とうかと思った。自覚を持って、少しは男性に危機感を持っておいてもらわんと、面倒くさい事に巻き込まれるんじゃないかって…」
「桔平さん…」
「…そうやって名前を呼ばれて、会社で見るより柔らかい表情とか見てたら、俺の方がやられた。…部下に手を出すなんて、考えてなかったけどな」
絡めていた指に、ぐっと力が入った。
「帰り際のあれは…するつもりはなかった。自分でも驚いたくらいだった。何とも思ってないやつに突然あんなことされたら嫌だったろうと思って、ここ暫くはいつも通りを振舞ってた。…大分厳しかったけどな」
「厳しい?」
「お前の事を目で追ったり、他の社員と話してるのを見て腹立てたり、…お前が俺の事を探してるのをわかって、わざと人気のないところに行ったり」
「えっ」
今日の資料室は、まさか…
「さすがに不味いとは思ったけどな。お前がぜんぜん危機感を感じてないのに腹がたって…あの社員にくどかれ掛けてたの、ギリギリまで気付かなかっただろう」
「…その通りです」
「…お前があいつと親しげにしてるのを見て、ハラハラした。俺の事なんて忘れて、他のやつと付き合うんじゃないかって。困ってる様子なのが見えて、安心した。だからあんな言い方したんだ。他のやつに手を出されないように」
「そ、そんなこと…っ」
そんな事になんてならない、って否定しようとしたら、桔平さんがこっちに体を預けてきた。肩の辺りに桔平さんの顔がある。
「…お前が好きだ。自分でも後戻りできなくなるくらい、名前が好きだよ」
「き、きっぺいさん…」
「ずるいやり方なのはわかってる。逃げ場をなくして、攻め立てるようなやり方だ。それでも、俺を見るお前の目や、お前の態度で…期待してしまってる」
桔平さんを見るたびに胸が跳ねる。飲み会で助けてくれた時は、心が踊った。桔平さんには、多分見透かされてる
「俺のせいだ、と言ったな。戸惑うのも、からまわるのも。それなら責任をとる。…一生掛けて」
「い、いっしょう…!?」
「俺と結婚してくれ」
「なぁっ!?」
話が一気に飛躍しだした。ちょっと待って私まだ何も言ってない…!
「話が突然すぎます!」
「そうか?もう十分だろう」
「だ、だって私まだ返事も何も…」
「好きだろ?」
しどろもどろに言い返そうとして、逆に言い返される。自信満々な瞳、いたずらっ子の様に笑う顔…
「俺の事、好きだろう?じゃなきゃここまで来なかったはずだ…違うか?」
「う」
「なあ、名前」
早く言ってしまえと言いたげだ。悔しい。悔しいけど、間違ってない。
「…好きです。桔平さんのことが好き!」
半ばやけっぱちにそう叫ぶと、ぐいと腕を掴まれて、抱きしめられた。
「…よくできました」
「あ…」
嬉しそうにそう囁いた桔平さんが近づいてくる。そっと目を瞑ると、優しくキスが降りてくる。腰に手がまわり、ぐっと固定されると、キスは少しずつ深くされそうになり…
「ちょ、ちょっとまって」
「待つわけないだろう」
「え」
「ここまで我慢して、責任をとれと言われて…黙ってられると思ったか?」
ソファーの肘掛部分に背中を押し付けられ、ずるずると押し倒される。私、責任取れとは言ってないんですが!
「だって、いきなりすぎて…心の準備が」
「急かしすぎてるのは分かってる。でもな…さすがに限界だ。観念してくれ」
頬に触れてくる手が凄く熱い。手だけじゃなくて、触れている部分全部が…
「桔平さんが余裕なさそうにしてるの、初めて見ました…」
「そうか?お前の前だと結構余裕ないぞ」
桔平さんの真似して、頬に手を添える。くすぐったそうにしている顔が、何だか可愛い。
「…桔平さん」
「ん?」
「あの…せめてベッドに…」
自分で言ってて恥ずかしいけど、さすがにここでは厳しい。桔平さんは目を見開いて固まった。けれどすぐに私を抱えあげた。
「…仰せのままに」
「も、もう!」
嬉しそうに笑う桔平さんに、つられて笑う。
「名前…俺と、結婚を前提としたお付き合い、してくれるか」
抱きかかえられたまま囁かれる。まさか自分が付いた嘘から真が出ると思っていなかった。桔平さんのシャツをぎゅっと握り締めて、答える。
「はい…喜んで!」
END
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